そんなことを思い出しながら陽の光を浴びているうちについウトウトしてしまったようだ。気付いたらもう昼近くである。
 部屋を出て階下へ降りると屋敷の中はいつもとほんの少し違っていて、使用人たちは何やら忙しそうであった。ティナリアはそれを見ながら不思議そうに首を傾げた。

―― 何かあったのかしら ――

 そう思ったとき丁度よく金髪の青年が前から歩いてくるのを見つけた。
「ジル、今日は何かあるの?」
 見上げるようにして問いかけたティナリアに、ジルは少しだけ驚いたように眉を上げたが、すぐに穏やかに微笑んで彼女の質問に答えた。
「ティナリア様、今日はルーク様のお誕生日ですよ」
「え?」
 ジルはくすくすと笑いながら、驚き顔のティナリアに言葉を続けた。
「ルーク様はご自分のことには無頓着ですから、誕生日を忘れるのは毎年のことですが、今年はティナリア様もお忘れでしたか」
「………」
 図星だったのだろう、ティナリアはしまった、という風に口元に手を当てている。
「仕方ありませんよ。このところティナリア様も健診やら何やらでお忙しかったですし」
「でも……誕生日を忘れるなんて…」
 困ったように眉を寄せ、小さくため息を吐く。そんな彼女にジルは笑いながらフォローした。
「ルーク様自身、覚えていませんよ」
 確かに今朝も誕生日のことは一言も触れていない。夜になって祝われるまできっと気付きもしないのだろう。
「私の時はあんなに張り切っていたのに、ね」
 五月のティナリアの誕生日は結婚記念日ということもあってか、内輪でだがかなり華やかに祝われたのを思い出し、ティナリアは苦笑する。
 だけどそんな風にやってもらったのに、自分は夫の誕生日を忘れてた上に贈り物もないなんてさすがに申し訳なさすぎる。
「今から何か買いに」
「駄目ですよ」
 買いに行こうかな、と言う前にジルがにっこりと拒否する。
「ルーク様からも仰せ付かってますから。ティナリア様がご無理なさらないように、と」
「でも……」
「ルーク様なら贈り物がなくても気になさいませんよ。ティナリア様の笑顔でお祝いして差し上げればいいんです」
 ジルの言葉は的を得ていた。きっとルークはそれだけで喜んでくれるだろう。
 それに今の自分の状況を考えたらあまり馬車に乗りたくないのも確かだった。つわりだって治まっていないし、揺られるのはよくないだろう。

―― だけど何かあげたいな…… ――

 むうっと考え込むティナリアにジルは頬を緩めた。
 くるくると変わる表情も快活な口調も、すっかり元来のティナリアに戻っている。拗ねた子供のようなその仕草は彼女を実際の年齢よりも少し幼く見せた。
「……じゃあここから出なければいいのね?」
 何か思いついたのか、ティナリアはにこっと笑ってそう言った。
「まあ、無理をなさらないのであれば……何をなさるおつもりですか」
 ジルが不安げに尋ねると、ティナリアはふふっと笑って答えた。
「ケーキを焼こうかなって」
「……ケーキ?」
「ええ」
 当たり前のように頷くティナリアにジルの驚いた瞳が向けられる。
「ティナリア様がですか?」
「実家ではよく作っていたのよ」
 ここに嫁いでからは一度も作ったことはないが、確かにティナリアのケーキの腕前はかなりいい。その得意分野を思い出し、ティナリアはルークにバースデーケーキを作ろうと思ったのだ。
 それならば屋敷から出なくて済むし、ルークを驚かせることも出来るだろう。我ながらいい案だ、とティナリアは口の端を上げた。
「それは存じませんでした。しかし結構な力仕事なのでは?」
「大丈夫。無理はしないわ。ね、いいでしょう?」
 ジルにせがむように頼み込むと苦笑したような彼の声が聞こえてくる。
「かしこまりました。ですが本当にご無理なさらないで下さいね」
 ジルの了承を得てティナリアはにっこりと微笑んだ。
「ええ」
 そうしてティナリアのケーキ作りが始まった。




 街の視察も終わって日も暮れ始めた頃、屋敷へ戻ろうとしていたルークはある一軒の店の前で足を止めた。
 窓際に並べられた色とりどりの玩具。それらをじっと見つめるルークの瞳は柔らかだった。

―― 買って行ったら喜ぶだろうか ――

 それともまだ生まれてもいないのにこんなものを買って、と呆れられるだろうか。だけどティナリアが身籠ったことは本当に言葉に表すことが出来ないほど嬉しかったのだ。
 あの時も、とルークは少し前のことを思い出した。ティナリアから身籠ったことを告げられた時、 "ありがとう" としか言葉が出てこなかった。
 身籠ったことに対して自分が喜んでくれるか、そして己の体の変化に一人で不安だったのだろう、涙を浮かべるティナリアが可愛くて可愛くて仕方がなかった。この手で守ることを再び誓えば彼女は花のように笑ってくれた。
 そしてそんな愛おしい妻の腹に宿ったまだ見ぬ我が子もすでに愛おしすぎてたまらない。
 ルークは店に入るとそのうちの一つを手に取った。
 クマのぬいぐるみだ。ふかふかとした手触りが気持ちいいこげ茶色のクマを目の高さまで持ち上げ、ルークはふっと苦笑した。
「気が早いな」
 そのぬいぐるみを抱き締める子供の姿を想像してしまった。今からこれでは先が思いやられる、と心の中で独り言ちながらもクマを片手にカウンターへ持っていく。
「贈り物ですか?」
「ああ……いや、そのままでいい」
 ラッピングしようとした店主を止め、袋にだけ入れてもらう。
「女の子ですか?」
 まだ若いその店主がガサガサと袋に入れながら聞いてくる。その言葉にルークは困ったように笑いながら答えた。
「いや……まだ生まれてないから分からん」
 店主は一瞬驚いたようだったが、にこっと人好きのする笑顔を浮かべた。
「お生まれになったらきっとお子様も気に入りますよ」
 そう言いながらルークに袋を手渡す。ルークは礼を述べて金を支払うとその店を出た。

―― やっぱり早かったか ――

 先ほどの店主の驚いた顔を思いだし、苦笑する。
 ティナリアはどんな顔をするかな、と想像しながら思わず緩みそうになる顔を引き締め、ルークは屋敷への道を急いだ。




 馬車から降りて屋敷の扉をくぐると微かに甘い匂いが立ち込めている。普段とは違う匂いに不思議そうに首を傾げたルークは出迎えたジルに問うた。
「なんだ、この匂い」
「ああ、これですか。ケーキですよ」
「ケーキ?」
「ええ」
 含むような笑みを浮かべてジルが答える。
「……?」
 そんなジルに怪訝そうな顔を向けていたルークだったが、そのうち興味がなさそうに小さく肩を竦めて自分の部屋へと向かった。
 買ってきたばかりのぬいぐるみが入った袋を机の上に置き、着替え終えたルークはふと顎に手を当てた。小腹が減ったと思っていたところにさっきのジルの言葉が浮かんでくる。
 ここで作っているということはこの屋敷の誰かが食べる為のものだろう。甘いものはそれほど好きなわけではないが、ケーキを少し分けてもらって腹を満たしておこうかとルークは厨房へ向かった。
 が、向かった先にいたのは何故かティナリアとアリスだった。
「やっぱり少しだけ疲れるわね」
「もう……だからご無理なさらないで下さいって申しましたのに」
「でも上手に出来たでしょう」
 そんな会話が聞こえてくる。ルークの存在に気付いていないらしい二人はきゃっきゃと声を上げながら話をしていた。
 そしてルークはティナリアと彼女たちの手元にあるケーキを交互に見やり、先ほどの会話を頭の中で繰り返した。

"上手に出来たでしょう"

 確かにティナリアはそう言った。ということはあのケーキはティナリアが作ったということだろうか。
 ティナリアがケーキを焼くということ自体驚いたが、それ以上に彼女の体が心配になった。ケーキと言えばかなり力を使う作業だって多いはずだ。よく見ればティナリアの顔色はそんなに良くないように見える。
 つわりだってまだ治まっていないはずだ。詳しいことは分からないが、こんな香りの強いところにいれば余計に悪化するのではないだろうか。

―― ゆっくりしていろと言ったのに…… ――

 身重の体で、しかも朝出かける前に無理はしないように、と言い含めていたはずなのに何故ティナリアはそんなことをしているのか。
 心配からくる苛立ちを感じながらルークはその場からティナリアに声をかけた。






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