その日はよく晴れた青空が広がり、遠出するには絶好の日和だった。二人を乗せた馬車はガラガラと単調な音を立てながら着々と目的地へ向かって進んでいる。
「疲れてない?どこかで休憩しようか?」
 アレンがそう尋ねると、隣に座るノエルがにこっと笑いながら振り向いた。
「いいえ、大丈夫です。外の景色を見るのが楽しくて」
「そう。疲れたらすぐに言うんだよ」
「ええ」
 それから途中、一度馬車から降りてノエルが持ってきた弁当を食べた。バスケットの中にはパンと薄く切った干し肉、新鮮な野菜がバランスよく詰められている。

―― すっかり馴染んだものだな ――

 いつの間にこんなことも出来るようになったのか、と感心していたところにノエルが声をかけてきた。
「あとどのくらいで着くのですか?」
「そうだな、あと二、三時間もあれば着くと思うよ」
「すぐにファラスの丘へ?」
「いや、今日は街を散歩するくらいにして、丘へは明日行こうかと思ってるんだけど」
「街も見れるのね。楽しみ」
「そうだね」
 口元で両手を合わせて微笑むノエルはいつもより幼く見えて可愛らしかった。それにつられてアレンも微笑み返す。
「よし、そろそろ行こうか」
「ええ」
 食べ終わったバスケットを片付けて二人は再び馬車に乗った。それから二時間と少し馬車に揺られ、キリカの街に着いたのは夕暮れ時だった。
 先に宿を確保するため、アレンは手近なところに入っていった。が、早々に予定外の事態に陥った。
「え?空いてない?」
「ええ、すみません。つい先ほど隣国の使者団が到着されまして」
 使者がこのような宿に泊まるはずはないが、それについてきている護衛の兵士たちが泊まるのだろう。
「他の宿もかな」
「そうですね、どこもこんな感じです」
 今時期なら簡単に宿がとれると思っていたのに、当てが外れた。頭に手を当てて考えていたアレンに店主がある提案をしてきた。
「一部屋だけなら空いてますが、いかがでしょう」
「………」
 ノエルと同じ部屋は気が引ける。が、アレン一人ならまだしも彼女を連れたまま野宿なんて出来ない。

―― 仕方ない…… ――

「それじゃあその部屋を」
「ありがとうございます。ご一泊で?」
「いや、二泊でお願いします」
「わかりました。ではお部屋は二階になります」
「ありがとう」
 先に支払いを済ませて鍵を受け取ったアレンは、店の入り口に立っているノエルの元に歩いて行った。
「お待たせ。荷物を置いてこようか」
「ええ」
 そうしてアレンはノエルを連れて鍵と同じ番号の部屋を探して中に入った。
「アレンはお隣の部屋?」
 こういう所に来たことがないのだろう、ノエルはひとしきり部屋を見回した後、楽しそうに声を弾ませながら無邪気に訊いてきた。アレンは気まずそうに頭を掻きながらぽつりと呟くように返事をする。
「……いや、一緒の部屋だよ」
「え?」
「すまない、部屋がとれなかったんだ。隣国から使者団が来ているみたいで、どこもいっぱいらしい」
「そうなの。でも一部屋だけでもとれてよかったですね」
「そう……だね」
 ノエルの様子ではこの状況がいかに微妙なものか気付いていないだろう。アレンはちらりとベッドを見やってからノエルに聞こえないように小さくため息をついた。
 こういった宿では大抵が一人部屋だ。つまりベッドは一つしかない。そしてここもまた然りだ。

―― まあ……気付いてないなら今はいいか… ――

 ノエルの関心はすでに街に移っているようで、窓から身を乗り出すようにして街並みを眺めている。いま言って気を揉ませることもないだろう。
「じゃあ街を歩いてみようか」
「ええ」
 ぱっと振り返ってにっこりと笑うノエルに、アレンも微笑みを返しながら二人は部屋をあとにした。




「やっぱりダズとはまた違いますね」
「うん、キリカのほうが少し素朴な感じだね」
「落ち着く綺麗な街並みだわ」
 ノエルはそう言って目を輝かせながら物珍しそうに辺りを見て歩いている。放っておいたら一日中でも歩き回っていそうな勢いだ。
「南の地方はこういった白塗りの壁が多いらしいね。暑さに強いとかそんな理由じゃなかったかな」
 アレンの言うとおり、キリカの街は全体的に白っぽい建物が多く、統一された独特の雰囲気があった。夏の青空の中ではさぞかし美しく映えるのだろう。
「そうなんですか。やっぱりアレンは物知りですね」
「前に本で読んだだけだよ」
 素直に感心して褒めると、アレンは眉を下げて照れくさそうに笑った。
「さて、そろそろ夕飯でも食べて戻ろうか。何か食べたいものはある?」
「そうですね……食べたいものというか、行きたいところがあるんですけど…」
 ノエルが言葉尻を濁すと、アレンは首を傾げて続きを促した。
「酒場に行ってみたいです」
「酒場?」
「はい。どういうところなのかちょっと行ってみたくて」
 ノエルが答えると、アレンは堪えかねたように大きな声で笑った。
「君は本当に好奇心旺盛だね。分かった、酒場に行こうか」
「そ、そんなに変なこと言いました?もう、そんなに笑わないで」
 そんなに妙なことを言ってしまったのだろうか、と急に恥ずかしくなったノエルは拗ねるようにそう言った。そんな彼女の頭をアレンはぽんぽんと軽く叩く。
「ごめんごめん、あまりにも予想外で。でもお酒はあまり飲んだら駄目だよ。明日もあるんだからね」
「分かってます」
「楽しみ?」
「ええ、とっても」
 明日のことを思い、ノエルは満面の笑みを浮かべてそう答えた。
 そして、希望した通り酒場に連れて行ってもらったノエルは、初めて見るものに夢中になった。簡単な料理しか置いていなかったが、それでも二人は満足したようだった。
 しかし、問題は宿に戻ったあとだった。ノエルの笑顔は先ほどまでとは打って変わって堅いものになっている。理由は言わずもがなだろう。
「あの……アレン……」
 言いにくそうにしているノエルを見て、アレンはすぐに悟ったようだ。
「大丈夫、俺は床で寝るから。君は気にしないでベッドを使って」
「で、でも……」
「本当に気にしないで。部屋が取れなかったのは俺のせいだし、それ以前に女性を床で寝せるわけにはいかないよ」
「………」
 アレンはそう言ってさっさと床にシーツを広げた。

―― どうしよう…… ――

 馬車での移動でアレンも疲れているはずで、これではあまりにも彼に申し訳ない。しかし、これ以上何か言ってもアレンは頑として聞いてくれないだろう。
「……アレン…」
「何?まだ気にしてるの?」
「あの…………何でもない…です」
「そう?」
 頬を染めながらうつむいてしまったノエルをアレンは不思議そうに眺めていた。

―― 言えるわけないわ…… ――

 一緒に寝ましょう、と言おうとしたが言葉が出てこなかった。アレンと同じ部屋というだけで心臓が破裂しそうなくらい緊張しているというのに、そんなこと言えるわけがない。
 一緒の部屋だと言われた時は気にも留めていなかったのに、今になってようやく事の重大さが分かってきたようだ。何故あのとき気付かなかったのか不思議でならない。
「じゃあ、もう寝ようか」
「はいっ」
 自分の鈍さに呆れて、さらには今のこの状況に半ばパニックになっていたノエルは、急に声をかけられて思わず声がうわずってしまった。アレンはそれに気付いたのか、くすくすと小さく笑っている。
「消してもいい?」
「はい」
 ノエルがベッドに入ったのを確認してからアレンはランプの灯りを消した。微かな衣擦れの音以外聞こえない静寂が暗闇と共に訪れる。
「……アレン」
「ん?」
「あの……ありがとう…」
 色々な意味を込めてノエルはそう言った。するとアレンがふっと笑ったような気配がした。
「……お休み、ノエル」
「……お休みなさい」
 さっきから胸を打ち付けている鼓動がアレンに聞こえないだろうか、と心配しながらノエルはゆっくりと眠りについた。






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