翌朝、窓から燦々さんさんと差し込む光に起こされ、ルークは寝返りを打ちながら渋々といった様子で重たい瞳を開けた。
「………」
 ぼんやりとした意識が次第にはっきりとしてくる。それと同時にルークの口元に笑みが浮かんだ。
 開いた瞳に最初に映ったのは、隣ですやすやと眠るティナリアのあどけない寝顔。まるで穢れを知らない天使のようだ。
 ルークは枕元に広がるティナリアの金の髪を優しくきながら、昨夜のことを思い出した。
 拒絶する様子を見せないティナリアをゆっくり抱きしめたときのあの感覚は、言葉で言い表すことが出来ない。
 久しぶりに合わせた肌は相変わらず美しく、ティナリアが怖がらないようにと出来る限り優しくしていたつもりだが、正直、大切にしてやれたのか分からない。惚れた女を前にして自分を抑えるのがあれほど大変だとは思ってもいなかった。
 この自分が女のために我慢しているということにも驚いたが、ルークが一番驚いたのはティナリアの反応だった。
 自らの意思で受け入れてくれた彼女は、無理やり手に入れたときなど比べ物にならないほど甘い声を上げた。そして彼女にも心があるからこそ、抱いた時のあの表情や仕草がより愛おしく、満ち足りた気持ちにさせてくれるのだろう。
 初めて本当にティナリアを抱いたような気がした。

―― それに…… ――

 ルークはティナリアの手を見つめた。
 押さえつけるだけだったその細い手を本当はいつも握りしめたかった。振り払われるかもしれないと思いながらもルークはそっとティナリアの手に自らの手を重ねたときを思い出す。
 握り返したあの小さな手。微笑みながら呼んだ名前。その瞬間、ルークは泣きたくなるほどの幸せを感じた。
 出逢ってから一度も呼ばれることのなかった自分の名前を、その美しい声で紡ぎ出してくれたことが何よりも嬉しかった。ティナリアの手がそっとルークの頬に触れ、彼女はもう一度呼んだ。いつも聞きなれている名前なのに、彼女の声で紡がれるそれは神聖で綺麗なものに聞こえた。
 結局、ティナリアが意識を手放してしまうまで抱いてしまったわけだが、彼女の寝顔からは苦痛の表情は見受けられない。そのことにホッとしながらルークはティナリアの顔をじっと見つめた。

―― 言うつもりなんてなかったんだがな…… ――

 思わず零れてしまった "愛してる" の言葉。
 ティナリアの微笑みを見た瞬間、もう駄目だった。想いが溢れ、勝手に口をついて出ていた。
 それを聞いた時、ティナリアの瞳が揺れたのをルークはしっかりと目にしていた。あの言葉が少しでもティナリアの心に響いてくれたのだろうか。
 ルークは穏やかな顔で眠る彼女を見ながらルークはふとあることを思い出した。いつものルークの日課だ。
 アレンの婚約を知った夜からずっとうなされ続けていたティナリアが、昨夜はうなされることがなかったようだ。いつもならルークがそれを落ち着かせるのだが、それを必要としないほど静かに眠っていた。
 まるで自分がそばにいたからなのではないか、と自惚れた考えまでしてしまう。そんなことを考えた自分に呆れながら、ひとまずティナリアが穏やかに眠れたことに安堵する。

―― そういえば、こうやって見るのは初めてだな ――

 ティナリアのゆったりとした寝息を聞きながら、ルークは初めて共に朝を迎えたことに喜びを感じていた。
 無理やり抱いていたあの頃は、罪悪感で朝まで彼女のそばにいることなど出来ようもなかった。だけど今日は違う。愛する者の隣で目を覚ますということがどれほど幸せなことか、ルークは胸が苦しくなるほどに感じ取った。
 その幸せを噛みしめながらルークは朝陽を受けて静かに眠るティナリアにそっと口付けを落とした。
「……ん…」
 ぴくっと肩を縮め、ティナリアは一度身動みじろぎするとその瞳をゆっくりと開いた。
「……おはよう」
「………」
 まだ意識がはっきりとしてないのか、焦点の合わない瞳でぼんやりと見つめ返してくる。初めて目にする、その寝ぼけたような眼差しが可愛くて仕方ない。
「よく眠れたか?」
「……っ!」
 ようやくいまの状況が判断できたようだ。息をのんで慌てたように起き上がると、その勢いで掛けていたシーツがはらりと落ち、白い肌が露わになった。ティナリアは小さく悲鳴を上げて落ちたシーツを手繰り寄せるとその肌を隠し、胸元を押さえた。
「あの……どうしてここに…」
 一瞬、質問の意味が掴めずにルークは首を捻ったが、すぐに思い当たった。
 行為が終ったあとはいつも一人にしていたから、ティナリアはそういうものだと思い込んでいたのかもしれない。だから起きたときにルークがいて驚いたのだろう。
「離したくなかったんでな。嫌だったか?」
「……いえ…」
 そう小さく答えるとティナリアは恥ずかしそうに視線を落とした。黙って俯いたまま、しばらくたっても顔を上げてくれない。次第に無理をさせ過ぎたのではないかと心配になってくる。
「どうした?身体がつらいのか?」
「…いえ……そうじゃなくて…」
「なんだ?」
 そう言って口籠ったティナリアを覗き込むようにすると、彼女は落ち着かない視線をルークに向けた。
「………」
 合ったと思った瞬間、ティナリアが再び視線を下げた。

―― もしかして…… ――

「……照れてる、のか?」
 独り言のようにぽつりと呟いたルークの言葉にティナリアはパッと顔を上げた。その表情は今までみたこともないほど愛らしく、普段は白いその頬がみるみるうちに薄紅色に染まっていく。
 それを目にしたルークは思わず声に出して笑ってしまった。
「ははっ、そうか」
「照れてなんか……」
 必死に否定しようとするティナリアの様子も可愛らしく、ルークはさらに相好を崩した。

―― あのときのようだ ――

 初めて会ったとき、"泣いていない" と強がりな嘘を言っていたティナリアを思い出し、ふっと笑った。まだかなりの硬さは残るものの、いま目の前にいるティナリアに人形のような無機質さはもうない。
「……ありがとう」
 突然礼を言われたティナリアは、何のことかと首を傾げる。
「俺を受け入れてくれて」
「………」
 その言葉にティナリアはハッとしたようにルークの瞳を見つめた。そして少しだけ表情を曇らせると、美しい青い瞳を伏せた。
「……私……まだ…」
 そう言った小さな声と、露わになっている華奢な肩が震えているような気がした。
 ルークにはティナリアが何を言わんとしているのかがすぐに分かった。
 その肩を引きよせて彼女を優しく抱きしめてやると、抵抗することなくルークの腕の中に納まった。弾みで金の髪がさらりと落ち、ルークの肌をくすぐっていく。
「いいんだ」
「……でも…」
「いいんだ」
 ティナリアの言葉を遮って、ルークはもう一度同じことを言った。

―― まだ心に想う男がいても…… ――

「……ルーク…」
 鈴を転がしたような澄んだ音がルークの耳元で聞こえた。
 ティナリアを抱きしめながら笑みを零したルークはそっと身体を離すと彼女の戸惑いの残る瞳を見つめ、ふっくらとした唇に口付けを落とした。
「……そうやって名前を呼んでくれるだけで充分だ…」
「………」
 その言葉に安心したのか、ティナリアは不安げだった表情を和らげ、少しだけ首を傾げるようにしながらルークに向かって柔らかく微笑んだ。
 無防備なその仕草は愛おしさを通り越して、ルークの男の本能を刺激する。再び重ねた唇は次第に深く、噛みつくように変化していき、ティナリアもそれに戸惑いながらも振り払おうとする気配はない。
「……んっ…っ……はっ…」
 ようやく唇を離したルークは、ティナリアの表情を見て自らの口を押さえながら焦ったように顔を背けた。
「……そういう顔をするな」
「え?」
 言われた意味が分からないのだろう、ティナリアは戸惑いながら聞き返してくる。
 唇を離した後のティナリアの表情はあまりに艶っぽく、簡単に我を忘れさせてしまうような色香を放っていた。昨夜の余韻が消えない状態でそんな顔を間近でされたルークはたまったものじゃない。

―― 自分がどれだけ男を狂わせるかわかってないのか…… ――

 ティナリアに聞こえないよう、ルークは軽くため息を吐いた。
「抱きたくなる」
「………」
 面と向かってそんなことを言われたティナリアはどう答えていいのか分からず、ただ黙って恥ずかしそうに顔を伏せた。
 ルークはそんな彼女の頭を優しく撫でるとベッドから降りて手早く服を身につけた。
「冗談だ。いまはこれで充分だと言っただろう」
 ティナリアはそう言ったルークを意外そうに見つめている。その表情が心外だったのか、そんな彼女を少しだけからかってやろう、とルークの心に悪戯心が芽生えてくる。
 頬に触れるように手を伸ばすとその軌道を突然変えて、彼女が手で押さえているシーツをパッと奪ってやった。ティナリアはさっきよりもやや大きな悲鳴を上げて、陽にさらされた膨らみを隠そうと腕を交差させている。
「意外そうな顔するからだ。ほら、早く服を着ろ。風邪を引いてしまうぞ」
 ルークは愉快そうに笑いながらティナリアに服を手渡した。彼女の表情が少し怒ったようにも思えたが、知らない表情を見るのは楽しかった。
「……そこに居られては着替えられません」
「では先に降りていよう。あとでアリスを呼んでおく」
 そう言って部屋を出かけたルークはぴたりと足を止め、ティナリアのほうを振り向いた。
「そうやって思ったことを言葉にでも表情にでも出してくれればいい。もう隠す必要はない。そのままでいろ」
「………」
 じっと見つめてくるティナリアにふっと微笑んで、ルークは部屋をあとにした。




 部屋を出たルークは廊下を歩きながら軽いため息を吐いた。
 ティナリアの微笑みが、照れた顔が、困った顔が、目に焼き付いて離れない。

―― まいったな…… ――

 以前のティナリアを知らないルークには彼女が昔のように戻ったかどうかまでは分からないが、それでも今までに比べると確実に変化しているのは分かる。そしてそれらはルークの想像以上であり、彼女の新しい表情を見るたび、どんどん惹かれていった。
 しかしティナリアは自分を受け入れてくれたとはいえ、いまだに心を全て開いてくれたわけではない。だからルークは今後も抱くことは極力控えようと思っていた。
 それなのに彼女のその表情や仕草はいちいちルークの本能を刺激し、つい衝動に駆られてしまいそうになる。

―― 微笑わらってくれるのは嬉しいが、あれほど無防備になられると…… ――

 そう思いながらルークは改めてティナリアの美しさと、彼女に惚れている自分を痛感した。これから先、自分をコントロールすることが出来るのか不安になりながらも、ルークは口元に笑みを浮かべながら階段を下りていく。
 自室へと向かう途中、ちょうどよくアリスの姿を見つけた。
「早いな」
「ルーク様。おはようございます」
「ティナリアの着替えを手伝ってやってくれ。もう起きている」
「え?…………あ……はい」
 初めは不思議そうにしていたアリスだったが、状況を察したのか小声になって返事をするとルークに一礼をしてパタパタと去っていった。ルークはそれを苦笑しながら見送ると、再び自室へと向かった。
 部屋に入ると身体を投げるようにして椅子に座ったが、ふと窓に目をやって立ち上がった。窓に近付くとそれをゆっくりといっぱいに開け放つ。ひんやりとした朝の空気が清々しい。
 秋の高い空を見上げながら、ルークは久しぶりに晴れやかな気持ちを感じていた。






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