こんなことをしたら軽蔑されてしまうかもしれない。そう不安になりながらも、ティナリアは震える手でルークの服に手をかけた。
 もしも本当にルークが他の女性を想っているのだとしたら今更自分がこんなことをしても意味がないかもしれない。
 だけどこれで繋ぎ止めることが出来るならば、はしたなくたって構わない。そう思って彼女はついに行動に出た。
 適度に鍛えられた堅い胸板に手を当てた途端、ティナリアは自分の中の熱が一気に上がってくるのを感じた。心臓が破裂してしまいそうなほど音を立てている。
 だが、押し倒したまではいいが、この後はどうしたらいいのか分からない。

―― どうしよう…… ――

 一瞬迷った挙句、ティナリアはルークがいつも自分にするように彼の肌に口付けをしてみた。
 呆気にとられているらしいルークはティナリアのされるがままになっている。ひとつひとつボタンを外しながらティナリアは口付けを続ける。
 緊張して呼吸が苦しい。ぱらぱらと落ちてくる髪も邪魔くさかった。
 呼吸を整えようとして髪を耳にかけながら顔を上げた瞬間、ルークの手が制止するかのようにティナリアの肩を掴んだ。
「ティナリア」
 その声にティナリアはびくっと身を竦めて俯いた。
「どうした」
 怪訝そうな声はまるではしたないことをした自分を責めているように聞こえてくる。ティナリアの瞳に涙が浮かんだ。
「……ごめんなさい…」
 そう言った途端、抑え込んでいた不安がせきを切ったように溢れてきた。それに耐え切れなくなったティナリアは、半ば投げやりになったみたいにルークを問い質した。
 だが、不安の元凶である彼から返って来たのは否定の言葉だった。
 怒ってもいない。他に想う人もいない。それならばなぜ、と問うたティナリアの耳に全く予想もしていなかった言葉が届いた。
「お前に俺が欲しいと言わせたかったんだ。許してくれ」
「………」

―― 信じられない…… ――

 ティナリアは目を瞬かせ唖然とした。それと同時に彼が自分を嵌めたのだと悟り、こんな行動をとってしまったことに恥ずかしさが込み上げてくる。
「今日はお前が望むことを何でもしてやろう」
 まるでティナリアのご機嫌をとるみたいな言い回しがさらに彼女の頬を上気させていく。
「……いらない…」
 恥ずかしさと騙されたことへの口惜しさのあまり、ティナリアはふいっと子供のように顔を背けた。が、その耳元に追い打ちをかけるようにルークの声が聞こえてくる。
「本当に?」
 悪魔の囁きのように甘い声はティナリアの心の中を読んでいるみたいだった。その誘惑に負けて心の底で願っていたことを口にした。
「……て……」
「聞こえない」
 聞こえておらずとも絶対に解っているはずなのに、ルークは口の端を上げてティナリアの言葉を待っている。

―― いつもこうやって思い通りにさせられる…… ――

 まるで本当に魔力が宿っているのではないかと思ってしまうほど彼の声は魅惑的で、結局はそれに従ってしまうのだ。ティナリアはルークを軽く睨みながら心の中でそう呟いた。
 そして目を伏せて言葉を紡いだ。
「……いつもみたいに…抱いて……」
「わかった……不安にさせた分、存分に愛してやる…」
 その言葉に一瞬、嫌な予感がしたがそれを考える間もなくティナリアはルークの手の中に落ちていった。




「……っ…あっ……っ…」
 元々感度のいいティナリアの体は数日にわたる中途半端な行為に不満を覚えたのか、この日の夜はほんの少し触れただけで甘い蜜を溢れさせていた。
「今日はいつもよりずっと甘いな……」
「…っ……や……」
 罠にかかった獲物をさらに追い詰めるようなルークの言葉に彼女は恥ずかしそうに首を振る。
 ティナリアを嵌めた償いなのか、ルークの指はいつもより丁寧に、時間をかけてティナリアを高みへと押し上げていった。
 どれくらいの時間が経ったのかわからないが、彼女の肢体からがくんと力が抜けたのを確認すると、ルークは己を中へと沈めていく。
「……ふっ…あ…」
 ルークは不規則な律動を繰り返しながら久しぶりの彼女の中をたっぷりと味わっていった。
 達したばかりのティナリアは更なる刺激に耐えかね、縋り付くかのようにルークの首に己の腕を巻きつけてきた。
 行為の最中にこうして抱きつかれたことなどルークの記憶にはない。
 そのことに驚きながらも、必死になってしがみついてくるティナリアが愛おしかった。そしてもっと深く繋がりたい、と思った。
「しっかり掴まっていろ」
「…え……?」
 そう言ってからティナリアの背中に抱えるように右腕を回すと、繋がったまま彼女の体を抱き起こし、自分の膝の上に乗せた。
「あっ……」
 思いがけない体勢になって驚いたようだったが、それも束の間、自分の重みでさらに深く貫かれたティナリアはしなやかな背を反らした。
 目の前に投げ出された形のいい胸に唇を寄せながら、ルークはティナリアを揺さぶり続けた。
「…ティナリア……」
 そのうちに体を支えきれなくなったのか、ティナリアがルークの肩に頭を預けた。
「……っ…ルー……ク……っ…」
 耳元で聞こえるティナリアの吐息混じりの切ない声。その声にあおられるように、ルークはさらに激しく貫いた。
「…やあっ……っ…」
 背中に回されたままのティナリアの腕に力が籠る。と同時に鈍い痛みが背に走った。
 彼女が刺激に耐え切れず、無意識のうちに爪を立ててしまったのだろう。しかし、それすらも今のルークにとっては喜びにしかならなかった。
 ルークは再びティナリアの上に覆い被さると、切なげに喘ぐ彼女に口付けた。
「……愛してるよ…」
「…っ……私…も…」
 ティナリアの言葉にルークは満足そうに微笑むと、打ち込む速度を速め、彼女の中で全てを吐き出した。




 翌朝、陽の光で目を覚ましたルークは隣ですやすやと眠る妻を眺め、口元をほころばせた。
 彼女の髪を撫でているうちに昨夜のことを思い出したのか、ルークはくっくっと肩を揺らして愉快そうに笑った。

―― まさか俺が押し倒されるとは思わなかった ――

 あのまま放っておいたらティナリアはどうしたのだろうか。そう思うとあの時止めてしまったことが少し惜しい。
 ともあれ、危うく妙な誤解を生んでしまうところではあったが、仕掛けた罠はどうやら成功したようだ。
「……ん…」
 ルークがそんなことを考えているうちに、ティナリアも目を覚ましたようだ。眉をきゅっとひそめてから重たそうに瞼を開いた。
「おはよう」
 まだ半分夢の中なのか、ティナリアは返事の代わりにゆるく微笑むとルークにすり寄ってきた。
 まるで子猫のような行動にルークは相好を崩しながら彼女の頭を撫でてやる。
「昨夜とはまるで違うな」
「ん……?」
「なんでもないよ」
 そう言って起き上がったルークの背中には真新しい傷が付いている。ティナリアもそれに気が付いたようで彼に声をかけた。
「その傷、どうしたの?」
「これか?なんだ、覚えてないのか?」
 ルークはそう言ってにやりと意味深な笑みを浮かべた。
 最初はきょとんとしていたティナリアだったが、その笑顔の意味に気付いたのか、彼女の頬が次第に色付いていく。
 そう、ひっかき傷のようなそれはティナリアが付けた爪痕だ。
「しがみついてきて可愛かったぞ」
「………それは……その…」
「今更照れることもないだろう。俺を押し倒しておいて」
 ルークの放った一言にティナリアの顔が一気に上気した。その様子もえらく可愛らしい。
「あれはあなたが……!」
 慌ててそう反論するティナリアに悪かった、とルークは笑って口付けた。
 呆れたような顔をしていたティナリアがくすっと笑う。それだけでルークは満たされる気持ちになっていた。
 今日は特に出かけなくてはならない仕事はなかったはずだ。もうしばらくこうしてティナリアと一緒にいようと考えていたルークに彼女の声が聞こえてきた。
「ごめんなさい、痛いでしょう?」
 ティナリアはその傷にそっと触れながらそう言った。
「ああ、気にするな。半分は俺のせいだしな」
「………」
 その言葉に含まれたものを読み取って、ティナリアは再び頬を赤らめた。背を向けていてもその様子が手に取るように分かる。
「……でもやっぱり痛そう」
「大丈夫だ……って…」
 振り向こうとした瞬間、背中の傷をティナリアの舌が這った。
「……お前は煽るのが上手いな」
「え?」
「無自覚か……」
 ティナリアから欲しがらせる為にあれだけの時間を要したのに、彼女はいつもいとも簡単にルークから欲しがらせる。
 ルークは小さくため息を吐いてから振り向いた。
「今日は仕事は止めだ」
 一日休んだって大丈夫なくらい普段仕事をこなしている。今まで我慢していた分、一日かけて取り戻してやろうと思い、ルークはティナリアに向かってにっこりと微笑みかけた。
 その笑顔の意味に気付かず、きょとんとした瞳を向ける彼女の肩をトンと押して再びベッドに押し付けると、ルークの手は早々にその体を弄り始めた。
「え……ルーク…朝…」
 意思を持って動く手に戸惑いながら、ティナリアはルークを止めようとした。が、それを聞き入れるようなルークではない。
「その朝から煽ったのはお前だろう」
「煽ってなんか……っ…」
 ティナリアのささやかな抵抗も空しく、二人のいる寝室は再び甘い空気に包まれていった。

―― 全く……どこまで俺を落とすつもりだ… ――

 彼女に罠を仕掛けたはずなのに、嵌ってしまったのは何故か自分のような気がする。
 ふとそんなことを思ったルークは自分の下で美しく乱れる妻を見ながら、彼女に気付かれないように苦笑した。

end...      .





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