女性はどうして、と小さく呟き、馬上の美雨を見据えた。怯えではなく、怒りを籠めて睨み付ける厳しい視線に美雨は完全に気圧された。
「新たな巫女様がいらしたと……それなのにどうしてこの方がいらっしゃるのですか?!」
 美雨達の姿に気付いたのか、それとも女性の叫ぶような声に触発されたのか、どこからともなく街の人々が集まってくる。
「四神官様だ」
「ということはあの方が新しい巫女様かい?」
「でも……あれは…」
「……どういうことだ?前の巫女様じゃないか」
 美雨の姿を見た彼らもまた訝しげに言い、ざわめきはどんどん大きくなっていく一方だ。

―― ああ、そうか…… ――

 彼らは美雨を美陽だと思っているのだ。
 しかし、それも尤もなこと。双子を禁忌として見ている彼らにとって、まさかその双子の片割れが巫女になっているなんて考えもしないだろう。
「逃げ出したって話じゃないのか。なんだってそんな娘がまた巫女になってるんだい?!」
「今更戻って来たって誰が信じられるものか!」
 不信は怒りへと変わり、いつの間にか出来ていた人だかりの前方から後方へとそれは伝染していく。最早、ざわめきを通り越して暴動が起こりそうな勢いだ。
 それを見ていた美雨は以前、アヴァードが言っていた言葉を思い出した。美陽がいなくなったことで心無い噂が流れ、巫女を恨むものも少なからずいるだろう、と。
 その時は分かっているつもりだった。
 だが、聞くのとこうして実際にそれらを向けられるのでは全く違う。美雨は無意識のうちに手綱を握るディオンの袖をきゅっと掴んだ。
「静かに」
 落ち着いた声が辺りに響く。静まったのを確認してからマティアスが話し始めた。
「先立って送られたゼノフィーダ神殿からの知らせで周知のことと思いますが、正真正銘、彼女こそが新たな "光の巫女" です」
「嘘よ!私は前に巫女様の御顔を拝見したもの!」
 最初の女性とは違う女の人が美雨を指して言う。だが、マティアスは少しも慌てた様子を見せず、再び口を開く。
「あなたが間違えるのも無理はありません。何せ彼女は前巫女の双子の姉君ですからね」
 その一言に辺りは水を打ったように静まり返った。そしてざわざわと戸惑いが広がり始める。
「ど、どういう事ですか、神官様」
「双子だなんて……まさか、そんな…」
「不吉な……そんな者が巫女に…?」
 今まで怒りに満ちていた彼らの瞳からそれが抜け、代わりに怯えや恐怖が色濃く現れる。
 その視線を一身に浴び、居た堪れなさを感じて少しだけ顔を俯かせた時、ディオンの切迫した声が聞こえ、突然の強い力に美雨の体が傾いだ。




「ミウ!」
 叫ぶと同時に目の前の彼女の体を自分の胸元に引き寄せ、そのまま覆うようにして庇う。直後、鈍い音と共に額のあたりに痛みが走り、思わず息が漏れた。
「……っ…」
 乗っている馬の足元に落ちたのは子供の拳程度の大きさの石だった。それを見やってから抱き寄せていた腕を解き、ゆっくりと彼女の体を離す。
「大丈夫か」
 そう問えば、美雨は呆然とした様子で振り向き、それからディオンの額に目を留めた。己の袖を掴んでいる美雨の手が微かに震えているのに気付いた。
 当たり前だ。見ず知らずの他人から石を投げられて平気でいられるはずがない。
「ミ……」
「みこさまなんかいらないっ!!」
 彼女の名を呼ぼうとした時、静まり返ったその場に叫び声が響いた。ハッとしてその声の方を見やると、そこには十歳くらいの男の子が睨みつけるように美雨を見上げていた。

―― あの少年か ――

 その様子からして彼が石を投げた犯人だということはすぐに分かった。
「どうせまたおれたちをみすてるんだろ!そんなみこさまなんかいなくたっていいよ!!」
 巫女に対して石を投げるという暴挙はさすがにまずいと思ったのだろう、周りにいた大人が慌てて取り押さえるが、少年は尚も顔を赤くしながら叫んでいた。
 まだ年端の行かぬ子供だ。おそらく詳しいことなど十分に理解は出来ておらず、それ故、感情の赴くままに行動したのだろう。だが、そうと分かっていても彼がしたことは決して許されることではない。
 一歩間違えれば美雨が怪我を負っていたのだ。もしかすると大怪我になっていかもしれない。それを思うとディオンの中に少年に対する怒りが込み上げてくる。
「静かに」
 先程のマティアスと同じ言葉だが、それとは違う鋭さに辺りは再び静まり返った。
 ディオンは守るように美雨の体に腕を回し、それから周囲の人々の顔をゆっくりと見回した。
「……あなた方の気持ちも分かります。彼女は "禁忌の双子"、まして先に生まれた者だ。しかし、女神レゼルは "光の巫女" としてミウ様をお選びになった。それでも尚、納得出来ないという者はいますか」
 ディオンはそう言って辺りを見回した。彼の問いかに意見する者は居なかったが、やはり民の瞳から怯えの色は消えなかった。
「何か言いたいことがあるのなら我ら四神官が聞きましょう。だが、何があろうとも巫女に危害を加えようとする者を我らは許しはしない」
 そう言ってディオンはゆっくりと少年の方を見た。その瞳は子供に向けるにはあまりに鋭く、視線の先の少年は射竦められたように体を強張らせ、顔を青くさせた。




 ディオンの腕の中で彼の鋭い声を聞き、美雨はそっと後ろを見上げる。赤く擦れ、血が滲んでいる額の傷が目に映った。
 あの瞬間、あまりにも突然のことで何が起きたのか分からなかった。気付いた時にはディオンの腕の中におり、音を立てて地面に落ちた石を見てようやく庇われたのだと思い当たった。
 そしていま、ディオンの怒りを感じていた。声を荒げているわけではないのに恐ろしく、そしてその視線は鋭く凍てつくようであった。

―― このままじゃ…… ――

 あの少年が罰を受けさせられてしまう。
 美雨は思わずディオンの袖を掴んだ。振り向いた彼の瞳は依然、鋭いままだったが、美雨が小さく首を横に振るとその鋭さがふっと潜められた。
「あの子を怒らないで」
「しかし……」
「あの子は悪くないわ。悪いのは……」
 美雨は言い淀んでからそっと目を伏せた。
 あの子が悪いわけじゃない。悪いのは美陽を連れ戻してしまった自分。アヴァードから何度違うと言われても、やはりその思いは拭い切れなかった。
 そして、美陽がいなくなったことでこの世界の人々が味わった落胆と絶望を改めて目の前に叩き付けられた今、あの少年が悲しそうな顔をして憤っているのも、それによって押さえつけられているのも、全て自分の所為に思えた。
 美雨はぎゅっと手を握り締めると伏せていた目を上げ、それからもう一度ディオンを真っ直ぐに見つめた。
「あの子のそばに行かせて」
「……分かった」
 少しの間の後、頷いたディオンはまず自分が馬から降り、それから美雨に向かって両手を伸ばした。その手を掴み、美雨は鐙に足を掛けながらゆっくりと地面に降りる。
 彼の手を離し、その横をすっと通り抜けると大人たちに押さえられている少年の元に歩いて行った。周りの人々は少しずつ後退り、自然と彼女が通る道が出来上がる。
「な、なんだよ!おれはほんとうのことをいったんだ!みこさまなんていらないんだ!!」
 近付いてくる美雨を警戒するように、少年は腕を押さえられながらも暴言を吐いた。
「もう、放してあげて下さい」
 少年の腕を押さえていた人に向かって言うと彼は怯えたように体を強張らせ、それから戸惑いながら少年を放した。解放された少年は一歩遠退きはしたが、それ以上逃げることもせず、じっと美雨を睨み付けている。

―― こんな小さな子が…… ――

 小さな子供が暴挙に出た、ということに美雨の心がじわりと痛んだ。この世界はそこまで追い詰められているのだ。自分が彼らから奪ってしまったものの重みを初めて本当に思い知らされた。
 美雨は膝立ちになって少年と同じ高さに視線を合わせるとその怒れる小さな瞳を見つめ、彼に向かって手を伸ばした。ビクッと彼の肩が跳ね、伸ばされた美雨の手が一瞬止まる。が、美雨は躊躇いがちに少年の頭にそっと手を置いた。
「……ごめんね…」
 呟くような小さな声。それを聞いた少年は呆気にとられたような顔をしたが、やがてしゅんと項垂れて大人しくなった。
「………」
 美雨は少年の頭に乗せた手をゆっくりと滑らせ、優しく撫でる。いつの間にか周囲のざわめきが消えていたことに気付きはしなかった。
「ミウ」
 ふと、呼ばれて視線を上げるといつの間に来ていたのか、すぐそばにディオンが立っていた。彼に手を引かれて立ち上がれば、駆け寄って来たカヤが美雨の後ろにぴたりと付き、マティアスやレイリー、クートも傍らに並んだ。
「……彼女は "光の巫女" として我らの為に努めてくれています。そしてそれは先の巫女も然り。決して我らを見捨てたわけではありません。どうかミウ様とミハル様を信じ、あなた方の心を託して下さい」
 それまで黙っていたマティアスが口を開き、まとめ上げて深く礼を執る。同じように礼を執る四神官に倣い、美雨も民衆に向かってゆっくりと頭を下げた。
「………」
 小声で話し合うようなざわめきが広がっていく。
 顔を上げた美雨が見たのは、戸惑い、困惑している人々の姿だった。彼らの瞳からはやはり怯えの色は抜けていない。

―― 仕方ない……よね… ――

 事前に詳細を聞かされていた神官ですら、滞在している間中、ずっと怯えた視線を向けていたのだ。いきなりこんなことを知らされた人達にとっては受け入れがたい事実なのだろう。
「ミウ」
 名を呼ばれ、思わず肩に力が入る。その肩を宥めるようにそっと抱かれ、見上げるとディオンと目が合った。額の赤が目に付く。
「一度神殿に戻ろう」
「……はい」
 一瞬躊躇ったものの美雨は素直に頷き、彼に促されるままその場を後にした。






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