「明日の予定なんだけど、顔見世をしようかと思うんだ」
 その日の夜、皆で夕食をとり終えた後でマティアスがそう言った。
「王都では慎重を期したけれど、本来なら巫女の存在を知らしめるのに各地で行うべきものだからね。ここは治安も落ち着いているようだし、どうかなと思って」
「顔見世……」
「ミウ、怖いと思うのなら無理をすることはありませんよ」
 隣に座っていたレイリーは少し顔を覗き込みながらそう言った。一瞬考え込んでいた所為か、不安に感じているのだと思ったらしく、優しく逃げ道を示してくれる。
 しかし美雨はそれにふるふると首を横に振った。
 ずっと神殿に閉じ籠ったままでいるのも辛いものがあるし、外の様子を直に見てみたいと思っていたところだ。何より巫女の役目である以上、断る道理はない。
「大丈夫です。顔見世させて下さい」
「急でごめんね。受けてくれてありがとう」
 マティアスに頭を軽く撫でられながらテーブルに着いていた他の皆の顔をちらりと見回した。誰からも反対の意が上がらなかったということは既に彼らだけで話し合っており、あとは美雨の承諾のみだったのだろう。
 自分の答えが間違っていなかったことにホッと安堵する。
「さて、そうと決まれば早速ネレム様にお伝えして来よう。明日の朝一番で先触れを出せば夕暮れ時には準備が整う」
「よろしくお願いします」
「うん、こっちのことは私に任せてミウはこのあとの務めに専念してね」
 言いながら立ち上がり、頷く美雨に柔らかな笑みを残してマティアスは食堂を出て行った。
 その後ろ姿を何気なく見送っていると不意に声がかかった。
「ミウ、本当に大丈夫か?」
 前回のことに責任を感じているのだろう、心配そうな表情でこちらを窺っているディオンの目を真っ直ぐに見つめ、美雨はしっかりと頷いた。
「もし前みたいなことがあっても今度はちゃんと覚悟出来てますから」
 初めて顔見世を行った北の神殿でのことが頭を過る。
 あの時も覚悟はしていたつもりだった。
 けれどそれは覚悟していたのではなく高を括っていただけに過ぎなかった。拒絶されるだろうと思っていたし、他人からのそういう視線はこれまでで何度も経験しているから平気だ、と。
 だが、実際に向けられた人々の負の感情は生易しいものではなく、美雨は自分の覚悟が甘かったことに気付かされた。
 多かれ少なかれ、今回もきっとそういったことはあるだろう。でも本当に今度こそ覚悟は出来ている。
「ミウ……」
 そう伝えてもディオンはまだ何か言いたげな様子だ。言葉を続けようとした時、ガタン、と響く椅子の音に皆の視線がそちらに集まった。
「本人が大丈夫って言ってんだから何回も聞かなくたっていいだろ。もう決まったんだしさ」
 立ち上がったクートが呆れたように言い捨てる。
「少し過保護なんじゃないの」
「一番側で護らねばならないお前がそんな態度でどうするんだ」
 その物言いにさすがのディオンもムッとしたのか、いつもより厳しい声になる。が、それにも動じず、真っ直ぐに見つめ返したままクートは言った。
「もちろん役目は果たすよ。巫女には怪我ひとつ負わせないし、あんたと同じ轍を踏んだりもしない。それで文句ないだろ」
「っ」
 先程よりも大きな音を立て、ディオンが椅子から立ち上がる。今にも掴みかかりそうな勢いの二人に戸惑っていると、横からため息が聞こえた。
「クート、そういう事を言っているわけではないと分かっているでしょう?ディオンも少し落ち着いて」
 二人の間に割って入ったレイリーの冷静な声に我に返ったディオンはバツの悪そうな顔をし、その横でクートもやや視線を下げて黙り込んだ。
「……すまない」
「………」
 ひとまず言い合いが治まったことには安堵するが、シンと静まり返った食堂はひどく居心地が悪く、美雨はそっと俯いた。
 これでは昼間にディオンがしてくれた心配に拍車をかけてしまう。クートと上手くやれている、などという嘘なんて最初から気付かれているだろうけれど。
 何よりも自分に関わることが原因で言い争っているということがどうにも居た堪れない。
 そんな気まずい静寂を破ったのはカヤだった。彼女は美雨の肩にそっと手を添えて言った。
「ミウ様、お部屋にお戻りになりましょう」
「でも……」
 ちらりと彼らの方を見やり、言葉を濁す。この状態で放置するのは如何なものかと思ったが、それより早くカヤはレイリーに向き直って頭を下げた。
「あとはレイリー様にお任せ致します。この後の準備もございますし、私はミウ様をお部屋へお連れ致しますので」
「ええ、よろしくお願いします」
 いつになく硬い声のカヤに、レイリーはすまなそうに苦笑を浮かべてそう答えた。
 それと、と付け足し、彼女はクートとディオンに視線をやる。
「このような言い争い、二度とミウ様の前でしないで下さいませ。巫女を護る四神官が聞いて呆れますわ」
 不機嫌も露わに言い捨て、それからにこりと笑ってこちらを向いた。それまでの迫力に思わず美雨の肩が小さく跳ねる。
「さあ、ミウ様。参りましょう」
「う、うん」
 それでもやはり気掛かりで窺う様に周りを見ればレイリーと目が合った。すると彼は気にしなくていい、とでも言うようにいつもの柔和な笑みで見つめ返してきた。
「ミウ様」
 有無を言わさぬカヤの再三の呼びかけに促され、後ろ髪を引かれつつも美雨は食堂を出て行った。




「……さすがはマティアスの姪御ですね。あの歳であれだけの啖呵が切れるとは」
 三人だけになった食堂にレイリーの苦笑が零れた。
「確かにミウの前でするべき話ではなかった」
 ディオンもそう言ってひとつ息をつき、それから黙ったままのクートを見やった。
「すまなかったな。ついカッとなってしまった」
「……俺も……悪かった」
 煽った自覚がある分、こうして相手から素直に謝られるとどうにも居心地が悪く、クートはふいと視線を逸らして呟くように言った。それが余計に己の子供っぽさを浮き彫りにさせる。
「でもひとつ覚えておいてくれ」
 クートが顔を上げると、ディオンの真摯な瞳とぶつかった。
「元来の性格なのかもしれないが、ここに来るまでミウが俺たちに頼ることはほとんどなかった。だが、だからといって何もしなくていいわけではない」
 普段は無口なディオンが珍しく饒舌だ。それだけ伝えたいことなのだろう。
「俺はミウには辛い思いをさせたくない。彼女を不必要に傷付ける者がいたのなら、それが例えお前であっても許さない」
「……っ…」
 その真っ直ぐな強い瞳に気圧され、言葉に詰まったクートを見かねたのか、レイリーが穏やかな声で言った。
「二人ともそのくらいにしておきましょう。またカヤに怒られてしまいますよ」
 二人の肩をぽんぽんと叩き、場を和ませるようにそのままの声で続ける。
「あなたがラウラのことで気持ちに迷いがあることは皆、分かっています。辛いでしょうが、それでも四神官でいる以上、優先すべきはミウです」
「……ああ」
「ディオンの気持ちも十分に伝わったでしょう?」
「……分かってるよ」
 小さな返事にレイリーは穏やかに笑んだ。それから反対側に顔を向ける。
「ディオンも。心配は分かりますが、あまりクートを煽らないで下さい。護りの要である二人が上手く回らなければこちらが困ってしまいますよ」
「……すまない」
 ふわりと包むような穏やかさに、二人の中の毒気が抜ける。
「ではこの話はお終いですね。ああ、ディオンに少し手伝って貰いたいことがあるのですが、一緒に来てもらっても?」
「ああ」
 上手く話を切り上げ、ディオンを連れて行こうとしたレイリーがふと振り返る。
「今はカヤが側に居てくれているでしょうから、クートはラウラの所にでも行ってくるといいですよ」
「……ありがとう」
 優先すべきは美雨だ、と断言していたのに、それでもこちらの気持ちにも配慮してくれているのだろう。レイリーの心遣いに感謝しながらクートは小さく頷いた。
 二人が部屋を出て一人きりになったクートは気怠そうに椅子に座り込んだ。テーブルに肘を付き、項垂れる額を両手で押さえる。
 折角レイリーがくれた時間なのだ。早くラウラの所に行ってやりたいと気が逸るが、こんな顔で行けば彼女に心配をかけるに違いない。
 クートはそのままの態勢で深くため息を吐いた。

―― 分かってるよ ――

 ディオンが言おうとした意味も、レイリーに言われたことも、ちゃんと分かってる。
 だけど、とクートは思う。
「……分かってるけど………分からないんだ…」
 自分にしか聞こえないような呟きが、誰もいない食堂ではやけに大きく聞こえた。




 その夜、日中の暑さを潜めた石造りの祷り場に白銀の錫杖を携えた美雨が立っていた。アルフレア神殿での初めての祷りの儀だ。
 遠くで聞こえた鐘の音を合図に彼女の足が軽やかに動き出す。腕を振るたび、足を踏み出すたびに薄く重ねられた巫女装束の裾がふわりふわりとはためいた。
 それなりに複雑な、それも四部にも分かれたこの長い舞をここまで淀みなく舞えるようになるまでどれだけ練習したのだろう。ゼノフィーダ神殿にいたあの短い時間の中でよく覚えたものだ、とクートは思う。
 配置された祷り場の隅から美雨の舞を眺めながら、ふと美陽の姿が重なった。

―― あいつはここまで上手くなかったな ――

 動くことは苦手だと言って半泣きになりながらマティアスに指導されていた美陽。それを側で見守りながら笑い声をあげていたラウラと自分。
 まるでついこの間のようだ。
 ふわり、ふわり。
 笑わなくなったのはラウラか、自分か。
 ふと、ここへ向かう途中の港町でマティアスに言われたことを思い出した。

"今のままであの子の心まで護れると本当に思っているのかい?"

 今日のディオンとの言い合いとは違うが、それでも己の美雨への態度を窘める言葉であることに変わりはない。
 花びらのようにはためく裾を何気なく目で追っていたクートは静かに瞼を閉じた。
 闇に惑わされないよう、祷りに集中する。
 シャラン、と強く打ち据えられた錫杖の音に目を開けば祷り場の真ん中で跪く美雨の姿があった。その周りをキラキラと輝く欠片が舞い落ち、音もなく地面に溶けていく。
 彼女の体がぐらりと傾いだ瞬間、クートは駆け出していた。咄嗟に伸ばした腕でその体を支え、事無きを得る。
「すみ……ませ…」
 力を使って朦朧としているのか、細い声でそう言ってすぐ美雨は気を失った。
 彼女の細い肩と膝の裏に腕を回し、ゆっくりと立ち上がる。こうして美雨を抱き上げるのは初めてだが、想像していたよりも軽い体に内心少し驚いた。
「部屋で休ませて差し上げなさい」
「はい」
 いつの間にかそばに来ていたネレムの言葉に頷き、クートは足を進める。その後ろに厳かに従う三人の四神官と共に祈り場を後にした。






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