恒例の真夜中の祈りも事無く進み、アルフレア神殿に滞在するのも残りあと四日となった。
 礼拝堂の後ろ側の席に座っていたカヤは隣をちらりと見やった。美雨は礼拝の様子を見るのに集中しているのか、その視線に気付いていないようだ。
 いま彼女は自分とよく似た格好をしているのだが、何故そんなことをしているのかというと時間は昨夜まで遡る。
「ミウ、顔見世から外に出てないけど、何かしたいことはある?」
 その日の夜、皆で夕食をとり終えた後、軽い口調でマティアスが美雨に尋ねた。相も変わらずにこやかな彼の横でクートがそっぽを向いて頬杖をついている。
 それを気にかけているのか、美雨は少し躊躇った様子を見せながらも希望を口にした。
「もし出来るなら礼拝の様子を見てみたいです」
「礼拝?」
 予想もしていなかったことにカヤはもちろん、尋ねたマティアスも首を傾げている。
「今まで見たことがなかったのでどういうものなのか気になって」
「駄目だ」
 誰よりも早くぴしゃりと撥ね付けたのはクートだった。さっきまでそっぽを向いていたはずの彼の視線が美雨に突き刺さっている。
「今は顔見世したばかりで民衆の間にも動揺が広がってる。そんな中で巫女が礼拝に現れれば混乱を来す恐れがある」
「それは……そうですけど…」
 クートの反論に美雨が渋ると、今度はディオンが諭すように口を挟んだ。
「悪いが俺もクートに賛成だ。礼拝堂は広いと言えど屋内で万が一混乱が起これば少なからず怪我人が出る」
 護衛の役割としての多くを担っているのはこの二人である。彼らに反対されてしまえば美雨の意見は通りにくくなるだろう。
「目立たないようにしてもダメですか? 隅の方にいるだけでいいんです」
「どうしてそこまでしてしたがる? 観光にでも来たつもりか?」
 珍しく頑なに我を通そうとする美雨の言葉を遮り、クートが怪訝な顔と嫌味を向けた。

―― なんて言い草!! ――

 睨み付けるような視線も然ることながら、クートのその敬仰の欠片もない態度がカヤにとっては常々不満であった。ムカムカと湧き上がる怒りをグッと堪え、クートを睨むに留める。
 すると隣から自分とは違って落ち着いた声が聞こえた。
「違います」
 そちらを見やればいつも通り冷静な表情で真っすぐにクート達を見つめる美雨がいた。
「自分の目で見て、触れて、感じることが一番いい、とアヴァード様が前に仰っていたから。だから少しでもと思って」
「………」
 少しはその嫌味な意見を変えることが出来たのか、クートは黙り込んでしまった。他の三人も黙ったまま考え込んでいるようだ。
「じゃあこういうのはどうかな」
 しばらくの沈黙の後、クートに代わってそう答えたのはマティアスだった。
「明日の朝、変装させた姿がミウと分からないようであれば礼拝に参加させる」
「は?」
 皆の視線が集まる中、どうかな、とマティアスは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「この国では砂を防ぐ為に頭からストールを被っているのが当たり前だからね。顔を隠すのにはもってこいだろう?」
 そう言って悪戯っぽく笑うマティアスは呆れるほどに綺麗であった。
 そしてカヤは早朝から美雨を一般人と思わせる為に奔走し、腕によりをかけて変装させたのである。
 背格好がさほど変わらない美雨は難なくカヤの服を着こなした。いつも白一色で統一されていた美雨が着ると、見慣れた淡い藤色のスカートや胸下を飾る黄色のサッシュも新鮮に映る。
 そして何よりも違うのはおなじ藤色のストールで隠された髪の色だ。濡羽色の黒ではなく、この地方ではよく見かける赤銅色になっていた。
 専用の染め粉を水に溶き、それに髪を浸せば一時的に色を変えられる。昨夜、レイリーから手渡されたそれを使ったのだが、髪の色が違うだけでこんなにも印象というものが変わるのか、と感心した。
 お陰で美雨の雰囲気はガラリと変わり、約一名は渋々であったが、まあこれならば大丈夫だろう、と残る三人の四神官からお墨付きをもらい、こうして礼拝に参加しているのだ。
 四神官はこの場に居ないが、扉の奥の部屋で待機している。何かあればすぐに飛び出してくるだろうが、今のところ誰にも気付かれていないようだ。
 そのことにホッと胸を撫で下ろしながら、カヤは真剣な眼差しの美雨を横目にふと、以前目にした美陽の髪を思い出した。確かもう少し薄く柔らかな茶であった。いまのこの赤銅色でもかなり印象が違うのだ、あのミルクティーのような色にすれば本当に瓜二つなのだろう。
 でも、とカヤは思う。それは姿かたちであって中身はきっとそれぞれ違う。
 あの時目にした巫女は周囲まで明るくさせるような朗らかな笑顔を纏い、とても愛らしい雰囲気を持っていた。これが光の巫女たる所以か、と感じたのを覚えている。

―― ミウ様とはまるで正反対…… ――

 この世界では禁忌とされている為、美雨達以外の双子というものを生まれてこの方見たことがない。それ故、正反対の雰囲気を持つ彼女たちが双子として普通なのか、それとも違うのか、それすら判断がつかない。
 冷たくも見えるほど凛とした雰囲気の美雨が悪いなんてひとつも思っていないが、ただもう少し打ち解けて欲しい、とカヤは思っていた。
 短い期間ではあるが、これだけそばに居るのに未だに心を開いてくれないことが寂しかった。
 視線をつま先に落としながらふと思った。もしも仕えていたのが前巫女であったならどうなっていただろうか、と。
 そう思ってすぐ、カヤは自分を恥じた。
 そんなことを考えること自体、美雨への裏切りのように思える。
 美雨が心を開いてくれないのは自分の力不足だ。それを人のせいにして他の者に気を移すなどもっての外、情けないにもほどがある。
 カヤはストールで隠れた口元をキュッと引き結び、膝の上に置いていた手を握った。
 そんな様子に気付いたのか、美雨の視線がカヤへと向いた。カヤはにこりと柔らかく微笑み、真っ直ぐ前を向くと、首を傾げた美雨も彼女に倣って再び前を向いた。
 自分に出来ることは美雨に誠心誠意仕えること、それだけだ。いつか彼女が心を開いてくれるように精一杯心を尽くすこと。
 それが遠くても一番の近道な気がした。




 厳かな歌声が響く中、カヤの見様見真似をしながら美雨はストールの下から視線だけ動かして周囲を観察した。変装のお陰か、勘付かれている気配はない。
 初めて見る礼拝の様子は教会でのミサのようなものだった。とはいえ、元の世界でも実際に見たわけではなく、映画やテレビで見ただけなので確かではないが。
 日々の仕事などもある為、休日以外の毎朝の礼拝はさほど人が多くないようだ。その人達も前の方から座っていく為、一番後ろの席に着いた二人の周りには誰もいなかった。

―― なんか空気が違う気がする…… ――

 手を胸に当てながらゆっくりと息を吸った。
 外の空気だって排気ガスなどで汚れている元の世界に比べればとても綺麗だ。でもここはそういったものとは何か違い、清らかに澄んでいる感じがするのだ。
 礼拝が始まって少しして美雨は息がしやすいことに気付いた。
 詰まった心を解してくれるような、満たされるような、不思議な感覚だ。礼拝は心を落ち着かせる場だ、と昨日あれからレイリーが教えてくれたのだが、あれはこういう事だったのだろうか。
 そんなことを考えていると不意に横から腕を突かれた。
「ミウ様、そろそろ礼拝が終わります。先に後ろの扉から退出致しましょう」
 周りには聞こえないよう小声で言ったカヤに目を合わせ、小さく頷いた。礼拝が終わって皆が出口に向かう前に退室する約束だ。
 二人でそろりと背を丸めて立ち上がり、こっそりと神官用の扉から抜け出す。最後にちらりと後ろを振り向いたが、カヤが祈りのタイミングを狙ってくれたらしく、目を閉じて頭を垂れていたお陰で誰一人気付く者は居なかった。
「お疲れ様。上手くいったみたいだね」
 音を立てないように静かに扉を閉めるとマティアスが悪戯っぽく笑って肩に手を置いた。彼の後ろにはクートが壁に背を預けて立っている。
「カヤもお疲れ様。さすが私の姪だ、悪戯には長けている」
「もう、そんなこと言って。でも多分誰もミウ様に気付いていないと思いますわ」
 マティアスの冗談にそう言い返すカヤだが、何処となく得意気な様子が可愛らしく映る。
「まあ見つかっても騒ぎにならなければいいんだけどね」
 そこで言葉を切ると今度はこちらに向き直り、にこりと笑んだ。
「満足出来たかな?」
「はい。我侭を聞いて下さってありがとうございました」
「こんなの我侭のうちに入らないよ。巫女の願いを叶えるのも私達の役目だからね、もっと言って貰いたいくらいだ」
 自分ではかなり無理を言ったつもりでいた美雨は、マティアスのその一言に戸惑いつつも感謝の意を籠めてもう一度礼を言った。
「立ち話もなんだし、広間に行ってレイリー達と合流しよう」
 マティアスに促されて広間に向かい、美雨達が着いて少ししてからレイリーとディオンが到着した。礼拝堂の反対側の扉の奥で待機していたのだが、礼拝が終わるまで様子を見ていたようだ。
「特に騒ぎもなく皆さん帰って行かれましたよ」
 レイリーの言葉にホッと安堵の息を吐く。それから美雨はテーブルに着いた皆に向かって改めて頭を下げた。
「あの、ありがとうございました」
「礼を言うのは……いや、謝らなきゃいけないのは私達の方だよ。本来、巫女が礼拝に参加するなんて有り難いことのはずなのに、こんな風に隠れるような真似をさせてごめんね、ミウ」
 すまなそうに眉を顰めるマティアスに美雨は首を振った。それを見た彼の目が柔らかく細められる。
「礼拝を見て何か思うものはあった?」
 その問いにふと先程のことを思い出した。
「……礼拝堂って何か特別な物とか置いてあるんですか?」
「特別な物?」
「気のせいかもしれないんですけど、空気が違うというか……すごく息がし易い感じがして」
 そう言ってから美雨は意識して小さく息を吸ってみたが、やはり先ほどの礼拝堂内で感じた清い空気とは違うように思える。
「ああ、それはきっと君が巫女だからかな」
「どういうことですか?」
「礼拝堂は神殿内でも特に清められた場所だから元から空気は澄んでるけど、ああやって祈りが一所に集まるとセラが濃くなると言われている。セラを内へと取り込む巫女にはそれがより顕著に感じられるのかもね」
 マティアスの説明を聞き、なるほど、と心の中で呟く。
「気に入ったのならまた見に来たらいい」
 美雨の様子から何かを察したのか、ディオンが緑の瞳を柔らかく細めながら言った。
「でもこんな変装、何度もさせてもらうのはカヤに迷惑ですし」
「それならに違う時間に来れば」
「え?」
 ぼそりと聞こえた声に振り向けば、いつもの無愛想な顔をしたクートと視線がぶつかった。
「礼拝は見られないけど礼拝堂自体は解放されてるし。礼拝時以外は人も疎らだからストール被って顔隠すくらいで十分じゃないの」
 今回のことに大反対していたクートがまさかこんな風に提案してくれるとは思わず、美雨は驚きに目を瞬いた。何か心境の変化でもあったのだろうか、と窺わずにはいられない。
「……何」
「いえ……ありがとう、ございます」
「別に礼を言われる事じゃない」
 ハッとして礼を告げれば、クートはそう言って何処か居心地が悪そうにフイッと顔を背ける。
 そんな彼らの様子を見守っていた者達が安堵の表情を浮かべていたことに当の二人は気付いていなかった。






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