コンコン、と扉の向こうからノックの音が聞こえた。来訪者が誰なのかはもう分かっている。
 二度目のノックに、ベッドの淵に座り込んでいたクートが重い腰を上げて扉を開ければ、予想と違わない人物が常とは違う厳しい顔つきで立っていた。
「少し話がある」
 そう言ったマティアスに黙ったまま背を向けて部屋に戻れば、彼も後に続いて中へ入ってきた。
「私が何を言いたいか、分かっているね」
「………」
 分かってはいながらもそれに対して答えずにいれば、端から返答など求めていなかったのだろう、マティアスは静かな声で話し始めた。
「事情はミウから聞いたよ。あの場に行ったのは本当にただの偶然だそうだ。孤児院の子らが歌っていた歌に気を引かれ、ふらりと進んだ先でまた同じ歌が聞こえた。幼い頃によくミハルと口ずさんでいた歌だそうだ。それで思わずあの場所に向かってしまったらしい………きっと、ミハルがいると思ったんだろうね」
 そしてその場にいたラウラと鉢合わせた。なんという間の悪さだ、と思わず苦虫を噛み潰したような表情になる。
「ミウはあの場にラウラがいるなんてことも、それ以前にラウラの存在も知らなかったんだ。クートの気持ちも分かるが、あれは流石に言い過ぎだ」
「分かってる! だけど……っ…」
 言い過ぎたことは自覚しているが、それを素直に認められるほどクートの憤りは浅くはなかった。
 感情が高ぶり過ぎて言葉に詰まるクートに、マティアスは更に言い募る。
「今回のことだけじゃない。君はミウを責めているだろう? いや、ミウだけじゃない。ミハルすらも責めている。だけどあれは彼女達の責任じゃない」
 その言葉にクートはカッとなった。
「だったら誰を責めればいいんだ?! レゼルか? カヤが、あんたの姪が、ラウラみたいになっても今と同じことが言えるのかよ?!」
「言えるよ」
「……っ…」
 淀みなく答えたマティアスの強い眼差しに、クートは思わず言葉を飲み込んだ。
「巫女として選ばれた、といえば聞こえはいいかもしれないが、彼女達はこの世界の理に巻き込まれた被害者だと私は思っている。何の関わりもなかった世界を救う為に生まれ育った場所から切り離され、たった一人で見知らぬ地に放り出されたんだよ。それをどうして責められる?」
 全くの正論に反論は一切出来なかった。クートはただ黙ってグッと強く掌を握り締める。
「それに……ミウは誰よりも自分自身を責めている。君が思うより遥に強くね」
「………」
「確かに彼女は強かに見えるかもしれない。誰にも頼らず、誰にも弱音を吐かない。けれどそれは彼女自身が己を守る為の術なのだと思う。痛みに疎いというのは強くある反面、ひどく脆い。一度崩れてしまえばきっと元には戻らない」
 その言葉にクートは握っていた手を開き、その手のひらをジッと見つめた。
 力任せに壁に押し付けた時の蒼褪めた頬。男の力で身動きを封じられ、怒鳴られ、それでも彼女は言い訳など何一つせず、ただ真っすぐな瞳で謝ってきた。
 あの瞳が弱さに崩れることなどあるのだろうか。
「……今日のことは確かに言い過ぎだった。でも、やっぱり俺は……まだ、あんたのようには思えない」
 そう言いながらクートはマティアスの視線から逃れるように背を向けた。
「分かってるよ。こればかりはすぐにとはいかないだろうからね。ただ、守護者としてあるべき姿を見失わないで。そして、少しずつでいいから彼女と向き合って欲しい」
「………」
 フッと息を吐いた気配がしたのと同時に、マティアスから先ほどまでの厳しい口調が消え、いつもの柔和な声音に戻っていた。
「とりあえず今は今夜の儀式を成功させることだけ考えよう」
 そう言ってマティアスはすれ違いざまにポンとクートの肩に軽く手を載せた。
「ミウのこと、頼んだよ」
「……ん」
 後ろでバタンと扉が閉まる音が聞こえた。

―― 向き合う、か…… ――

 先ほどのマティアスの言葉を思い出し、クートは鬱屈とした胸の内を吐き出すように深く息をついた。




「ミウ様、本当に大丈夫ですか?」
 もう間もなく迎えに来るだろう四神官を待っている美雨の側で、カヤが心配そうな声を上げた。化粧で誤魔化してはいるものの、やはりよく見れば冴えない顔色をしているのだろう。
「大丈夫。ここでの務めは今日で最後だから」
 そう言って先ほどからしきりに心配しているカヤに、美雨は平気な顔をしてみせた。
 今日の出来事も彼女には言っていない。どうやらマティアスも具合が悪くなった、とだけ伝えていたようだったので、余計なことは言わないほうがいいだろう。これ以上心配させるのは気の毒だ。
「私にも何か出来ることがあればいいのに……」
 美雨はそう言って悔しそうに呟くカヤをじっと見つめた。
 あの後、マティアスが居なくなった部屋で美雨も同じことを思った。心を痛めたラウラの為に何が出来るだろうか、と。そうして思い付いたのは、鏡に映った自分の姿を見た時だった。
「カヤは美陽に、前の巫女に会ったことがある?」
「え?」
 唐突な質問にカヤは目を瞬かせる。
「前巫女様……ミウ様の妹君ですよね?」
 確認するように聞き返され、美雨は頷いた。それを見たカヤが何故そんなことを尋ねてきたのか分からないといった風に首をかしげながらも答える。
「直接お会いしたことはありませんが、遠くからお見かけしたことはありますわ」
「その時の髪型って覚えてる?」
「髪型……確かミウ様よりも少し短くて、ゆるく波打っていたと思いますわ」
「髪の色は?」
「ミルクティーのような柔らかなお色だったかと」
 カヤの言葉を聞いて、美雨は病室のベッドに横たわる美陽の姿を思い出した。どうやら当時の彼女の髪型そのままらしい。
「そっか」
「ミウ様?」
「カヤ、お願いがあるの。この間の髪を染める粉、明日また用意してもらえないかな」
「染め粉……ですか?」
 カヤがキョトンとした目でこちらを見てくる。突拍子もないことを言われているのだから当然だろう。
「美陽の髪に似た色のが欲しいんだけど……すぐには無理かな」
「いえ、大丈夫だと思いますが……何に使われるんですの?」
「……どうしても会わないといけない人がいるの」
 切羽詰まったような美雨の素振りに何事かを感じ取ったのだろう。カヤはほんの少し逡巡した後、ニコリと笑って見せた。
「分かりました。必ず用意しておきますわ」
「ありがとう」
 ちょうどその時、部屋の扉がノックされた。
 二人は会話を止め、美雨は静かに立ち上がると白銀の錫杖を手に扉へと向かった。扉を開けてくれたカヤがその場で深々と頭を下げる。
「どうぞご無事のお務めを」
「行ってきます」
 カヤに一言そう告げ、美雨は部屋の外へと足を踏み出した。




 迎えに来た四神官の先頭に立つのは例によって神官長のネレムであるが、その後ろにいるクートはやはりと言うべきか、言葉を発することも目を合わせることも一切なかった。
 苦笑を浮かべるマティアスと、彼から話を聞き及んでいたのだろう、ひどく心配そうな顔をしたレイリーとディオンに、美雨はどんな表情をすればいいのか分からずにただ目を伏せた。
 誰も口を開かないまま、毎夜通った長い廊下を歩き、祷り場へと到着する。
「それでは光の巫女様」
 ネレムが美雨の前で頭を垂れ、祷り場の中心へと彼女を促す。その声に従って前へと進み、美雨はゆっくりと錫杖を構えた。
 静まり返った空間の中で、錫杖の鳴る音が響き始める。アルフレア神殿での最後の舞いを踊る美雨の表情はいつもと変わらない。しかし、その心は常にないほど乱れていた。ボロボロだと思っていた昨夜よりもなお酷い。

"他の誰でもない、貴女だけが必要です"
"お前さえ、来なければ……!!"

 昨日の青年の言葉と今日のクートの言葉がぐるぐると頭の中を回っていた。
 あの青年はきっと神殿とは正反対のところに立っている。そうと分かっていても誰かに強く必要とされるのはそれだけで心が揺れた。そこへ神殿こちら側の者からの拒絶の言葉を浴び、美雨の中で何かのバランスが崩れそうになる。

―― 考えちゃダメだ ――

 今やらなくてはいけないのは無事務めを果たすこと。そう思い直し、美雨は込み上げてくる得体の知れない不安感を胸の奥底に仕舞い込んで気付かないフリをした。
「……っ…は…」
 心を乱しているせいなのか、いつも以上に上がる息。縺れそうになる足元。それでも錫杖をグッと握り締め、美雨はただ前を見据えて舞い続けた。
 シャン、と最後に錫杖を打ち据え、静かに舞い散る光の粒を見つめる。そのすぐ後にぐらりと眩暈を感じた。

―― よかった ――

 貧血のように体から力が抜けていく感覚はいつになっても慣れないが、今日ばかりはその感覚が訪れたことにホッと安堵した。
 自分は巫女としての役目をちゃんと果たせている。だからまだ大丈夫だ、と。
 膝から頽れそうになった瞬間、大きな手がその体を支えた。薄れゆく視界の中で燃えるような赤い髪が揺れている。
「……め……なさ…」
 無意識に口から零れた声は小さく掠れ、空気に溶けて消えていく。それはきっと抱き留めてもらったことに対しての謝罪ではない。その言葉が果たして彼に届いたかどうか分からないが、肩を掴む手がピクリと動いた気がした。
 瞼が重たい。抗えぬ脱力感にそっと瞳を閉じた美雨の唇が音もなく同じ言葉を紡ぐ。
 大切な人を傷付けてしまった償いを、自分に出来ることを、するから。
 だからどうか ―――――― "要らない" と言わないで。






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