ランプの灯りの中、ティナリアは頬杖をつきながら気怠そうに窓の外を眺めていた。もうあと二時間もすれば日付が変わってしまう。言い換えればあと少しでルークの誕生日が終わってしまう、ということだ。
 静かな部屋の中に何度目かのため息が響く。
「失敗しちゃった……」
 いい案だと思ったのに、とティナリアは独り言ちた。
 あの時ルークがあんなに怒ったのは自分の体のことを心配してのことだということは分かっている。心配をかけてしまって申し訳ないとも思う。
 だけど、とティナリアは心の中で反発した。

―― "ケーキなんて" まで言わなくたっていいじゃない…… ――

 ルークの為だと知らなかったとはいえ、一生懸命作ったものを贈ろうとしていた相手にそんな風に言われたのは思いの外ショックだった。
 だからつい可愛くない態度をとって子供のように拗ねてしまったのだ。
 あの後、何度かルークが部屋に来てくれたがティナリアは具合が悪いから、と言って会おうともせずに追い返していた。
 別にもう怒っているわけでもないのだが、一度タイミングを逃してしまったらなかなか素直になることが出来なかった。そしてとうとうこんな時間まで意地を張ってしまったのである。
 ルークがあとで部屋に来るとアリスから聞いていたから次こそは、と思っていたのに、彼が来る様子は一向にない。
 いつまでも拗ねている自分に愛想を尽かしたのではないか、と心配になってくる。
「おめでとうも言ってないのに……」
 小さく呟くとティナリアは意を決したように立ち上がった。
 そしてティナリアが部屋の扉を勢いよく開けた時、目の前にいたのはルークだった。彼の手には喧嘩の原因となったケーキがある。
「……ルーク…」
 目を瞬かせて彼を見上げれば、ルークは気まずそうに目を逸らした。
「あー……入っていいか」
 何かを誤魔化すかのようにぼそっと呟くルークにティナリアは頷くことで返事をした。
 ホッとしたように顔を和らげたルークはケーキを片手に持つと部屋の扉を押さえ、ティナリアを中へと促した。それに続いて自らも入り込むと静かにその扉を閉める。
 しかし部屋の中に入ったはいいが二人とも口を開こうとはせず、妙な沈黙があたりを包む。
 テーブルの上に慎重にケーキを置くルークをじっと見つめながら、いつから部屋の前にいたのだろう、とティナリアは彼に気付かれないように首を傾げた。
 いま来たばかり、というには何処かひっかかるものがあった。それに扉を押さえるときに触れた手はひどく冷たかった。
「ティナリア」
 ぼんやりとそんなことを考えていたティナリアは声の主をぱっと見上げた。
「すまなかった……俺の為に作ってくれたんだな」
「………」
 ルークはそっと頬に触れながら謝った。困りきったように片眉を下げる彼はなんだか子供のように頼りなく見える。
「まだ怒ってるのか」
「……怒っては……いないけど…」
 そう言って顔を背けてからティナリアはしまった、と思った。せっかくルークが謝ってくれたのに、どこかに残っていた意地が表に出てしまった。
「どうしたら機嫌を直してくれる」
 宥めるような口調にティナリアは顔を背けたままぽつりと答えた。
「……ケーキ………食べてくれたら…」
 その答えが予想外だったのか、ルークは驚いたようだったがすぐに彼女に向かって微笑んだ。
「もちろん」
 ルークはそばにあった椅子にティナリアを座らせるとその向かい側に自分も腰を下した。二人の間に挟まれたテーブルの上にティナリアの力作が乗っている。
「ナイフを忘れたな。このままでいいか」
「待って」
 用意してきたフォークに伸ばしかけたルークの手がぴたりと止まる。首を傾げてティナリアを見やると、彼女はしゅんとして瞳を伏せた。
「あの……ごめんなさい」
「ティナリア?」
「……せっかくのお誕生日なのに……拗ねたりして…」
 目を瞬かせながら次の言葉を待っているルークをちらっと見てからティナリアはゆっくり息を吸い込んだ。
「ルーク…お誕生日おめでとう……心配かけてごめんなさい…」
 少しだけ困ったように微笑むティナリアにルークは相好を崩した。
 そしておもむろに椅子から立ち上がるとルークはティナリアのそばに行き、彼女の体を持ち上げた。驚くティナリアをそのまま膝の上に座らせてその頬にキスを落とす。
「ありがとう、嬉しいよ」
 その言葉にティナリアは嬉しそうに笑った。
 それを覗き込むようにしていたルークだったが、思い出したように彼女の頬に手を添えた。
「体はもう大丈夫なのか」
「あのくらい平気ですよ。ブノア先生からも少しは動いたほうがいいって言われているし」
「そうか」
 ブノアの名前を聞いてようやく納得したのかルークは話を区切るとティナリアを膝の上に乗せたままフォークを手にした。ふんわりと焼き上げられたスポンジを切り取って口に運ぶ。
「……美味い」
「よかった。久々だったから少し心配だったの」
 少し驚いたようなルークの言葉にティナリアははにかんだようにそう言った。
「前から作っていたのか?」
「ええ、島にいた時に。侯爵家の娘がこんなことするなんて思わなかったですか?」
 良家の子女がケーキを焼くなんてあまり聞かない話だろう、ティナリアがそれをすると知った者が皆、一様に驚いていたのを思い出す。彼女はくすくすと笑いながらそう言った。
「そうだな、驚いた」
 ルークの言葉にティナリアは満足そうだったが、パクパクと食べ続ける彼をじっと見ながら尋ねた。
「そんなに食べて大丈夫ですか?甘さは控えてあるけど」
「美味くてつい手が伸びる。ティナリアも食べるか」
 返事も聞かないままルークはケーキを掬うとそのままティナリアの口に運んだ。彼女は照れながらも差し出されたケーキをぱくりと口に含む。
「世界で一番美味いだろ」
「言い過ぎですよ」
 ルークの過大評価にティナリアは苦笑した。
「いや、やっぱり二番目、かな」
 そう言ってルークはティナリアの唇をペロッと舐めた。
 ティナリアが驚いているうちに再び口付けられ、いつの間にか深いものになっていった。
「ん……っ…」
 苦しくなって息を吐くたびケーキの甘い香りが掠めていく。ケーキの甘さと相俟ってその口付けはくらくらするほどひどく甘いものだった。
「……こっちが一番だ」
 ようやく解放されるとルークがニヤッと笑ってそう呟いた。
「もう……からかってばかり」
 息を乱しながら恨めしそうに彼を見れば、その視線すらも可愛いとでも言いたげな優しい瞳とぶつかった。
「からかってなどない……お前が一番だ…」
 そう言って再び唇を重ねられ、ティナリアはゆっくりと瞳を閉じた。




 ノックしようとしたのと同時だった。
 扉が勢いよく開いてティナリアが中から顔を出した。ずっとここにいたことには気付いていないとは思うが、なんとなく気恥ずかしくてルークはつい彼女から目を逸らしてしまった。

―― 情けないな…… ――

 ルークは心の中で苦笑しながら入っていいか、と尋ねた。ティナリアが小さく頷いたことにホッとして彼女の気が変わらないうちにと部屋に入っていった。
 手にしていたケーキを置いてちらりとティナリアを見やれば、彼女は何かを考えるような顔でルークを見ている。
「すまなかった……俺の為に作ってくれたんだな」
 返事をしないティナリアに怒っているのかと聞けばもう怒っていない、と答えたがその言葉に反して彼女の顔はルークから背けられた。それは言葉よりも如実に機嫌が直っていないことを表しているようだった。
「どうしたら機嫌を直してくれる」
 困りながら口を開けばルークの予想とは全く違う答えが返って来た。
「……ケーキ………食べてくれたら…」
 その拗ねたような口調が可愛くて思わず抱きしめたくなる。なんとか抑えて椅子に座り、ケーキを食べようとしたルークにティナリアから "待った" がかかる。
「ルーク…お誕生日おめでとう……心配かけてごめんなさい…」
 先ほどは抑えられた衝動も、今度の言葉と笑顔にはもう我慢がならず、気付けばティナリアの細い体を抱き上げていた。
 ティナリアが笑ってくれたことに心底ほっとして、彼女を膝の上に座らせながらルークはバースデーケーキに手を伸ばした。
「……美味い」
 ルークは一口食べてその味に驚いた。店に並べても遜色ないくらい美味しい。
 以前から作っていたと聞いてその味に納得したルークは会話しながらも手を止めずに食べ続けた。しばらくはそれを見ていたティナリアが心配そうに覗き込んでくる。
 そんな彼女にケーキを口元に運んでやれば照れながらも小さな口でぱくりと食べる。小動物のような愛らしさにルークは頬を緩めながら、その赤い唇についたクリームをぺろりと舐めとった。
「ん……っ…」
 驚いているティナリアに口付ければ零れ落ちる吐息から甘い香りが鼻孔をくすぐっていく。
 からかったようなルークの一言に恨めしそうな瞳を向けるティナリアにふっと笑いかけると彼は再びその唇を合わせた。

―― 砂糖菓子のようだ ――

 甘い香りを放つティナリアにふとそんなことを思う。
 しばらくは甘やかに繰り返していた口付けだったが、それが次第に咬みつくようなものになるとティナリアは慌てたように身を引こうとした。
 が、ルークが膝の上でしっかりと抱きかかえている為、逃げることなど出来るはずもない。
 ティナリアの懐妊を知ってから久しくすることのなかった濃厚な口付け。それが意味するものは一つである。
「……ルー…っ…」
 唇を解放するとルークはいきなりティナリアの体を抱き上げた。そのまま彼が向かった先はベッドである。
 そっとティナリアの体を降ろすとその上に覆い被さるように手をついた。白い首筋に唇を這わせるとティナリアから抗議の声があがる。
「ルーク!」
「なんだ」
 飄々として言うとティナリアは頬を染めて困ったように俯いた。その仕草がいちいち可愛い。
「……無理はするなって言ってたくせに…」
「ブノアからも動けって言われてるんだろう」
「そ…そういう意味じゃ……っ…」
 反論しようとした唇を塞いでティナリアの言葉を呑みこんでいく。そのまま少しだけ唇を離すとルークはふっと息を漏らして笑った。
「冗談だ」
 その言葉にティナリアが拍子抜けしたような顔をした。
「……これ以上欲しがっては罰が当たりそうだ」
 そう言ってルークはティナリアの体を優しく抱きしめて彼女の隣に横たわった。当のティナリアは言葉の意味を解せなかったのか、不思議そうな瞳でルークを見つめている。
「ケーキしかあげてませんよ?」
「いや、他にもたくさん貰ってる」
 ティナリアの額に優しく口付けるとルークは穏やかに微笑み、口を開いた。
「こういう時間。お前の笑顔。愛おしいと思う気持ち。それに……ここにいる命…」
「……ルーク……」
 その言葉とお腹に添えた手にティナリアは微笑んだ。
「ありがとう、ティナリア。最高の誕生日だ」




 そう言って笑うルークは少年のようだった。いつもとは少し違うその笑顔にティナリアはさらに目を細めた。
「……よかった」
「来年もまた作ってくれるか」
 その言葉にティナリアはくすっと笑った。
「もちろんです。毎年作ってあげますよ」
「誕生日なんて興味なかったが、来年からは楽しみになるな」
「これでもうご自分の誕生日を忘れないかしら」
「ははっ、そうだな」
 楽しそうに声を上げて笑うルークの腕に包み込まれていたティナリアは思わず彼の胸にすり寄った。それに気付いたルークは優しく、けれど先ほどよりもしっかりと彼女の体を抱きしめた。
 温かな腕の中にいると自分も、そしてお腹に宿る小さな命も愛されていると心の底から実感出来る。
「来年は賑やかになるな」
「……そうですね」
 来年にはここに新しい家族が増える。二人きりの誕生日はこれが最後だ。

―― きっと楽しいだろうな…… ――

 焼きたてのケーキを持っていけば子供を腕に抱いたルークが自分の元へと歩いてくる。
 そんな幸せな光景を頭の片隅で思い浮かべていたティナリアだったが、程よい疲れにいつの間にか瞼が重くなってきたようだ。彼女はそれに逆らうことなく眠りの世界へと入っていった。
 そんなティナリアを優しい瞳で見つめながらルークは髪を梳くように彼女の頭を撫で続けた。



end...      .





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