腕の中にいるティナリアが眠っていないのは最初から気付いていた。けれど声をかけることもせずに彼女を抱きしめたまま、ルークはずっと寝たフリをしていた。
 少しずつ空が明るくなり始めた頃、不意にティナリアが身じろいで自分から離れた。暖かな彼女の身体が離れると急に冷たい空気が間に入ってきてとても寒く感じられる。
 引き寄せて抱きしめ直そうかとしたそのとき、ティナリアの手のひらが自らの頬に当てられた。そして柔らかな感触がルークの唇に触れた。
「……っ…」
 微かに聞こえるのはティナリアの息遣い。それはまるで泣いているようにも聞こえた。

―― 決めたのか…… ――

 ティナリアの突然の口付け、そしてすすり泣くような気配。それだけでルークは全てを悟った。
「……ん………っ…」
 ルークはティナリアからの口付けに応えながらも彼女を翻弄し始め、口が開くのを待って彼女の舌を絡めとっていく。たっぷりと味わってから唇を放してやると、そこには少し気まずそうな表情のティナリアがいた。
「……眠れないのか」
「ごめんなさい……起こしてしまって…」
「いや、俺もあまり眠れなくてな」
 そう言ってティナリアの頬に指を滑らせる。陶器のようにまっさらで、初めて抱いたときからルークを虜にしてきたきめ細かな美しい肌。
 窓の外をほんのりと照らし始めている朝陽が完全に昇り、そしてそれが沈む頃にはもう彼女は自分の元にはいない。彼女の肌に触れることはもう二度と叶わない。
 ルークは真っ直ぐに自分を見つめてくるティナリアの肩を掴むと、そのままベッドの上にやんわりと押し付けた。驚いたように目を丸くしているティナリアの上に覆いかぶさるように体制を変え、彼女の頭の横に手をついて上からじっと見下ろした。
「抱いていいか」
「………」
 戸惑いを隠し切れずにおろおろとする様子が可愛らしいが、やがてティナリアは覚悟を決めたように目を閉じて小さく頷いた。
 ルークは彼女の瞼や額、そして唇へと優しく口付けを落としていった。空いた手で頬から首筋へと指先を滑らせるとティナリアの身体が微かに震える。
「……ティナリア…」
 音もなく紐を解くとティナリアの身体を包んでいる寝間着を脱がせていく。覆うものを失くし、ベッドの上で横たわるティナリアはまるで女神と見紛うほど美しかった。豊かな金の髪が波打ちながら広がっている。

―― 所詮は俺なんかの手の届く女ではなかったんだ…… ――

 大きな手のひらがティナリアの形のいい胸を包み込んだ。やわやわと揉みしだかれて彼女の口から堪え切れなくなった声が零れ始める。
 身を捩るティナリアを柔らかく抑えるようにして、ルークの手が何度も何度も彼女の身体を撫で上げた。まるで "ティナリア" のかたちをなぞる様に余すところなく撫でては唇を這わせていく。

―― せめて今だけ…… ――

「…ん……あっ…」
 ルークのすらりとした長い指がティナリアの中へと入っていく。彼女よりも彼女の中をよく知っているであろうルークの指が、優しく、けれども容赦なく弱いところを攻めあげた。
 堪らずに零れてしまう声を抑えようとティナリアは手の甲を口に当てるが、それもすぐにルークが除けてしまった。
「声……我慢するな…」
 耳元で囁くようなその声にすら反応したようにティナリアの身体がピクッと動いた。

―― 今だけでいいから……表情を、声を、心を……全てを俺にくれ… ――

 その間にもティナリアを翻弄する指を増やし、もっと深いところまで突いていく。さらに快楽の中心をぎゅっと押しつぶしてやると、ティナリアの身体が弓なりに反った。
「あっ……っ…ああっ…」
 ルークは高みへと押し上げられた彼女の身体から指を抜くとすぐに充分すぎるほど潤ったその場所を口に含んだ。溢れる蜜をすくい取り、丹念に舌を動かしていく。
「…だ……め…っ……や…あっ……」
 いちいち素直な反応を返してくれるティナリアを見上げると、彼女はシーツをぎゅっと握りしめて与えられる快楽に耐えているようだった。わざと水の音を立てるように吸いつくと、彼女の身体が再び跳ねた。
 すでに息苦しそうに喘いでいる彼女の足を開き、ルークはゆっくりと彼女の中に入っていった。
「……ティナリア……」

―― 愛してる…… ――

 ルークは心の中でそう続けた。
 すでに答えを出したティナリアにはもう必要のない言葉だ。口にしたところで何の意味も持たない。これからは自分ではなく、アレンが夜毎囁いてやればいい。
 ルークはきつくシーツを握るティナリアの手を取ると自分の手をしっかりと絡め、その柔らかな唇に優しくキスをした。
「……微笑わらって…」
 その言葉に瞳を開けたティナリアの口元がゆっくりと上がった。たった十日程度、けれど久しく見ていなかったように思えたティナリアの微笑みにルークは穏やかに微笑み返した。
 それからルークは今までで一番丁寧に、一度だけティナリアを抱いた。
 ティナリアの潤んだ海色の瞳を、鈴を鳴らしたような切ない声を、陶器のような滑らかな肌を、そして彼女と過ごしたこれまでの時間を慈しむように、記憶の中に刻み込むように、大切に丁寧に抱きしめた。




「……ルーク様…」
 ノックの音とともに部屋にやってきたジルの姿でルークの回想が途切れた。部屋でぼんやりとしているうちに思考は昨夜へと飛んでいたらしい。
「だから行くなと言っただろう」
 がっくりと肩を落としているジルの姿を見れば、いや、そんな姿を見なくても結果は明白だった。
「申し訳ありません……浅はかな…出過ぎた真似を致しました」
「まったくだ」
「………」
 ルークの言葉を返すことも出来ず、ジルはさらに項垂れるように俯いた。その様子にふっと苦笑が漏れる。
「まあいい。俺の為にしてくれたようだしな」
「ルーク様……」
「……しばらく人を寄越さないでくれないか。少し休みたい」
 ルークが覇気のない声でそう言うとジルは心配そうに顔をしかめたが、少しの間のあと首を縦に振った。
「かしこまりました。あとのことは私にお任せ下さい」
「ああ、頼んだ」
 そうしてジルが部屋を出ていくと、ルークは大きく息を吐き出した。

―― これで……いいんだ…… ――

 しばらくぼんやりとしていたルークは低く響く時計の音にハッとしたように顔を上げた。壁の時計に目をやれば針はちょうど六時を指している。
 ルークは気だるそうに椅子から立ち上がると、ランプを手にして静かに部屋を出ていった。人払いをしたせいか、廊下は夜中のようにひっそりとしている。重たい足を引きずるようにしながら向かった先は主のいなくなった部屋だった。
 軋んだ音を立てながら扉が開くといつもと何一つ変わらない彼女の部屋がそこにあった。
 ついさっき別れたばかりなのに、納得して送り出したはずなのに、この部屋はあまりにもティナリアの気配を感じさせて、今すぐにでも彼女を連れ戻したい衝動に駆られてしまう。
 ふと、ルークの目が微かに光るものを捉えた。ゆっくりとテーブルに近付き、ランプをそこに置いた。
 柔らかな明かりに照らし出されてキラッと輝いていたのは銀色の小さな指輪だった。同じものがルークの左手の薬指にはまっている。
 彼はその指輪を取ると、光にかざすようにしてじっと眺めた。

―― 誓いの指輪……か… ――

 あの日、誓いの口付けを交わしたとき、ティナリアの瞳が自分を見つめながらも違う誰かを見ていたように感じられたのを思い出した。ルークは自嘲するように笑うとその指輪をぎゅっと握りしめた。
 いまなら分かる。あのとき彼女が見ていた者が。

―― ずっと想い続けていた男と……どうか幸せに…… ――

 ルークは窓の外に目を向けた。陽が落ちた夜空からはいつの間にか雨が降ってきていて、窓硝子にいくつもの筋をつけている。
 窓に映ったルークの姿はあまりにも悲しげで、それ故、窓を伝う雨の雫がまるで彼が流した涙のようにも見えた。




 ジルを振り切って庭を駆けるティナリアの心はバラバラになってしまいそうなほどひどく揺らいでいた。"どうして" と、そればかりが頭の中をめぐっている。

"憎みこそすれ、自分を選ぶことなどない"
"あの笑顔を守る為なら何でもしようと思った"

 ジルの言っていたこの言葉が頭から離れてくれない。ルークは全て知っていて、その上で自分をアレンの元へ送り出した、とも言っていた。それは本当なのだろうか。
 考えれば考えるほど解らなくなる。どうしてこんなにも動揺してしまっているのかすら解らない。
 心を決めたはずだった。
 昨夜、抱かれたルークの腕の中がどんなに温かくても、その手を振り払って掴むべき相手はアレンのはずだ、と。

―― アレンを裏切ることなんて出来ない……出来るわけがない… ――

 そのことだけを強く思いながらティナリアは裏門を目指して庭を駆けて行った。予想通りまだ門番はいないようで、ティナリアは薄闇の中をランプの光を頼りに歩いていく。
 彼女は肩にかけてあったストールを頭から深くかぶり直すと、裏門の重たい鉄の扉を引っ張った。ギイっと錆ついたような鈍い音を立てて細く開いたその扉から素早く表の道へ出て、背中で押すようにしながら扉を閉める。
 通りにはちらほらと歩く人々の姿があったが、辺りが暗いということも助けて、誰ひとりとしてティナリアの存在に気付く者はなかった。
「……裏門から出て二本目の路地…」
 小さく呟きながらティナリアはアレンの手紙に記してあった路地へと急いだ。時間を確かめる術はないが、おそらくもう六時に近いだろう。
 速足で歩きながら彼女が目的の路地を曲がると、ちょうど真ん中あたりの暗闇に紛れて馬車が止まっていた。よく目を凝らせば馬車に凭れるようにして立っている人陰があった。
 早鐘を打つ心臓に手を当てながら、ティナリアはゆっくりと近付いていく。彼女の足音に気付いたのか、その人影が不意にこちらを向いた。
「ティナ」
「……アレ…ン…」
 そこにいたのはアレンだった。
 てっきりどこかで落ちあうのだと思っていた彼が、総督家に近付くという危険を冒してまで迎えに来てくれたのだ。ティナリアの驚いたような表情にアレンはふっと笑った。
「よかった……来てくれて…」
 そう言ってからアレンはティナリアに向かって手を差し伸べた。
「……行こう、ティナ…」
 ティナリアは差し出されたその手をじっと見つめた。

―― ずっと待ち続けた……この手を…… ――

 一度だけ瞳を閉じると、ティナリアはその手をとった。
 もう引き返すことは出来ない。
 ティナリアを乗せた馬車はゆっくりと動き始めた。屋敷が見えなくなる頃、馬車の中には雨の音が寂しげに響いていた。






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