コルベルから訪問者のことを伝えられてから二日後、アレンは頬杖をつきながらぼんやりと窓の外を眺めていた。この頃は大分暖かくなって春も近付いてきたかと思っていたが今日は少し肌寒い。
 追手の可能性は薄いと思いつつもあまり出歩く気分にはなれなず、せっかくの休みだが家で過ごすことにした。どうせ外に出ないのなら、と開き直り、いつもより遅めに起きてつい先ほどブランチを終えたばかりだ。
 外を眺めるのにも飽きて本でも読もうかと立ち上がった時、コンコン、とノックの音が聞こえた。玄関の扉を見つめ、アレンは息を潜める。
 誰かがこの家を訪ねて来ることなど滅多にない。迂闊に出ないほうがいいと判断したアレンは足音を忍ばせながらそっと扉に近付いた。
 再びノックの音が響く。
 迷った挙句、扉に手をかけようとしたアレンの耳に聞き覚えのある声が飛び込んできた。
「アレン、いないのか」
 扉越しでくぐもってはいるものの、懐かしいその声の主ははっきりと分かった。

―― まさか本当に…… ――

 アレンが扉を勢いよく開けるとそこにいた人物は一瞬驚いた顔をし、そのすぐ後にニヤッと笑った。
「なんだ、いるならすぐ出てこいよ」
 相変わらずな口調にアレンは思わず笑った。
「変わらないな、イヴァン」
「お前もな」
 そう言って二人は互いの肩を軽く叩き合い、再開の抱擁を交わした。昔と何も変わらない親友とまた会えたことが本当に嬉しかった。
「図書館で司書をしてるそうだな」
「やっぱりお前だったのか。紛らわしい探し方をするから少し焦ったぞ」
「おや、それはすまなかったな」
 まるで謝るつもりのないふざけた言い方も昔と変わっていない。アレンは懐かしさに口元をほころばせた。
「こんなところではなんだし、中に入れよ。時間あるんだろう?」
 肩を引いて通り道を作ったが、イヴァンは意味有り気な笑みを浮かべたまま動かない。そして徐に口を開いた。
「ああ。でもその前にお前に会わせたい人がいるんだ」
「え?」
 アレンは聞き返しながらイヴァンの視線の先を追った。そして今更ながら大分離れたところに隠れるようにして立っているもう一人の人物に気付いた。
 うつむいている上に深めに被ったストールのせいで顔が良く見えないが、その背丈と服装で女性ということだけは分かる。

―― 誰だ……? ――

 会わせたい人というのが誰なのか見当もつかず、アレンは少しだけ首を傾げた。イヴァンの恋人だろうか、とも思ったが二人の間にはそんな甘い雰囲気は感じられない。
 一方、いつまでたっても前に出てくる気配のないその女性に痺れを切らしたイヴァンは彼女の方を向いて声をかけた。
「いつまでそうしているつもりですか?」
「………」
 彼女は少し呆れたようなイヴァンの声にびくっと肩を揺らしたものの、やはり黙ったまま俯いて動こうとしない。
 イヴァンは苦笑いを浮かべながらふうっと小さく息を吐き、彼女のそばまで行くとその背中をトンと軽く押しやった。その拍子にストールがふわりと揺れて落ちる。
 隠されていた顔が露わになった瞬間、アレンの目は大きく見開かれた。
「……ノエ…ル…?」
 まさか、と思いながらもアレンがその名前を呼ぶと、まるで呪縛が解けたように彼女は駆け出した。
「……アレン様…!」
 泣きそうな掠れた声で名前を呼び、彼女はアレンの胸に飛び込んだ。
 アレンは突然抱きつかれたことよりも何よりも、彼女自身に驚きを隠せなかった。瞬きをすることすら忘れて彼女を見下ろす。
 ゆっくりと顔を上げた彼女の瞳がぶつかった瞬間、溜まっていた涙がその頬に零れ落ちた。
「アレン様……お逢いしたかった…」
「……どうして…」
 胸にしがみつく様にしている彼女の肩を抱き締め返すこともせず、アレンはただ呆然と呟いた。
 どんなに自分の目を疑おうとも目の前にいるのは紛れもなくノエルだった。忘れかけていた罪悪感と申し訳なさが込み上げて胸を締め付ける。
 ノエルはまだアレンが王都にいた頃、ティナリアの父であるウォレスの目を逸らす為に交わした婚約でその相手に選んだ娘。つまりアレンが利用して捨てた元婚約者である。

―― なんで彼女が…… ――

 勝手に計画に巻き込み、深く傷つけてしまったであろう彼女が何故いまここにいるのだろうか。
 状況を呑み込むことが出来ずに動揺したアレンは思わずノエルから目を逸らし、苦虫を噛み潰したように眉を寄せた。
「……アレン様…」
 ノエルの不安そうな声が聞こえてくるが、アレンはどうしてもそちらを見てやることが出来なかった。
 どのくらいそうしていたのだろう、視界の端でノエルが俯くのが見えた。と同時に自分の胸にぎゅっとしがみついていた彼女の手が力なく離れていく。
「アレン」
 その様子を見かねたイヴァンが声をかけると、アレンは戸惑う視線を彼に向けた。二人の視線がぶつかるとアレンは自分を落ち着かせるように息を吐き出した。
 無言のままではあったものの、落ち着き払ったイヴァンの瞳のおかげでアレンも次第に冷静さを取り戻していく。
「……すまない。中で話そう」
「ああ」
 玄関の扉を開けて二人を中へと促すと、イヴァンは俯いたままのノエルの肩に手を添え、遠慮なくアレンの家へと足を踏み入れた。
 すれ違いざまに見せたイヴァンの笑みにアレンは嫌な予感を覚えながらも、彼らの続いて家の中へ入っていった。




「へえ、なかなかいい屋敷じゃないか」
 屋敷などと呼ばれるほどの家ではないが、それでも家具も上手く調和されていて落ち着く雰囲気である。イヴァンは部屋の中を物珍しそうに見回してからそう言ったが、その言葉に返す者はなかった。
 改めて部屋の中でぎこちなく距離を置いている二人に視線を向けると、イヴァンは口の端を少しだけ上げながら数ヶ月前のことを思い出した。
「突然の来訪をお許し下さい」
 そう言って深々と頭を下げるノエルの姿は記憶に新しい。
 あの日、ウォルター家の応接室に現れたのは親友の婚約者であった女性だった。夜会などで見かけているので顔は知っているものの、直接会話をしたことはない。
 だが、彼女がここに来た理由はなんとなくイヴァンには分かっていた。
 アレンが姿を消してから何の音沙汰もないまま月日はあっという間に流れていった。
 追われているといった噂もなかったので生死の心配はなさそうだと安堵していたが、こちらから探さない限りもう親友と会うことはないだろうと思うと、やはり寂しさを覚えた。
 自分ですらそう思うのに、突然婚約破棄をされた彼女にとっては二年という月日はあまりにも長く、辛いものであっただろう。
「顔を上げて下さい」
 そう言われて恐る恐る顔を上げた彼女は何処か追い詰められたような瞳をしていた。彼女後ろに回って椅子を引いて座らせると、自らも向かい合うように腰をかける。
「あなたとお話しするのは初めてですね」
「はい。ウォルター様にお尋ねしたいことが……」
「アレン、ですか」
 ノエルの言葉を遮ってにこりと笑みを浮かべてやれば彼女はそれに答えて小さく頷いた。
「ウォルター様のことはアレン様からよく伺っておりました。だから……もしかしたらアレン様の居場所をご存知かと」
「そうでしたか。でも残念ですが私も知らないんです」
 ノエルはその答えにがっくりと肩を落とした。
「どうして今になってアレンの居場所を?」
「もう一度……もう一度でいいからお会いしたいのです」
 消えてしまいそうなほどか細い声とは裏腹にその想いは強くはっきりと感じられる。
「会ってどうすると?」
「………」
 辛そうに眉をひそめながらノエルは口を噤んだ。
 イヴァンは椅子の背もたれに背中を預け、足を組みながらノエルを観察する。彼女は俯いたまま膝の上でキュッと手を握りしめていた。
「まだアレンが忘れられないのですか。あなたを裏切った男が」
 基本的に紳士なイヴァンは女性に対して優しいが、この時はわざとノエルの傷口を抉るような言葉を吐いた。そのあとに彼女がどう出るか、それが見たかったのだ。
「……愚かな女だとお思いですか?」
 薄らと頬を染めながら苦笑する彼女は、誰の目から見てもアレンに想いを寄せる女性であった。
「自分でもそう思います。さっさと忘れた方がいいのにって」
「それでも会いたい、と」
「……ええ…」
 その答えを聞き、イヴァンは満足そうににやりと口の端を上げた。
「分かりました。アレンを探しましょう」
「え?」
「リディア家の名で探すことが出来ないから私を頼ってきたのでしょう?」
「そう……ですが…」
 突然態度を変えたイヴァンが解せなかったのだろう、ノエルは戸惑いながら頷いた。
「私も悪友がいなくなって退屈していたところですし」
「本当に……探して頂けるのですか?」
「ええ」
 イヴァンの返事にノエルの顔がパッと明るくなった。
 そこまで思い出してからイヴァンは部屋の隅にいる彼女を見やった。あの時の表情が嘘のように暗い顔で俯いている。

―― さあ、どうする ――

 面白そうに事の成り行きを見守るイヴァンが心の中で呟いたのと同時に、苛立ちと戸惑いが混じったアレンの声が聞こえてきた。






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