ガタガタと音を立てている馬車に揺られながらルークは窓の外に目を向けた。街外れのこの辺りは灯りも少なく、目を凝らさなければ何処を走っているのか分からない。
 だが遠くにようやく見えてきた灯りが王都のものだと分かると、ルークはホッとしたように息を吐いた。

―― たかが二日や三日会えないだけでこのざまとは…… ――

 ティナリアに会いたいとはやる気持ちを抑えきれず、港で馬車に飛び乗った自分の様子を思いだしたルークは呆れたように小さく笑った。
 本当は明日の早朝に港を発とうとも思ったのだが、やはり夜中になってもいいから早く屋敷に戻りたかったのだ。そのおかげでこうやって真っ暗な中を馬車に揺られる羽目になったのだが。
 ルークは上着のポケットから懐中時計を取り出した。パチンと音を立てて開いた時計はすでに午前一時をまわっている。
 忌々しそうに時計を睨みつけ、ルークは再び窓の外に見える王都を眺めた。この調子ならあと二時間ほどで着くと思われたが、それでも夜中であることには変わりない。
「もう眠っているか……」
 ぼそっと呟いた独り言はどこか寂しそうであったが、馬車の音にかき消され、誰にも聞かれることはなかった。




 目を閉じたまま少し微睡まどろんでいると次第に外から聞こえる物音が大きくなっているのに気が付き、ルークは目を覚ました。さすがに王都の中は夜中とあってもそれなりの賑わいを見せているようだ。
 酒場の辺りには相変わらずろくでもない連中がたむろしているようだが、騒ぎが起きていないことを確認したルークはそのまま放置して先を急がせた。
 結局、ルークが屋敷に戻ってきたのは午前三時に近くなってからだった。
 馬車を降りたルークは暗闇の中に浮かび上がる屋敷を見上げ、大きな重い扉を開けた。ひっそりと静まり返ったエントランスに鈍く軋む音が響く。さすがのジルも主がこんな時間に戻ってくるとは思ってもいないのだろう、いつもは出迎えてくれる彼の姿も見えない。
 荷物も外套もそのままでルークはティナリアの部屋へと足を向けた。誰もいないホールをルークの足音だけが過ぎて行く。
 彼女の部屋の前に着き、いざ開けようと扉にかけた手がぴたりと止まった。
「……明日にするか」
 会わずにいたこの三日のうちに焦がれる気持ちは大きくなっている。このまま部屋に入ってティナリアの寝顔を見てしまえば、どうしたって欲しくなってしまう。ただでさえメイナードの屋敷以降、一度も抱いていないのだ。正直、我慢がきかなくなりそうだ。
 ここで理性を無くして抱いてしまえばまた彼女を怯えさせることになる。せっかく近付いた距離が離れてしまうのが一番怖い。
 彼女に早く会いたいが為に早く戻って来たというのに、と苦笑を浮かべながらティナリアの部屋を後にした。
 自室へと戻ったルークは荷物と外套を手近なソファーに投げ捨て、部屋の隅に置いてある水差しからグラスに注いだ水を一口飲んだ。さすがに疲れが出てきたのか、着替えもそこそこに気怠そうに寝室の扉へと向かう。
 ランプを灯すのも億劫なのか、真っ暗な部屋の中を感覚だけで歩いて行き、辿り着いたベッドのシーツを捲ろうとした刹那、ルークの耳に可愛らしい寝息が届いた。
「………え…?」
 暗闇に慣れてきた目に映ったのは光のような金の髪。
 明日の朝まで待てないほど会いたかったその人物がシーツに包まり、幼い子供のように身を縮めて自分のベッドに寝ていた。
 ルークは疲れが限界にきて幻でも見ているのではないかと思ってしまった。だが、ベッドにいる彼女が寝息を立てるたびに微かに動く肩を見ていると、そんな考えも打ち消されていった。

―― 何で俺のベッドにいるんだ……? ――

 幻ではないことは分かったが、ティナリアがここで寝ている理由はさっぱり解らなかった。
 ルークはティナリアを起こさないようにそっとその頬に手を伸ばした。久しぶりに触れる彼女の滑らかな肌が心地いい。その感触を確かめるように何度も撫で、柔らかな唇を親指でなぞった。吐息が指先に触れるだけで理性が崩れそうになる。
「……ん…」
 小さな声が漏れ、ティナリアの瞼がゆっくりと開いた。
「ただいま」
 そう言ったルークの声はほんの少し掠れていた。
 ティナリアは夢でも見ているようなぼんやりとした瞳でルークを見つめている。その瞳が次第にはっきりとしてくるにつれ、驚いたような表情に変わっていった。
「ティナリア?」
「……今日はもう……戻られないのかと…」
 慌てたように体を起こしながらそう言ったティナリアに向かってルークは柔らかく微笑んだ。
「お前に早く会いたかったんだ」
「………」
 ルークのその言葉と微笑みにつられるようにティナリアもはにかんだような小さな笑みを浮かべる。
「ところで、何故ここにいるんだ」
「……あの…それは……」
 ルークのその問いに自分の状況を思い出したのか、ティナリアはいつになく狼狽えながら俯いてしまった。
「どうした?」
「あの……ごめんなさい…」
 突然のティナリアの謝罪にルークは首を傾げた。
「なぜ謝る?」
「……だって疲れてお帰りになったのに…」
「平気だ。そんなことよりお前がここにいることのほうが気になるんだが」
「………」
 ルークはまた黙り込んでしまったティナリアをじっと見つめながら言葉を待った。しばらくの静寂が二人の間を流れていく。
「……怖くて…」
「え?」
 ようやく聞こえてきたティナリアの言葉はさらに解らないもので、ルークは思わず聞き返してしまった。
「……ひとりで眠るのが……怖かったの…」
 心細そうに小さな声でそう言ったティナリアの表情は俯いているせいでよく見えないが、その細い肩が震えているように感じられた。
「夢を……見てしまうんじゃないかって思うと怖くて……」
「………」
「ここなら安心出来るかと思って……」
「それで俺のベッドに?」
 ティナリアはこくんと頷いた。
「俺が出てからずっと?」
 彼女の頭が躊躇いがちにもう一度縦に振られた。それを見たルークは手で目元を覆いながら思わずため息をついてしまった。
 確かにティナリアを一人にしてしまうのが心配ではあったが、まさか不安を感じた彼女が自分の面影を求めてこの部屋に来ていたなんて思ってもみなかった。

―― この娘は本当に……これは反則だろう…… ――

 弱さを懸命に隠しながらも、時折こうやって子供のように甘えてくる。可愛くて可愛くて腕の中にずっと閉じ込めておきたくなる。
 しかしティナリアはルークのため息を勘違いしたのか、申し訳なさそうにさらに身を小さくさせた。
「ごめんなさい……すぐに部屋に戻りま…」
 ティナリアの言葉は途中で遮られてしまった。ルークの唇が彼女の柔らかなそれを塞いでいたからだ。
 さっきまで疲れて重たく感じられていた体が嘘のようだった。
 会いたくて堪らなかったティナリアからそんな可愛らしいことを言われてしまえば、いくら固いといえどもルークの理性がたちまち崩れ落ちていくのも無理はなかった。
 ルークは三日ぶりの彼女の唇を堪能するように深く口付け、ティナリアから息苦しそうな甘い声が漏れるまで放そうとしなかった。
「……ん…っ…」
「戻らなくていい」
「でも」
 ルークは再びティナリアの言葉を遮って、それでも彼女を怖がらせないように出来る限り自分を抑えながら何度も唇を奪っていった。
「…ルー…ク……どうし……っ…」
「人がせっかく我慢してやったというのに……お前が悪いんだぞ…」
 理性が本能に負けてしまったルークは観念したようにそう言うと、戸惑うティナリアの体を再びベッドの上に優しく押し倒した。
「この三日、会いたくてたまらなかった……抱いていいか…?」
 ストレートに本心を告げれば、シーツの上に金の髪を散らしたティナリアの瞳が揺れた。その一拍後、静かに瞳が閉じられ、彼女の体から力がふっと抜ける。
「ティナリア……」
 可愛らしい彼女の了承に愛しげな笑みを浮かべたルークは、ほんのりと朱の走る彼女の頬に口付けを落とし、その白い首筋に顔を埋めていった。






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