抱き上げられてベッドへと連れて行かれる時も、正直ティナリアは迷っていた。
 このまま抱かれることを望んでいるのか、自分の心が定まらないままルークの愛撫が始まる。確かめるように触れる手はティナリアに甘い快感を与え、彼女は困惑しながらもそれに従いつつあった。
 しかし、身体に植えつけられた恐怖はそう簡単に拭い去れるものではない。
 ルークの指先が足の間へと進み、掬い上げるように潤ったそこに触れた瞬間、ティナリアは無意識のうちに抵抗するように体を強張らせていた。
「…やっ…っ………あ…の……」
 あの言い知れない怖さが甦ってくる。ティナリアは自分の手をきつく握り締めた。

"やめて"

 そう言おうとした時だった。
 それまで動いていたルークの手がピタリと止まり、じっと瞳を合わせたあと彼は "すまない" と一言だけ呟いて、胸の間へと顔を伏せてしまった。
 肌にかかるルークの髪がくすぐったいが、身動きすることも出来ずにティナリアは自らの胸の上にいる彼の頭を眺めていた。
 落ち込んだ子供のように伏せているルークを見ていると温かい気持ちが込み上げてくる。

―― 後悔してるの……? ――

 なぜそんなことが思い浮かんだのか分からない。
 けれどきっとルークは以前、無理やり自分を抱いたことを後悔しているのだ、とティナリアは確信に近いほど強くそう感じていた。
 今までならルークが何を考えているのか、何を思っているのか全く知る由もなかったが、彼の優しさに気付いたいま、その答えは驚くほど自然に浮かんできた。
 それを不思議に思いながらもルークから視線を反らせずにいると、しばらく顔を伏せていたままだった彼がようやく顔を上げた。
「無理強いをして悪かった」
 少し寂しそうに笑いながらそう言って離れようとしたルークを見たとき、ティナリアの心は決まった。
 ルークの瞳を真っ直ぐに見つめて小さく首を振ると、彼は起こしかけた体を止めた。それを見てからティナリアは小さく息を吐き出し、瞳を閉じて体の力を抜いた。握りしめていた手も自然と開いていく。
「……いいのか…?」
 閉じた瞳が作り出した暗闇の中でティナリアの耳に戸惑ったようなルークの声が聞こえた。

―― 本当はこわい……流されているだけなのかもしれない……だけど… ――

 ゆっくりとその瞳を開け、ティナリアは薄く微笑んだ。
 今度は無意識ではなく、はっきりとした自分の意思でルークに向かって微笑んでいた。それ以外にルークを安心させてやる方法が思いつかなかった。
 しかし、それを見たルークの顔はティナリアの意に反して次第に辛そうに歪んでいく。そしてその表情はいつか見たことがあった気がした。

―― ああ……そうだ…… ――

 抱かれて朦朧とした意識の中で見上げたルークの表情。いまみたいに辛そうに歪みながら、それでも手放そうとしなかった腕。
 ティナリアはいまそれをはっきりと思い出していた。
 けれどいまルークがそんな顔をする理由が分からず、何かしてしまったのだろうか、とティナリアは不安になった。二人の間に流れる沈黙が心細くさせる。
 そして、その沈黙を破って彼女に届いたのはいままでにないくらいの優しい口付けと、思いもよらないルークの言葉だった。



「…………愛してる……」



 ティナリアは言葉を失った。
 信じられない言葉を聞いたかのように彼女は瞳を大きく見開いた。
 言った本人であるルークですら驚いているようで口元に手を当てていた。その仕草はまるで言うつもりはなかったのに思わず出てしまった、というようだ。

―― いま……なんて……… ――

 頭はすっかり混乱してしまったようで、はっきりと考えることなど出来なかった。ただルークの言葉が耳の奥に残っていた。

"どうして?いつから?"

 そんな言葉だけが頭の中をぐるぐると回っている。
 思い返せば心の中に隠していたアレンの存在を知ったときから、ルークはティナリアの身体を求めるようになっていた。それすらも愛情の裏返しだったというのだろうか。
 ルークの瞳が切なそうに細められ、呆然としているティナリアの唇がそっと塞がれた。
「……ティナリア…」
 唇が触れるか触れないかというくらいの距離で離され、ルークはそのまま囁いた。吐息がティナリアの唇をかすめる。
 それが合図のようにルークは再びティナリアの身体にそっと指を滑らせた。それによってティナリアの中で止まっていた感覚が疼き始める。
 そうなったが最後、ルークの指はティナリアから思考力を奪い、彼女の頭の中は一気に真っ白になってしまった。せめてルークがまた気に病んでしまわないように、と身体を強張らせないようにするので精一杯だ。
 けれどさっきまでの恐怖はいつの間にか消えていた。
「…っ……あっ…」
 まるで繊細なガラス細工に触れるように、優しく、静かに触れてくる。
 一度しか聞けなかった言葉の代わりに、ルークの指が、唇が、熱が、そのあふれる想いをティナリアに伝えていた。
 ルークの指が充分に潤ったその場所にたどり着くとティナリアは僅かに身体を震わせた。ゆっくりと中へと滑り込んだ指は今までにない優しい動きでティナリアを翻弄していく。
 堪え切れない声がティナリアの唇から零れ落ちた。
「……んっ……あ…っ…」
 自分の口から漏れる甘い声が恥ずかしいのか、ティナリアは声を抑えようと試みるが、ルークの指はそれを許してはくれなかった。丁寧に中を擦り上げる指が増え、ティナリアはその圧迫感に堪え切れずに吐息を零す。
「や……あっ…」
 聞こえてくる水の音はもう繋がってもいいと思えるほどなのに、ルークは一向にその気配を見せない。
 そのうち、ティナリアの白い肌を吸い、至る所に紅い花びらを付けていた唇が下へ下へと降りていっていることに気が付いた。
 その唇が太ももまで降りたとき、ティナリアの中に入っていた指がするりと抜けた。ホッとしたのも束の間、ルークはまだ少し閉じられていたティナリアの足をそっと開かせるとそのままそこに口付けた。
 思いもよらない行為にティナリアの身体に震えが走る。初めて感じる感覚に頭の芯が痺れてしまったかのようだ。
「…っ……ふぁ…っ…」
 初めて体験する舌の動きを予想することなど出来るはずもない。ティナリアは舌が蠢く度に身じろぎしたが逃れることは叶わず、その甘い攻めに委ねることしか出来なかった。
「…ん…っ……やあ…っ…」
 恥ずかしさのあまり、閉じてしまいそうな足をルークは持ち上げるようにさらに開かせた。やけに耳についてしまう水の音はさっきよりも増している。その音がティナリアの羞恥をさらに掻き立て、余計に敏感になっているようだった。

―― も……だめ… ――

 きつく吸われた瞬間、目の前が白んだ。
 霞む視界の中でティナリアは水に浮かんでいるかのような心許ない感覚に襲われた。長いのか短いのか、もう時間の感覚すら無くなってしまっている。
 休む間もなく、ルークの熱がそこに入っていくのを感じながらティナリアは再び声を上げる。
「あっ……っ…」
 ゆっくりと中へ沈めながら心配そうに見つめるルークの瞳とぶつかった。
「……怖いか…?」
「…っ……ふ…」
 答えたくても息が上がっているせいで上手く言葉が出てこない。もどかしく思いながら小さく首を振ると、ルークは表情を和らげた。そして彼の手がティナリアの手首を捉える。
 いつもはそこで手首をいましめたままのルークの手が、遠慮がちにティナリアの手のひらへと動いた。強気な彼からは想像もつかないほど、絡めてくるその指はおずおずとしているように感じられる。
 きゅっと握りしめられた時、ティナリアの記憶の中のあの温かい手と、いま繋がっているルークの手が彼女の中でひとつに重なった。

―― やっぱり……あれは… ――

 そう思った時、ルークの熱が全て沈み込んだ。ティナリアは身体を弓形に反らせ、ゆっくりと動き出すルークに身体を添わせた。
「……ティナリア…」
 少し掠れた声が泣いている子供のように聞こえる。
 その声はじんわりとティナリアの心の深いところに落ちていった。
 ティナリアは感じたことのない気持ちに胸を締め付けられながら、自らの上に覆いかぶさるようにしているルークの姿を見つめた。
 硝子のように澄んだ瞳から一粒の涙が零れ落ちていた。
「……泣くな…」
 涙の痕に気付いたルークはそっと唇を寄せ、涙を掬うように目尻に優しく口付けた。その一言でティナリアはようやく自分が涙していたことを自覚する。
「ごめんなさ……」
「……嫌か…?」
 ティナリアは首を振った。
 嫌で涙したわけではない。悲しくも、辛くも、怖くもない。
 ただルークの愛情を痛いくらいに感じてしまったことで、ティナリアの心に出来た分厚い氷の壁が音もなく壊れていったのだ。いままで閉じ込めていた感情が一気に溢れ出てくる。
 本当は最初から分かっていた。
 この結婚は家同士が決めたことであって、ルーク自身に罪はないということを。自分の弱さを棚に上げて、全ての理不尽を彼に押し付けているだけだったということを。
 だけど誰かを憎まなければ心が壊れてしまいそうだった。愛しい人と引き裂かれたその悲しみを、誰かにぶつけずにはいられなかった。
「ティナリア?」
 ぽろぽろととめどなく流れてくる涙を止める術を持たないティナリアは、不安げに問うてくるルークの瞳をじっと見つめた。彼の顔が涙で滲む。
「………ク……」
 その痛みや悲しみを全て受け止めて、それでもなお、そばにいてくれたのはルークだった。
 アレンを想っていたときも、ルークに憎しみを向けていたときも、生きる気力を失いかけていたときも、変わらずにそばにいてくれた存在に、ティナリアは気付かないうちに心を許していた。
 ただ、作られた氷の壁が自分の気持ちすら分からなくなるほどに分厚くなってしまっていただけだったのだ。そして氷の壁がなくなった今、ティナリアは素直にルークを受け入れることが出来た。
 ティナリアは儚げに柔らかく微笑んでみせる。
「……っ……ルー…ク……」
 ティナリアは安心しきったようにその手をぎゅっと握りしめ、うわ言のように彼の名前を口にした。
 ルークの手が一瞬躊躇ったあと、握り返してくるのを感じ取りながら、ティナリアはその身を彼に委ねた。初めて抱かれているような、そんな感覚に陥らせるほど優しく抱く彼の熱がティナリアに満ち足りた気持ちを与えた。
「……あっ……っ…」
 ティナリアが甘い声を零すたびにルークは切なそうにその端正な顔を歪めた。
 その表情がまるで泣いているように見えてしまったティナリアは、思わずルークの頬に手を伸ばした。

―― 笑って…… ――

 ルークの笑顔が見たいと思った。
 不遜で傲慢で。けれど本当は優しい彼に、そんな顔は似合わない。
 ティナリアはその頬にそっと触れ、小さな声で彼を呼ぶ。
「……ルーク…」
 その言葉を紡いだ唇をそっと塞ぐと、ルークは一気にティナリアの中を突き上げた。心を塞いでいた枷を外され、初めて自分の心のまま抱かれたティナリアは、感じたことのない高みへと押し上げられ、そのまま意識を手放した。
 そしてその夜、優しく穏やかな気持ちで眠りの世界へと落ちていったティナリアは、あの日からずっと見続けていた夢を見ることはなかった。






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