「アリス、どうかしら」
 ふうっと息を吐きながらティナリアは満足気に尋ねた。
「相変わらずお上手ですね。ルーク様もお喜びになりますわ」
 出来上がったケーキを前にティナリアとアリスはにっこりと微笑み合う。白いクリームの上に季節の果物をふんだんに乗せたケーキは店に並べても恥ずかしくないほどの出来栄えであった。
「やっぱり少しだけ疲れるわね」
 泡立てたりするのに力を使う上、しばらく作っていなかったせいか、要領を得ずに少し時間がかかってしまった。
 それにこの甘い匂いも大好きだったのに、今は若干気持ち悪い。これにつわりも加わって、正直、作っている途中に幾度か吐きそうになったが、心配そうに見守るアリスを横目に結局最後まで作りきったのである。
「もう……だからご無理なさらないで下さいって申しましたのに」
 ティナリアの言葉に眉根を寄せたアリスは腰に手を当ててふくれっ面をした。アリスからもジル同様に無理はするな、と口を酸っぱくして言われていたのである。
「でも上手に出来たでしょう」
「まったく、ティナリア様に何かあったら怒られるのは私とジル様なんですからね」
「ごめんなさい」
 ふふっと笑いながら謝るティナリアに毒気を抜かれてアルスも笑った。
「さ、ティナリア様、お部屋でお休みになりましょう。少しお顔の色が悪いですわ」
「ええ。あ、待って。あとこれだけ」
 そう言ってティナリアがチョコレートの板をケーキに乗せようとしたその時、いつもより低い声が後ろから聞こえてきた。
「ティナリア」
 その声に振り向くと、厨房の入り口にルークが立っていた。
「ルーク!あ……今日は早かったんですね」
 内緒で用意して後で驚かせようと思っていたティナリアは慌てて持っていたチョコを台に置き、ケーキを隠そうとしてルークに近寄った。
「ケーキを作っていたのか?」
「え……と…」
 さっきの会話を聞かれていたのだろうか、言い当てられたティナリアは困ったように口籠った。それにルークの声がどことなく冷たい響きに聞こえる。
 ティナリアの沈黙を肯定ととったのか、ひどく不機嫌そうなため息が落ちる。

―― 怒ってる……? ――

「……ルーク?」
 何故ルークが不機嫌になっているのか見当もつかないティナリアはおろおろとしながら彼が言葉を発するのを待った。
「なんでこんなことしてるんだ」
「……それはその…」
 ルークの為に作っていたということにはまだ気付いていないらしい。
 後で驚かせようと思っていたティナリアはいま言うべきか迷い、言葉を濁す。それに苛ついたのか、ルークの声音がさらに機嫌悪そうになっていく。
「ゆっくりしていろと言ったよな」
 確かにそう言われていたのを思い出し、ティナリアはルークから視線を外して俯いた。
「ルーク様、ティナリア様は……」
 それまで後ろでハラハラしながら成り行きを見守っていたアリスだったが、さすがに黙っていられなくなって口を開いた。だがルークはそれを遮るように冷たい視線を向ける。
「アリス、お前までついていながら何故こんな無理をさせた」
「も……申し訳ございません」
 そう言って頭を下げるアリスを見て、ティナリアが再び口を開く。
「アリスは悪くないわ。私が作りたいって言ったから」
「主の無茶を止めるのも侍従の仕事だろう」
「ルーク、お願い。アリスを怒らないで」
 自分のせいで怒られているアリスを見るのが忍びなくて、ティナリアは止めるようにルークの腕に手を添えた。そのことで彼の視線がティナリアに戻ってくる。
 眉根をひそめて自分を見ているルークに本当のことを話してしまおうとティナリアが言葉を出そうとしたと同時に、彼の深いため息が聞こえた。
「なんで言うことを聞かないんだ。ケーキなんか今でなくてもいいだろう。青い顔をして……体を壊したらどうするんだ。大体、お前が作る必要などな……い」
 捲し立てるように言葉を並べていたルークがハッとしたように口を噤んだ。
 それまで困ったようにしていたティナリアの顔が目に見えて不機嫌になっていく。
「……わかりました。もう作りません」
 ティナリアがふいっと顔を背けて腕から離れると、今度はルークが慌てたように彼女の腕を取った。
「ティナリア?すまない、言い過ぎ……」
「いいえ、私が悪かったのですからお気になさらず。部屋に戻って休みます」
 そう言ってやんわりとルークの腕を払うと、ティナリアは呆然とする彼を置いて自室へと戻っていった。




「……なんなんだ、一体」
 ティナリアの姿が見えなくなってからルークはぼそっと呟いた。
 確かに言い過ぎたのは認める。心配のあまり、ついキツイ口調で叱ってしまった。けれどしゅんとしていたティナリアが急に不機嫌になった理由が解らなかった。
 彼女が怒ることなど滅多に、というよりあんなにあからさまに不機嫌になったところは見たことがなかった。
「ティナリア様、お急ぎください。ルーク様がお戻りに……」
 少し慌てながらそう言いって入ってきたのはジルだった。ルークがそこに居たことに驚いたように眉を上げ、それからあたりを見回した。
 厨房の真ん中で戸惑ったように立ち尽くしているルークと、そのそばでどうしたいいいか分からない、といった風に狼狽えているアリスを見て、ジルはなんとなくその場の状況を理解した。
「……ティナリア様は?」
 その声に答えたのはアリスだった。
「その……お部屋にお戻りになりました」
「ルーク様、もしかしてティナリア様をお叱りになりました?」
「まあ……少し」
 少し、ではなかったと心の中で訂正しながらジルに視線を向ける。
「お前も知っていたんだろう、ティナリアがケーキを作っていたこと」
 さっきの言葉と戻ってきたときのジルの含んだ笑いを思い出し、ルークは問いではなく断定したように聞いた。
「ええ。無理はなさらないというお約束で」
「明らかに無理していただろう、あんな青い顔して。なんで止めなかった。ケーキなんかコックに作らせればいいだろうが」
 その言葉にジルが目をすがめた。
「……ルーク様、それティナリア様にも仰いました?」
「ああ。そしたら怒って部屋に戻っていった。なんなんだ、一体」
 最初と同じ言葉を口にしたルークに呆れたようなため息が聞こえてくる。
「ルーク様、今日は何の日か覚えておいでですか」
「今日?何かあったか?」
 首を傾げながら考えてみたが思いつかない。そのうちにまたため息が聞こえてきた。
「あなた様のお誕生日ですよ」
 ああ、とルークは顔を上げた。自分の誕生日など特に興味もなかったからすっかり忘れていた。
「そういえばそうだったな。それがどうかしたのか」
「……本当にご自分のことになると鈍いですね」
 呆れたようなジルの言葉に怪訝そうに顔をしかめた。
「ティナリア様が作っていたのはルーク様のバースデーケーキですよ」
「………は?」
 予想外の言葉にルークは言葉を失った。
「ジル様!ティナリア様が内緒にって」
「言わなければルーク様はご自分がしでかしたことに気付きませんよ」
「でも……」
 小声でそんなことを言っているアリスとジルを横目に、ルークは彼女が作っていたケーキの側に歩いて行った。きれいに作り上げられたケーキはまるでどこかから買ってきたのではないかと思うほどだ。
 そしてその傍らに置いてあるチョコレートの板に書かれた文字を読んで、ルークは頭を抱えるように額に手を当てた。

"HAPPY BIRTHDAY LUKE"

「贈り物がない、と困っていたティナリア様がルーク様の為に作るって言い出したんですよ。止められるわけないじゃないですか」
 しかめっ面だったそれまでとは打って変わってルークの頬が思わず緩んだ。と、同時に自分の失言に思い当たり、深いため息を零した。
「それなのに "ケーキなんか" はないですよ、ルーク様」
「………言うな、解ってる」
 そう、ティナリアが突然機嫌を損ねたのはその言葉のせいだろう。
 自分の為を想って一生懸命作ったものをルーク自身が切り捨てたのだ。それは誰だって怒るに決まっている。
「ティナリアのところに行ってくる」
「怒ってはいけませんよ」
「謝りに行くんだよ」
 頭を掻きながらバツが悪そうにそう言うと、アリスもほっとしたようだった。
「アリスも悪かったな」
「本当ですよ。私の婚約者をいじめないで下さい」
 照れて俯くアリスを庇うように肩を抱くジルに苦笑しながらルークはティナリアの部屋に向かうべく、厨房を後にした。

―― まさか俺の為とは…… ――

 知っていればあんな言い方はしなかったのに、と八つ当たり気味に独り言ちるがすぐに首を振った。そうこうしているうちにティナリアの部屋の前に辿り着くと、ルークは躊躇いがちに扉を叩いた。
「ティナリア」
 声をかけても返事がない。扉を開けようとドアノブに手をかけたとき、ようやく中から声が聞こえた。
「入ってこないで」
「……ティナリア、さっきは」
「気分が優れません。今日はこのまま休みますから放っておいて下さい」
 ルークの言葉を遮ってティナリアはそう言った。
 彼女の言葉の端々から棘のようなものが感じられる。初めて聞くその声音にルークはぎくりとして思わず扉から手を離してしまった。
「……ティナリア?」
 幾度か尋ねてももうティナリアは返事をしてくれない。

―― 完全に怒らせてしまったな…… ――

 このまま入って行ってもきっとティナリアは機嫌を直してはくれないだろう。どうしたらいいものか、とため息を吐きながらすごすごと自分の部屋に戻っていった。




 夕食の時間になれば出てきてくれるだろうと高を括っていたルークだったが、その期待を裏切り、ティナリアが部屋から出てくることはなかった。
「ティナリア様はご気分が優れないようで、お夕食は召し上がらないとのことです」
 そう告げるアリスだったが、彼女のじとっとした視線からしてそれは嘘だとはっきりわかる。そこまでティナリアを怒らせてしまったのだ。
「……そうか。あとでまた部屋に行くと伝えておいてくれ」
「かしこまりました」
 ため息を吐きながらアリスに言伝ると、彼女は頭を下げて食堂をあとにした。
 その日の夕食はひどくつまらないものだった。誕生日を祝う豪華な食事もティナリアがいないのであれば味気ないものになってしまう。
 味わうこともせずに口に運んでいる間、ルークはどうすればティナリアが許してくれるだろうか、とそればかり考えていた。
 そしていい案が思い浮かばないままティナリアの部屋の前に立ち尽くすこと数十分、ノックもせずに頭を抱えるルークの姿があった。
「……まいったな…」
 ということで話の冒頭へと戻ることになる。






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