夜会が開かれるその屋敷は停車場からすでに華やかな装いの男女が溢れていて、ティナリアは期待と不安に胸を高鳴らせていた。
 馬車が止まり、御者が扉を開ける。アリスが先に降り、中にいるティナリアに手を差し伸べた。
 彼女の手につかまりながら降りてきたティナリアに、そこにいた誰もが息を呑んだ。あまりに可憐で、あまりに美しいその姿に言葉を失い、辺りは一瞬水を打ったように静まり返った。
 ティナリアが歩き出すと周りのざわつきも戻った。行く先々で人々の視線が集まり、名を名乗る前から彼女が噂の "華の乙女" だと皆、確信していた。

―― すごい……これが夜会…… ――

 煌びやかな室内にたくさんの花々が飾られ、絵画やタペストリーなどでもこの屋敷の主が権力を誇示しているのが分かる。ティナリアはアリスをそばに置きながら、とりあえず辺りをゆっくり歩きながら眺めていた。
「こんばんは、レディ・ティナリア」
 突然呼びとめられてティナリアはぱっと顔を上げた。そこにはさらりとした茶色の髪と深いグリーンの目をした青年が恭しく右手を胸に当てて立っていた。
「こんばんは……えっと…」
 相手の名前が分からず、どうにも呼びようがなくてティナリアは言葉に詰まった。それを見ていた彼がくすっと笑う。
「はじめまして。ウォルター伯爵家、イヴァン=ラック=ウォルターと申します。どうぞイヴァンとお呼び下さい」
 丁寧な挨拶に応じ、ティナリアもドレスをつまむと膝を折ってお辞儀をする。
「はじめまして。ティナリア=ヴァン=ローレンです」
「存じてますよ」
 にっこりと微笑むイヴァンにティナリアは最初の疑問を投げかけた。
「イヴァン様はなぜ私の名をご存じでいらしたのですか?」
「一目見て分かりましたよ、あなたが "華の乙女" だとね。想像以上の美しさでしたが。その素晴らしいドレスもあなたによくお似合いだ」
「恐れ入ります」
 ティナリアが微笑んだまま目だけ伏せて礼を告げると、イヴァンはさらに意外なことを言い出した。
「それも本当ですが、実はアレンから頼まれていたんですよ」
「アレンって……アレン=ジル=ティグス?」
「ええ」
 イヴァンはアレンとのやり取りを思い出したのか、端正な顔を歪めてくっくっと笑いながら先を続けた。
「アレンが今晩の夜会に出られないのはご存じでしょう?彼は自分が出られないからと私にあなたの護衛を頼んだんですよ」
「護衛……ですか?」
「ええ。悪い虫がつかないように、と。それはもう心配そうでしたよ」
 その言葉に頬が少し熱くなったように感じる。
「あなたとアレンのことは聞いています。ご婚約されたそうですね」
 ティナリアは頬を染めたまま恥ずかしそうに、けれどひどく嬉しげに頷いた。
「まだ正式なものではないんですけれど」
「その指輪もアレンから?」
 目敏く指輪を見つけられ、ティナリアはそれに触れながら照れたように頷く。
「アレンは果報者ですね。このように美しい女性を娶ることが出来るなんて」
 穏やかに話すイヴァンにいつしか警戒心を解いていた。それを察知したかのようにイヴァンはさり気なくティナリアの前に手を差し出した。
「そういうわけで、今宵は私にエスコートをさせていただけますか?」
 その言葉を受けて、ティナリアは後ろに控えていたアリスに伺うようにちらりと視線を送った。彼女も異論はないようでにっこりと微笑み返してくる。
「願ってもないことです」
 アリスの後押しを受けて、ティナリアはその手をとった。自然に腕に手を添えるようにして二人が歩き出すと、会場の視線が一気に注がれた。
 隣をちらりと見上げるとイヴァンは笑いを堪えるように口の端を上げている。何だろう、とティナリアが首を傾げるとそれに気付いたのか、イヴァンがまたくっくっと噛み殺したような笑い声を上げた。
「……失礼。あいつの顔を思い出すと面白くて」
「アレンのことですか?」
「ええ。今夜出席出来なかったのがよほど悔しかったのでしょうね。護衛を頼んでおきながら私にまで釘をさしていましたから。それもえらく不機嫌な顔でね」
 最後にそう一言付け足して片目を瞑ってみせた。
 アレンの拗ねたような不機嫌な顔を想像し、それにつられるようにティナリアもくすくすと笑う。
「でもまあ、あなたなら男は誰でも心配するかもしれませんね」
「大丈夫ですよ。皆様が思っているほど私か弱くありませんもの」
 口元に笑みを浮かべて、わざと少し気取ったように言ってやるとイヴァンは愉快そうに笑った。
「なるほど、あなたは愛らしいだけの女性ではないようだ」
 今夜初めて会ったとは思えないほど二人は気のおけない友人のように笑い合った。




 それからティナリアはイヴァンにエスコートされながら夜会の出席者の顔を覚えていった。
「あちらの壁際にいるのがバーン子爵。その隣の紺色のドレスを着ているのがルドルフ男爵家のご令嬢です」
 それらの顔を覚えることが出来たのもイヴァンがこうやって丁寧に教えてくれたからというのが一番の要因だろう。
 自ら挨拶に来る人も中には数名いたが、既にイヴァンが隣にいたことで心なしか話しかけるのを躊躇っているようにも見えた。アレンが付けた "虫よけ" は大いに効き目があったようだ。
「クロード総督家のご子息は見えていないようですね」
 イヴァンは辺りを見回してそう言った。
「総督家のご子息もいらっしゃるのですか?」
「ええ、でも彼はこういう社交の場があまり好かないようで、滅多に現れないんですよ」
「そうなんですか」
「今日は出席されると聞いていたんですが……」
 少し残念そうなイヴァンにティナリアは笑いかけた。
「今日はもう頭の中が人の顔でいっぱいだからちょうどよかった。次でお会い出来るかもしれないですし」
 ティナリアのさり気ないフォローにイヴァンは微笑み返した。
 そのときちょうど音楽が切り替わって、ゆったりとした曲が流れ始めた。するとイヴァンは左手を自分の背にまわして右手をティナリアに差し出し、お辞儀をするように少し屈んでティナリアの目線の高さに合わせた。
「レディ・ティナリア、私と踊って頂けますか?」
「喜んで」
 ティナリアはにっこりと笑ってその手をとり、中央へと歩いていく。そして二人が曲に合わせて踊り始めると周りにいた人々は目を奪われたように釘付けになった。
 ターンするたびにふわりと広がるドレスはまるで花のようで、金の髪は室内の灯りを纏いながらしなやかに流れる。軽やかに踊るティナリアはまるで妖精のようだった。
 イヴァンのリードも完璧で、二人の息はぴったり合っている。
「帰ったらアレンに自慢しないといけませんね。あなたの記念すべき初めての夜会で最初に踊った相手は私だ、と。あいつの悔しがる顔が目に浮かぶ」
 イヴァンは踊りながらいたずらっ子のような笑顔を浮かべている。彼はその整った顔に似合わず、なかなか冗談好きな性格らしい。
「イヴァン様、あまりアレンをからかわないでくださいね」
 笑いながらティナリアも軽口を返した。

―― でもちょっと見てみたいかも ――

 きっと少し拗ねたような表情をするんだろうな、なんて思いながらこっそりと笑みを零す。
 そうして二曲踊り終えたところで二人が静かに壁際に下がると、横からそっとアリスが近付いてきた。
「失礼致します。ティナリア様、そろそろお時間が」
「そうね」
 気付けば大分時間が過ぎていたようだ。ティナリアはイヴァンのほうに向き直ると軽く頭を下げた。
「今日はもうお暇します。あまり遅くなると怒られてしまいますから」
「では馬車までお送りしましょう」
 イヴァンがさり気なく浮かせた右腕にそっと手を添えてティナリアは夜会の舞台から去って行った。
「今宵はあなたの護衛が出来て光栄でした」
「こちらこそ、イヴァン様のおかげで楽しく過ごせました。ありがとうございます」
 イヴァンの手を借りて馬車に乗り込んだティナリアが窓から顔を出して礼を言った。
「アレンがいないときにまたお会いしましょう」
 にやりと口の端を上げると紳士らしく会釈をする。ティナリアもそれに笑いながら手を振り、二人は別れた。




「いかがでしたか?」
 馬車に揺られながらアリスがにこにこと尋ねてきた。
「とても楽しかったわ。でもまさかアレンが護衛をつけるなんて思ってなかったけれど」
「きっと心配で仕方なかったんですわ。こんなにお美しいんですもの」
「アリスの選んでくれたドレスも褒めて頂けたしね」
 ドレスをつまんで広げて見せるとアリスは嬉しそうに目を細めた。
「ウォルター様は見る目がおありですわ」
「まあ、アリスったら」
 自慢げに話すアリスがなんだか可愛くて、ティナリアはくすくすと笑った。
「それにしても、やっぱり今日の主役はティナリア様でしたわね」
「……さあ?」
 確かにはたから見ればティナリアが主役だったのは一目瞭然だった。が、そんなことを本人に聞かれてもどう答えていいかわからない。ティナリアは曖昧に微笑むと答えを濁した。
「もう誰も太刀打ち出来ないくらいでしたわ」
「大げさね」
 いったいどこから来るのか、アリスの自信満々な言葉にさすがのティナリアも苦笑した。
 タウンハウスに着くまでの間、馬車の中には楽しそうな笑い声が溢れ、そうしてティナリアの初めての夜会は何事もなく幕を下ろした。






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