やはりアヴァードは全て分かっていたのだろう、美雨の放った一言に驚くこともなく、やはりじっと彼女を見つめていた。
 流れる静寂に耐え兼ね、美雨はとうとう視線を少しだけ下げた。
「ミウ」
 美雨の肩が小さく揺れる。
「巫女になる為にこれから学ばねばならぬことは沢山ある。簡単なことではない」
 確認するようにゆっくりと訊くアヴァードの言葉は穏やかなのに何処か厳しさが感じられた。
「それでも巫女になると言ってくれるか?」
 美雨は俯きそうになる顔を意識して上げるとはっきりとした口調で答えた。
「はい」
「そうか……よく決意してくれたの」
 海のように深い青の瞳が和らぎ、アヴァードは労わる様な微笑を向けた。
「じゃが、そなたが巫女になると言うたのはこの世界の為ではないな」
 思いがけない言葉に美雨の瞳が揺れ、それから呟くように口を開いた。
「……はい」
「責めているのではないぞ。ただ訳を知りたいだけじゃ。話を聞かせてくれるかの」
「美陽が元の世界に戻ってしまったのはきっと……私のせいだから…」
 美雨はアヴァードから視線を外すと窓のほうへと移した。遠くに見える暗い闇をぼんやりと見ながら美雨は言葉を続ける。
「ずっと考えていたんです。どうしてこの世界に来てしまったのか」
 アヴァードは黙ったまま美雨の話に耳を傾けた。
「美陽は一年と少し前、事故に遭いました。それ以来ずっと眠ったまま……一度も目を覚ますことはありませんでした」
 その時のことを思い出したのか、美雨の整った眉がきゅっと寄せられる。そして少しだけ躊躇ためらった様子を見せながらもこの二週間で考えた仮説をぽつりぽつりと話し始めた。
「美陽が目を覚まさなかったのは意識だけの状態でこの世界に来ていたからじゃないかって思ったんです。だからこの世界の美陽がいなくなったのと同時にきっと向こうの世界で目を覚ましていると」
 そこまで一息に話していた美雨の声が途切れ、少しの間を置いてから弱々しい声で言った。
「あの子が元の世界に戻るきっかけになったのは多分……私です」
「何故そう思う」
 アヴァードは急かすことなく優しく尋ねた。
「あの日……私、美陽を呼んだんです。"戻っておいで" ……って…」

"美陽……戻っておいで…"

 あの時そう呼んだのを確かに覚えている。美雨は自分の左腕を掴んでいた右手にきゅっと力を込めた。
「その瞬間、私は眩暈めまいと浮遊感に襲われました。そして目が覚めたらここに……」
 一瞬の静けさが部屋を支配する。それを破って美雨は再び口を開いた。
「あの時、私がいた場所は停電……明かりが全て消えて真っ暗になっていました。その暗闇とこの空の闇が二つの世界を繋ぐ媒介に、そして私の呼ぶ声が引き金になって美陽を呼び戻して入れ替わってしまった……そう思うんです」
 そこまで言ってようやくアヴァードが口を開いた。
「……なるほど。闇が媒介に、か」
「仮説……ですけど…」
 視線をアヴァードに戻しながら自信がなさそうに付け足した。
「なかなか理に適った仮説じゃ」
 そう言ってアヴァードが頷いた。
「しかしの、ミウ。それを全てそなたが背負うことはないぞ」
「え?」
「そなたは自分がミハルを呼び戻してしまったと思うて償いの為に巫女を買って出た。そうであろう?」
「………」
 その通りであった。
 闇を祓う為に現れるという "光の巫女"。皆から望まれてその巫女となった美陽の存在はこの世界の人々とってまさに希望の光であったはずだ。
 それを呼び戻したのが自分で、望まれもしないのにここへ来てしまったというのなら、彼女の代わりを務めるより他に選ぶ道はないだろう。
「やはりそなたは聡い娘じゃ。じゃが、その聡明さが時に己を苦しめてしまうこともある」
 美雨は何と答えていいのか分からずに黙り込んだ。
「すまぬな」
 突然の謝罪に美雨は不思議そうに首を傾げた。
「ワシがあの時 "代わり" などと言ってしまった所為でそんな風に思わせてしまった。じゃが、仮説は仮説じゃ。そうかもしれぬし、違うかもしれぬ」
「だけど」
「よいか、ミウ」
 反論しかけた美雨を遮って、アヴァードは彼女の瞳をしっかりと見つめながら言葉を続けた。
「物事には必ず理由がある。もしも本当にそなたがミハルを呼び戻してしまったのじゃとしても、それは必然であったということじゃ」
「……必然?」
「そう。ミハルが戻ったことにも、そしてそなたがここに来たことにも必ず理由はある」
「………」
 あまりにもはっきりと、そして強く迷いのない言葉で言われ、美雨はそれ以上続けることは出来なかった。
「そなたが罪を感じる必要はないぞ」
 そう言ってアヴァードはぽんぽんと美雨の頭を軽く叩いた。まるで小さい子供にするような仕草にどこかくすぐったさを覚える。
「……はい…」
 美雨はそれ以上何も言わず、ただ小さく頷いた。




 そのあとすぐにアヴァードは隣の部屋からディオンを呼び、彼に残りの三人を呼びに行くように命じた。
「巫女になるための正式な儀は後日改めて執り行うが、その前に四神官には知らせておかねばならぬからの」
 美雨が頷くとアヴァードはのんびりとした歩調で窓のそばまで歩いて行った。外を眺めながらちらりと美雨を見やると、彼女もまた遠くの空を見つめているようだった。
 否、彼女の場合は空ではなく元の世界を見ていたのかもしれない。
 
―— 本当に聡い娘じゃ…… ―—

 この短期間に一人であそこまでの仮定を組み立てたのかと思うと少々驚きを覚えた。普通ならば混乱して然るべきなのだが、こうしていても全くそういった様子が窺えない。
 だが、その年齢以上に落ち着き払った態度が逆に違和感を与えもした。
 それにしても、と思いながらアヴァードは顎に手を当てた。
 先ほどの "必然" という言葉に偽りはない。どんなに小さな事にも意味はある。だからこそ "双子" の姉妹が "巫女" としてこの世界にやって来たことにも必ず意味があるはずだ。
 
―— 今はまだ話さずともよかろう…… ―—
 
 話してしまえば美雨は余計に気を病むだろう。
 この世界を知っていく上で必ずぶつかる事ではあるが、もう少し時が経ってから伝えればいい。今は巫女となるべく心を落ち着かせることの方が先決だろう、とアヴァードは思った。
「アヴァード様」
 不意に美雨に呼ばれ、アヴァードは彼女の方を向いた。
「何じゃ?」
「あの……ここにいた美陽は元気でしたか?」
 少し伏し目がちにそう尋ねる美雨を見て、アヴァードはふっと微笑んだ。
「とても元気であったぞ」
「……そうですか」
 そう言って美雨は目元を和らげた。微かではあるが初めて見る彼女の微笑みにアヴァードもほっと安堵する。
 それからノックの音が届くまで、二人はほんのひと時の静寂の中に身を置いた。




「失礼致します。四神官を連れて参りました」
「入ってよいぞ」
 ゆっくりと開く扉から入ってきたのは例の四人の神官だ。
「皆、集まったな」
 パタンと閉じる音を聞きながら、美雨は姿勢を正して並ぶ四人の顔を見やった。この二週間、いつもそばにいて何かと気にかけてくれた彼らの顔はもうしっかりと覚えている。
「早速じゃが、"清めの儀" を執り行うこととなった。日は七日後の夜。各々、準備を始めてくれ」
 アヴァードのよく通る声が部屋の中に広がった。その儀式の名前を聞いただけで全てを察したのだろう、四人は真っ直ぐに伸びた背中をさらにスッと伸ばし、そして深く頭を下げた。
「はっ」
 打ち合わせてあったみたいにぴったりと揃った返事にアヴァードは満足そうに頷いた。
「ミウ、彼らがそなたの儀式について色々準備をしてくれる。しばし忙しくなるとは思うが我慢しておくれ」
「はい」
 それからアヴァードは、ふと思い出したように一人の男に顔を向けた。
「クート、ラウラの様子はどうじゃ」
 彼の問いにクートと呼ばれた一番歳の若い神官が悲しそうに眉をひそめた。
「……まだ思わしくありません」
「そうか……ならばやはりミウのそばに付くことは難しいの」
「申し訳ありません」
 そう言って視線を伏せたまま、頭を下げたクートの肩にアヴァードが優しく手を添える。
「気に病むことはない。あの子にもそう伝えてくれるか。早く元気になってまた顔を見せておくれ、と」
「はい」
 クートの瞳が少しだけ和らいだ。泣きそうにも見える彼の肩を元気付けるようにポンポンっと軽く叩き、アヴァードは彼から離れた。
「さて……」
 考えるように顎に手を添え、もう一人に視線を留める。
「マティアス、やはりミウの侍女はそなたの姪御に頼むことになりそうだの」
「すでに書簡で伝えてはあるので数日後にはこちらに来れるかと」
 マティアスがそう答えると、アヴァードはふむ、と小さく呟いてから言葉を継いだ。
「儀式には間に合いそうじゃの」
「ええ」
 当たり前のように出てきた侍女という単語に美雨は驚きを含んだ瞳でアヴァードを見た。その視線に気付いた彼が美雨のほうを振り向く。
「どうかしたかの?」
「侍女って……私にですか?」
「そうじゃ」
 事も無げに頷いたアヴァードに美雨は小さく横に首を振った。
「あの、自分のことは自分で出来ますから」
「しかしのう、そなたが居た世界とは勝手が違うことも多かろう。娘のほうが聞きやすいこともあるだろうしの」
「でも……」
 それでも渋る美雨に彼は苦笑するようにふっと笑った。
「侍女と堅苦しく考えなくとも、話し相手と思うておればよい」
 これ以上言ってもアヴァードが折れることはないだろう。そう思った美雨は諦めて頷いた。
「ではひとまずこれで話は終いじゃ。ディオン、美雨を部屋まで送ってやってくれ」
「はい」
 頷いたディオンに促され、美雨は部屋を後にした。






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