美雨を送り終えて男が部屋を出ると、アヴァードが向こうから歩いてくるのが見えた。まるで彼が出てくるのを待ちかねていたかのようなタイミングの良さだ。
 アヴァードの方に向き直ると男は静かに一礼した。
「ミウの様子はどうじゃ?」
 そう問われて顔を上げると、アヴァードは中で休んでいるであろう少女を労わる様な優しげ瞳を扉に向けていた。それにならって彼もその扉を見つめる。
 先程の少女の様子を思い出しながら男は答えた。
「かなり疲れているようではありますが、とても落ち着いておられます」
「ずいぶんしっかりした娘のようじゃな」
「そうですね。取り乱すこともありませんでしたし」
「そうか……」
 アヴァードは思慮深い瞳をすっと細めながらそう言った。何かを考えているのか、彼は黙したまま扉を見つめている。
 尋ねたいことは山ほどあるが、いまここで彼の思考に割り込んで聞くのははばかられる。男はアヴァードの横顔を眺めながら開きかけた口を閉じた。
「レイリー」
 不意にアヴァードが視線を銀髪の男に戻し、その名を呼んだ。
「はい」
「残りの三人をワシの部屋に呼んできてくれるかの?これからのことを少し話したい」
「かしこまりました」
 レイリーは彼の言葉に頷き、そして自分の返事を聞いてすでに歩き出していたアヴァードとは反対方向へと歩いて行った。




「度々集まってもらってすまぬな」
 そう言いながらアヴァードは執務室に集まった四人の顔をゆっくりと見回す。深く頭を下げて礼をした彼らが頭を上げるのを待ってアヴァードは再び口を開いた。
「まあ話の内容は解っておるとは思うが、ミウのことじゃ。今後のことも含めて少し話をしておきたい」
 テーブルを挟んで向かい側に並んで座る彼らは真っ直ぐにアヴァードを見つめている。彼はレイリーに視線を合わせると確認するような口調で続けた。
「"白花しらはなやしろ" に現れたことからもミウが巫女となる存在であることは間違いない。そしておそらくミハルはすでにこの世界にはおらぬだろう」
「二人目の巫女……か。しかし何故このようなことになったのでしょう?全てが順調だったのに」
 アヴァードの言葉を受けて初めに口を開いたのは四人の中でも一際背の高い男だった。悔しそうに眉をひそめる彼にアヴァードはゆっくりと首を振る。
「それはワシにも解らぬ」
 人よりも多くの知識を蓄え、賢者と呼ばれる彼にも解らないことはある。そのことを認め、素直に口に出来るアヴァードだからこそ民からの信頼も厚いのだろう。
 アヴァードの潔い返答に改めて感服しながら、レイリーは口を開いた。
「もしかするとミハルと入れ代わるように現れた彼女が本当の巫女だということなのではないですか」
「ずいぶんと回りくどいな。それならどうして初めから彼女が来なかったんだ」
 思いついて口にしたレイリーの言葉に、まだ少年と言ってもよさそうな風貌の男がどことなく苛立ったような声で反論した。
「それに双子だなんて……」
 その一言に皆がハッとしたように口を閉ざし、一瞬の静けさが辺りを包み込んだ。だが、彼はそれも構わずに言葉を続けた。
「大体、巫女にはならないとはっきり言っていた者が当てになるとでも?」
「……異世界に来ていきなり "巫女になれ" なんて言われれば誰だって混乱するでしょう」
 レイリーが言ったのは至極もっともなことだった。しかし、美雨を庇うレイリーに彼は見るからに機嫌の悪そうな顔をした。そんな彼を宥めるように穏やかな別の声が後に続く。
「レイリーの言ってることはもっともだね。だけどやはり巫女にはなってもらわないと困る。双子だろうとなんだろうと、もはや頼れるのは彼女しかいない」
 彼はそう言って小さく肩を竦めた。その動きに合わせてゆるく纏められた黒髪が揺れる。
「マティアスの言う通りじゃ。じゃが、心のこもらぬ祈りでは意味を成さぬ。形ばかりの巫女などいないのも同然じゃ」
 それまで黙していたアヴァードが口を開くと、飛び交っていた言葉はぴたりと止まり、広間は再び静寂に包まれた。
「しかし、双子とはの……これもまた何かのしるしなのかもしれぬな」
「アヴァード様、これから如何されますか?」
 しばらくしてから静けさを破ってそう問うたのはマティアスと呼ばれた男だった。その問いにアヴァードは顎を擦りながら一度だけ目を閉じて答えた。
「自分の意志で新たな巫女になることを選ぶまで待つより他ないの」
「そんな悠長なことを言っている場合では……」
 少年のような男が反論を口にするとアヴァードはそれを手で遮り、彼の方を見やって再び口を開いた。
「分かっておる。ここまで闇が広まってしまった今、もはや一刻の猶予もない。だが、急いてあの娘を追い詰めたとて、どうにかなるものではなかろう」
「………」
 ぐっ、と詰まるように口を噤んだ彼を、そして他の三人の神官を安心させるようにアヴァードは穏やかに微笑んだ。
「あの娘は聡いをしておった。すぐに自分の状況を掴むじゃろう」
 その言葉に皆が先ほど話をした美雨の表情を思い出す。確かにアヴァードの言うとおり賢そうな娘に見えた。
「それではしばらくは様子見、ということになりますね」
 マティアスがまとめるようにそう言うと、アヴァードは少し眉を下げながら小さくため息をついた。
「様子を見るのもそうじゃが……お前たちにはしっかりとミウを見張ってもらいたい」
 アヴァードは顎を擦りながら、言い方は少し悪いがの、と付け足した。
「それは彼女がまたミハルのように消えるかもしれない、ということですか?」
 最初に言葉を発した背の高い男がそう聞くと、アヴァードはゆっくりと首を横に振った。
「解らぬ。じゃがミハルが消えた以上、同じことが起きないとも限らない。ワシらは再び現れた巫女となる娘をもう失うわけにはいかぬのじゃ」
 それは四人も同じ思いであった。
 この世界に突如訪れる "闇の時代"。それを祓える唯一の存在である "光の巫女"。その唯一の存在を再び失えば、この世界はおそらくは闇に呑まれるように滅びてしまうだろう。
 同じことを考えていたのであろう、四者四様の表情で皆が一斉に頷いた。
「まあ、見張ると言っても四六時中監視しろというわけではない。交代でそれぞれが娘の隣の部屋で様子を見ていてくれればよい」
「世話役、といったところですか」
 マティアスがそう言うと、アヴァードはそれに答えるようににっこりと微笑んだ。
「では皆、頼んだぞ」
「はい」
 そう締め括ると四人は改めて礼をし、それぞれにその場から出ていった。




 広間を後にしたレイリーは自室に戻ることなく階下に降り、食堂に立ち寄った。美雨に出す食事を調達する為だ。
 自分たちはともかく、巫女となる大切な人物には栄養価の高いものを出してあげたいが、作物も満足に実らない今のラーグではどこの国でも質素な食事を強いられており、それはこの神殿でも然りだった。
 申し訳なく思いながらも用意されたトレーを持ち、美雨が休んでいる部屋へと向かった。
 扉の前に立っても部屋の中からは物音ひとつ聞こえない。レイリーは軽く拳を握ると扉にコンコンと打ち付けた。
「ミウ様」
 幾度かノックしても声をかけても返事はなかった。先程の話を思い出され、不安が過る。
「失礼します」
 少し大きな声で断りを入れてからレイリーはそっと扉を開いた。
 美雨の姿を探して部屋の中を見回す彼の目がベッドに留まる。そして薄絹の中に横たわる美雨の姿を見て安堵の息をついた。
 持ってきたトレーをテーブルの上に置くとナプキンをかけ、それから足音を立てないようにベッドのそばに歩いて行く。規則正しく聞こえてくる彼女の寝息を聞きながら、レイリーは無礼を承知で天蓋てんがいを静かに捲った。
 まるで子供のように小さく蹲って眠る姿はどこか頼りなく、触れれば消えてしまいそうなほど儚い存在に思えた。
 
―— それにしても本当に似ている ―—
 
「双子……か…」
 何度見ても美陽とそっくりな顔。レイリーは思わずまじまじとその寝顔を見ながら改めて双子なのだと認識した。
 だが、髪型などを除けば姿かたちは見分けがつかない程瓜二つであったが、アヴァードの話を聞く彼女の姿は美陽とは全く違っていた。
 
―— 冷静な娘だ…… ―—
 
 美陽がこの世界に来た時はひどく狼狽して、挙句には泣き出す始末であった。まあ彼女の心境を考えれば無理はない。というよりも、それが当たり前の反応だと思う。
 しかし美雨は違った。
 自分の置かれた状況を自分なりに判断し、アヴァードの話も落ち着いて聞いていた。だけど、その姿があまりにも大人びすぎていてどこか違和感を感じずにはいられなかった。
 美陽と双子というのだから同じ年なのは間違いない。二十歳にもならない娘が異国どころかこのような異世界に来て取り乱さずにいれるものなのだろうか。
 いまはしっかりと閉じられている彼女の瞳はどこか冷めたものだったのを思い出す。
「ずいぶんと違うものですね」
 レイリーが独り言ちた時、美雨の唇が微かに動いた。
「………」
 その声はあまりにも小さくて聞き取ることは出来なかったが、どことなく寂しそうな表情にレイリーは思わずその頬に手を伸ばした。
 見た目通り滑らかな肌は驚くほど冷たく、彼は躊躇いながらも温めるようにその手を添えた。自分の温度と同じになるとようやく手を放し、それ以上冷やさないように肩までシーツをかけてやった。
 彼女は小さく身じろいだがその瞳が開くことはなく、レイリーはほっと息をついた。
「どうか優しい夢を」
 そう言って彼は美雨の額に優しく口付けると静かに天蓋を下し、部屋を後にした。






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