ティナリアが島に戻って二週間が過ぎようとしていた。王都にいた五日間に比べて刺激の少ない日々だったが、明日になればそれも変わるだろう。
 戻ってすぐにティナリアはアレンに夜会の報告と、護衛を頼んでくれたお礼を添えた手紙を書いた。その最後にはアレンと共にイヴァンを屋敷に招待したい、とつづった。
 それから数日して届いたアレンから返事には招待に喜んで応じ、一週間後にイヴァンと共に島を訪れる、と書いてあった。
 ティナリアは部屋から見渡せる海を眺めながら、明日を待ち遠しく思った。アレン以外の誰かを招くのは初めてのことだったので余計ソワソワしてしまう。
 幼い頃から多くの時間を島で過ごしていたティナリアには友人と呼べるような存在は極わずかだった。そして、その中でアレンと出会い、今日までずっと想い慕ってきたのである。
 ふと部屋の中に視線を戻すと、引き出しに目が留まった。そこにはアレンからもらったあの指輪と、王都で買ったアレンへのプレゼントが入っている。
 引き出しをそっと開け、シンプルにラッピングされたそれを手にするとアレンの顔を思い浮かべた。

―― どんな顔するかな…… ――

 喜んでくれるだろうか。それとも驚くだろうか。
 プレゼントを買ったときから、渡したときのアレンの表情を何度も何度も想像し、その度にティナリアの顔は緩みっぱなしだった。引き出しの中の指輪の隣に戻すと静かに閉める。
 ティナリアは明日を待ちわびていた。楽しいことがたくさん詰まった素敵な日になる、と疑いようもなく信じていた。




 翌日、朝からパタパタとせわしなく動き回るティナリアの横でアリスが渋い顔をして彼女を窘めていた。
「ティナリア様、そんなに動き回ってはお行儀が悪いですよ」
「だってもうすぐアレンたちが来てしまうわ」
 そう言いながら甘い匂いの立ち込める厨房で焼き上がったケーキを切り分けている。
 昔からお菓子を作っているところを見るのが好きだった彼女は、そのうち自分で作りたいと言い始め、止める使用人たちを振り切ってお菓子作りを始めてしまった。
 初めのうちはひどいもので、よくアリスと苦笑いしながら食べたものだった。しかし何度か作っているうちに上達し、いまでは客人に出す茶菓子もティナリアのお手製をというほどだ。
「お召し物はそのままでよろしいんですか?」
 その言葉にはっとして自分の恰好を見て慌てて首を振る。動きやすいシンプルなワンピースにエプロンという出で立ちだ。
「すぐに行くから部屋に用意しておいて!」
「かしこまりました」
 アリスはくすくすと笑いながらティナリアの部屋に下がっていった。
 ティータイムの下準備を終えて自分の部屋に戻ると、アリスが用意してくれた黄色のドレスに急いで着替える。髪を整え直して薄く化粧をしたところで使用人がアレン達の来訪を告げにやってきた。
「いらしたようですね」
 アリスの言葉に頷くとティナリアは急いでエントランスに向かった。そこには見慣れた顔のアレンとまだ見慣れていない顔のイヴァンの二人がいて話しをしていた。
 砕けた表情のアレンを見ると本当に仲が良さそうな雰囲気だ。その様子を少しだけ眺めてから二人の元に歩いていった。
「ようこそおいで下さいました」
 ティナリアが微笑みながら歓迎のあいさつをすると、アレンとイヴァンもにっこりと微笑み返す。
「久しぶりだね、ティナ」
「お招き頂いて光栄です。レディ・ティナリア」
「先日は夜会でエスコートして頂き、ありがとうございました」
 ティナリアはアレンに笑みを返してからイヴァンに向き直り、軽く頭を下げた。すると突然イヴァンが彼女の手をとってその甲に口付けをした。
「あなたのような美しい方のエスコートなら喜んでさせて頂きますよ」
 にやりと笑ったその顔はティナリアにというよりも、その隣にいたアレンに向けられたような気がした。
 イヴァンの思惑通りというか、案の定アレンの気に障ったらしく、ティナリアの手を握っている彼の手をけっこうな強さで払い落した。パシッといい音がホールに響く。
「イヴァン、俺の恋人に何をする」
 明らかに不機嫌な顔のアレンに対して、イヴァンはつらっとした顔で口元に笑みを浮かべている。
「何って挨拶ですよ?心が狭いなあ、アレン君」
「………」
 二人のやり取りを見ていたティナリアがころころと可愛らしい笑い声をあげた。
 普段は兄のようにしっかりとしているアレンがイヴァンにはいいようにからかわれている。そんなふてくされたようなアレンの表情は初めてで、ティナリアはそれが嬉しかった。
「ふふっ、イヴァン様、アレンをあまりからかわないで、と言ったでしょう?」
「おっと、そうでしたね。これは失礼しました」
「……ずいぶんと仲が良くなったみたいだな」
 二人がくすくすと笑い合っているとアレンはさらに機嫌の悪そうな顔になった。ティナリアはそんなアレンの背中を押すと後ろのイヴァンに話しかけた。
「せっかくいらして頂いたんだもの、あちらでお茶でも飲みながらお話しましょう」
 そう言ってティナリアは海の見えるテラスに二人を案内した。椅子に座るとタイミング良くアリスが紅茶とティナリアお手製のケーキを運んでくる。
「ありがとう」
「おや、あなたは夜会の時の」
 イヴァンはアリスに視線を向けるとにこっと微笑んだ。一度しか会っていないにもかかわらず、しっかりと顔を覚えていたようだ。
「私の友人でもあり、専属のお世話係でもあるアリスです」
「アリス・グレアムと申します。どうぞごゆっくりお過ごし下さいませ」
 アリスが深く腰を折ってお辞儀をするとティナリアがさらに言葉を付け足した。
「イヴァン様が褒めて下さったあのドレスはアリスが選んでくれたものなんですよ」
「なるほど、ティナリア嬢には何が一番似合うか、あなたにはよく分かっているんですね」
「恐れ入ります」
 使用人に対しても丁寧な言葉遣いで、まさに紳士という言葉が似合う男だ。アリスもそれに驚いていたが、それよりもイヴァンの優しい瞳に負けたようで恥ずかしそうに少し俯いてしまった。
 アリスがそそくさとその場から立ち去ると、ティナリアは二人に紅茶をすすめた。
「今日のケーキは私が焼いたんです。お口に合うといいのですけど」
 何度も食べたことのあるアレンは特に驚いた様子もなく美味しそうにケーキを頬張った。が、隣に座ったイヴァンは少し驚いた様子でそのケーキを一口食べる。
「……美味しい。本当にあなたが?」
 イヴァンの中では良家の娘が料理をするという認識がなかったらしく、さらに美味しかったものだから思わずそう聞いてしまったのだ。ティナリアは少し照れたように微笑んだ。
「驚いたな」
「ティナは昔からよく作ってたんだよ。上手だろ?」
 なぜかアレンが誇らしげに言う。
「で、それがお前の自慢なわけだ。料理上手の妻でいいだろう、と」
 イヴァンがまたにやりとして最後の言葉を付け足した。アレンは微妙に顔をしかめて言葉を返す。
「……まだ妻じゃない。これから妻になるんだ」
 その言葉に今度はティナリアが赤くなる番だった。
「アレン、ティナリア嬢が俯いてしまったじゃないか。お前のせいだぞ」
「なっ……もとはと言えばお前が余計なことを言うからだろう!」
 俯いたティナリアの頭上を二人の言い争いが飛び交っている。視線だけ上に向けて二人を交互に見るとティナリアは堪え切れなくなったようにくすくすと笑いだした。




 そうやってイヴァンにからかわれながらも三人は楽しいひと時を過ごした。時間はあっという間に過ぎて夕方、暗くなる前に二人は大陸に戻ることになった。
「楽しい時間を過ごせました。ぜひ今度は私の屋敷へ……」
「招かなくていい」
 イヴァンの言葉をアレンがかぶせるように遮った。
「またいらして下さいね」
 ティナリアがくすくす笑いながらそう言った。イヴァンは二人に気を利かせたのか、別れの挨拶を終えると先に船に乗り込んだ。
「じゃあまた」
「あ、アレン……あのね…」
 ティナリアは言葉に詰まったようにもじもじと下を向いた。
「どうした?」
「あの……これ…」
 しばらく間が空いてから隠し持っていたプレゼントをアレンに差し出した。
「……俺に?」
「うん」
 アレンは驚いた顔をしてその手に乗っているものをそっと受け取った。
「……開けても?」
 ティナリアは言葉に出さず頷いた。アレンの手がその簡単なラッピングを丁寧に外していくのをドキドキしながら眺めている。
 ふたを開けたアレンは驚いたような、嬉しいような、そのふたつが混じったようななんともいえない表情をして箱の中身をじっと見つめていた。

―― 初めての顔……見れた… ――

 どんな顔をするんだろう、と何度も何度も想像した。ティナリアが思っていた表情とは違っていたけど、その初めて見る表情に想像以上の愛しさがこみ上げてきた。
「それね、王都ですごく人気の職人のものなんですって」
 さすがに気恥しくなってきたティナリアは明るい声で言ってから視線を少し落とした。
「でも本当は………アレンがくれた指輪の色に似てたから…」
 小さな声でそう付け加えた。そして気付いたらアレンの腕に包み込まれていた。
「ありがとう……すごく嬉しいよ」
 ティナリアはその言葉に答える代りにアレンの胸に擦り寄った。アレンの腕の中は暖かくて世界で一番居心地がいい。そっと腕がとかれるまでティナリアはその腕の温もりを全身で感じていた。
「ティナ、愛してるよ……」
「私も……愛してる」
 優しい瞳を向けるアレンにティナリアも微笑みを返し、二人は静かに二度目のキスを交わした。




 アレンとイヴァンが帰ってから部屋で一人になると椅子に腰かけ、思わず唇にそっと手を触れた。さっきの状況が鮮明に浮かび上がってくる。

―― 二回目のキス…… ――

 嬉しいけどなんだか恥ずかしくて、部屋には誰もいないのにティナリアは隠すように両手で赤くなった頬を覆った。
 それも丁度落ち着いてきた頃にアリスが夕食を知らせに来たので、ティナリアは階下に降りて上機嫌のまま夕食の席に着いた。
「ティナ、今日は楽しかったか?」
 夕食の途中に話しかけてきたのはティナリアの父、ウォレス=バート=ローレンだ。背はさほど高くないが、均整のとれた体型ですらりとしている。
「とても楽しかったですわ」
「一緒にお招きしたのはウォルター伯爵家のご子息だそうだな。アレン君と一緒に挨拶に来たよ」
「ええ、先日の夜会でエスコートをして下さって、そのお礼にと」
「感じのいい青年だな」
「ええ、とても素敵な方ですわ」
 そう言って微笑みをウォレスに向け、今日のことを一通り話した。ティナリアのおかげでローレン家はいつも笑顔が絶えない食卓だった。
「ティナ、夕食のあと私の部屋に来なさい。お前に話がある」
 ウォレスはティナリアにそう言うと先に席を立った。
 夕食が終わってから言われた通り、ティナリアは真っ直ぐにウォレスの部屋に足を運んだ。重厚な扉の前に立ち、軽くノックすると中から声がかかる。
 中に入ると夕食のときとは違う、侯爵の顔をしたウォレスが窓辺に立っていた。その表情に一瞬、ティナリアは言いようのない不安感に襲われた。
「すまんな、そこに掛けてくれ」
「はい」
 不安感を拭いきれないまま、促されて椅子に腰かける。ウォレスは窓の外に目をやり、ティナリアに背を向けたまま話し始めた。
「ティナ、お前ももう十六だ。そろそろ婚約者を紹介しようと思ってな」
「婚約……者?」
「ああ」
 その言葉にティナリアの頭の中にはアレンのことが思い浮かんだ。

―― もしかしてお父様に言ってくれたのかしら…… ――

 そう思うとさっきの不安感は溶けてなくなり、自然と口元に笑みが浮かんだ。が、次の瞬間、その笑みは氷のように冷たく固まってしまった。


「クロード総督家のご子息、ルーク=レイ=クロードだ」


 ウォレスからその名を告げられた晩、ティナリアの運命の歯車は音も立てずに廻り始めた。
 静かに、ゆっくりと――――――。






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