美雨とカヤ、クートの三人を乗せた馬車は早朝に出発し、アルフレア神殿のある街、シーリアを目指して進んで行った。石畳の道をひた走る馬車の中は車輪の音がする他は相変わらず静かである。
 途中で二度休憩を挟み、いくつかの街や村を通り過ぎていくうちに少し風が強くなってきたようだ。ふと、ピシピシと何か小さなものがぶつかるような音が聞こえ、美雨はそっと窓に掛けられたカーテンを除けて外を覗いた。
「わ……」
 そこで目に飛び込んできたのは砂漠とまではいかないが、それにも似た乾いた砂が広がる広大な土地。初めて見る砂の大地に美雨は目を瞬かせ、感嘆の声を零した。
 先程聞こえた小さな音はおそらく砂が窓に弾かれる音だろう。馬車の左側に並んで進んでいるディオンを見やれば砂を防ぐ為か、ストールのようなものを頭から被って巻き付け、口と鼻を覆っていた。
「ここは地上で最も乾いた土地なのだそうですよ」
 その声に振り向けばカヤがにこりと笑みを浮かべ、兄様が言っていました、と続けた。それから今まで美雨が眺めていた外の景色に目を向ける。
「私も初めて目にしたのですけれど、本当に砂ばかりなのですね。こうしてミウ様のお側に呼ばれなければこの目で見ることは出来なかったかもしれませんわ」
 どこか弾んだ声でそう言ったカヤ。
 その気さくさについ忘れてしまいがちになってしまうが、彼女は良家のお嬢様で本来ならば付き添いとして同行する人物ではない。
 良家の娘というのが普段どういった暮らしをしているのか分からないが、以前、王都にも滅多に行けないと言っていたことからも、遠出することはあまりなかったのではないかと思う。だからこそ好奇心旺盛なカヤがこうして無邪気に喜んでいるのだろう。
 そうして彼女のそんな素振りを見るたび、美雨はホッと胸を撫で下ろすのだ。
 自分がこの世界に来たことによって生じた様々な事柄。その中で少しでも喜んでくれる者がいるということは美雨にとって大きな支えだった。
「そういえばどこかに砂丘もあるそうですよ。この近くにあるのなら見てみたいですわね」
「そうね」
 美雨がそう答えるとカヤは嬉しそうにまた微笑んだ。
 それからしばらくの間、二人はそれを探すように外を眺め続けたたが、残念ながらいくら進んでも砂丘の姿は見えてこなかった。
 代わりに見つけたのは所々に立ち並ぶ木々。陽の光がある時には緑が生い茂り、道行く者を癒すオアシスのようなものだったのであろうが、今はその木々に辛うじて残っていた葉も力なく萎び、乾いた土地を強調している。
 薄闇の中に浮かぶ砂埃をぼんやりと眺めているうちに、また少しずつ景色が変わってきた。どうやら街に入ったようだ。赤銅色の煉瓦で出来た家々がゆったりとした間隔で立ち並び、街の様相を作り上げている。
 その建物はルトウェルとは違って皆低く、堅固に見えた。やはりその街々によって特色があるのだろう。
 ちらほらと歩いている人達の服装をとっても、違いがあるのがよく分かる。ディオンのように砂を防ぐ為に布を巻く人は居たが、誰一人として防寒具を身に着けておらず、軽やかな動きやすそうな服を纏っていた。確かに防寒具などひとつも必要ない暖かさだ。ティスカ神殿があった北の大陸とは比べ物にならず、真冬と真夏くらいの差がある。
 しかし、どの街や村も今この時に於いては同様に活気がなく、ひっそりと静まり返っていた。そしてそれはこの街も然りだった。
 そんなことを考えていると流れていく景色が次第に速度を落とし、馬車はゆっくりと停車した。完全に止まったことを確認したクートがおもむろに立ち上がる。
「神殿に着いた。降りるぞ」
 そう言って扉を開け、美雨を見ることもなくさっさと降りて行く。
 朝方、馬車に乗り込んでからここまでクートとはほとんど会話していない。今どの辺りにいてあとどのくらいで着くのかなどは休憩を取るたびにマティアスが教えてくれたものの、土地勘がなくいまいちピンとこなかった美雨は、いきなり目的地に到着したことを告げられ、慌てて腰を上げた。
 クートのあとに続いて降りようとステップに足を踏み出すと、からりと乾いた熱風が吹き抜け、砂の粒が頬に当たった。反射的に閉じた目をそっと開けると、砂の地に根を下ろすようにどっしりと構えたアルフレア神殿の姿があった。
 白を基調とした造りはどの神殿も総じて変わらないが、これまでの神殿よりも背が低く堅固に見えた。しかしながら何処か温かみがあるように感じるのはひとつ前のラターニア神殿が煌びやかであったからだろうか。
「おい、何してる」
 新たな神殿に目を奪われていると下から不機嫌そうな声が聞こえてきた。そちらを見やればクートが早くしろと言わんばかりに睨んでいる。
「あ、ごめんなさい」
 急いで降りようとした時、おもむろに手が差し出された。視線で辿った腕の先にはクートの姿。目を合わせるわけでもなく、ただ黙って伸ばしているだけの手を美雨は遠慮がちにそっと取った。
 南の大陸に着いてからというもの、彼は馬車の乗降の時だけは必ず手を差し伸べてくれていた。
 もちろん初めはとても戸惑い、自分と彼の手を交互に見やってしまったものだ。だが、彼は今のように急かすだけでその手を引っ込めようとはしなかった。
 嫌われているのがありありと分かる相手からこのようなことをされるなど何とも不思議な気分ではあったが、それ以来、当たり前のように差し出される手にいつの間にか慣れてしまっていた。
 そうして数段のステップを降り、地面に足を付けると細かな砂の感触が靴底から伝わってきた。ふかふかするようななんとも心許ない感触で、歩こうとすれば足を取られてしまいそうだ。
「ここで待ってろ」
「はい」
 クートに指示され、美雨は頷いた。そばでカヤが神殿を見て感嘆の声を漏らしている。
「神殿によって違うものなのですね。私、こうして旅に出るまではどれも同じなのだと思っていましたわ」
「うん」
 神殿の違いを感じていたのはカヤも同じだったようだ。美雨が頷くと、自分の意見に賛同したのだと分かったのか、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
 皆が馬車や馬をここの神官達に託している間、やることの無い美雨はそばにカヤを控えたまま、これから祈りを捧げる場となる新たな神殿を眺め続けた。下から順に視線を上げ、やがて屋根の先まで辿り着くと、不意に目の前に影が差した。
「行くぞ」
「はい」
 無愛想に告げてすぐに踵を返すクートの背中を追って、美雨も神殿の中へと入っていった。
 カツン、と鳴った足音が高い天井に響く。真正面には大きな女神像、左右の窓には美しいステンドグラスとその色を反射して幻想的な光を床に映し出すランプ。美しい礼拝堂の中にいたのは白髪の混じった髪を後ろに撫で付けた品のいい初老の神官だった。
「お待ちしておりました、光の巫女様」
 初老の神官はそう言って胸の前に手を当て、ゆっくりと腰を折った。
「私はアルフレア神殿の神官長を務めております、ネレムと申します。どうぞお見知り置き下さい」
「真山美雨です。よろしくお願いします」
 人好きのする笑みを浮かべるネレムとは正反対に淡々とした表情で何とも味気ない挨拶を交す。我ながら呆れてしまうが、他に言う言葉も思い浮かばない。
「このような乾いた地を旅するのはお疲れになったでしょう?砂も落としたいことでしょうし、まずは湯浴みでもなさってゆるりとして下さいませ」
「あ、いえ……私よりも先に他の」
 他の皆を、と続けようとしたが、おもむろに腕を引かれて途切れてしまった。パッと隣を見上げれば、クートは鋭い視線でこちらを一瞥するとすぐに後ろにいたカヤに向かって言った。
「巫女を連れてって」
「………」
 彼のぶっきら棒な物言いにカヤは少しだけ目を眇めたが、まずは美雨を休めるのが先決と思ったのか、何も言わずに従うことにしたようだ。
「どうぞこちらへ」
 同時に案内役の神官がそばにやって来て恭しく頭を下げた。
「参りましょう、ミウ様」
「……うん」
 美雨はちらりと後ろを振り返り、残された四人を気にしつつも促されるまま足を進めていった。




 美雨の姿が見えなくなってからクートは目の前にいるネレムに改めて挨拶を述べた。
「お久し振りです、ネレム様」
「長旅、ご苦労様でしたね。ここまで無事で何よりです」
 そう言ってにこりと微笑むと、ネレムはゆっくりとマティアス達の方に向き直り、彼らは改めて礼を交わし合った。
「皆さんもここまでご苦労様でした。何か大事はありませんでしたか?」
「ええ、今のところは」
 代表としてマティアスはここへ来るまでの状況を掻い摘んで話し、ネレムもこの国の近況などを簡単に説明した。細かいものは後にきちんと報告するのだろう、いまは大した時間を要せずに終わった。
「巫女様が湯浴みをされている間、皆さんも少し休まれては如何です?話は夕食後でもよろしいでしょう」
「そうですね。ではお言葉に甘えさせて頂きます」
 マティアスが答えるとネレムは満足げに頷き、後ろに控えていたもう一人の神官に向かって言った。
「皆さんを部屋へお連れして下さい」
「かしこまりました。では四神官様、こちらへ」
 神官が先導する後を彼らがついて行くのを見送った後、ネレムはこの場に残った最後一人の方を見やった。深みのあるブラウンの瞳がふっと柔らかに細められる。
「変わりはありませんでしたか?」
「ええ」
 そう答えると、ネレムはまるで親が子にするような自然な仕草でクートの体を優しく抱き締めた。未だに子ども扱いをされているようで気恥ずかしさを感じるが、この温かな腕を振り解こうという気は起きない。
 背丈はそれほど変わらないし、体格は鍛えている分だけクートの方がいいはずなのに、どうしてかこの瞬間だけはいつもネレムの方が大きく感じられる。

―― いつになってもこの方は変わらないな…… ――

 髪に混じる白が少し増えたような気はするが、それ以外は何ひとつ昔から変わらない彼にクートの口元に薄らと笑みが浮かんだ。
「ネレム様もお元気そうで安心しました」
「そう簡単にはくたばりませんよ。まだまだ手のかかる子がいますからね」
「……誰のことですか」
「さあ、誰でしょうね?」
 からかわれたことにムッとしてクートがふいっと顔を逸らす。拗ねたようなその横顔に笑みを零しながら、ネレムは彼を解放した。
 ネレムの周りに流れる穏やかな空気は心地良い。普段ならばこのまま他愛ない話をしているところだが、クートの心はすでに違う方へと向かっていた。拗ねたような横顔は次第に曇っていき、クートはきゅっと唇を引き結んだ。
「どうしました?」
「ネレム様」
 情けない顔になっていたのかもしれないが、今はそんなことはどうだってよかった。自分の情けなさなど百も承知だ。
 急くような声音で呼ぶとネレムは穏やかに微笑んだ。その先の言葉を聞かずともクートが尋ねたかった事などお見通しなのだろう。
「ほらほら、そんな顔をしていてはラウラが心配してしまいますよ」
「……っ…」
「離れの部屋にいます。元気な顔を見せてあげなさい」
 ネレムはそう言ってクートのポンポンと頭を撫で、そのままくるりと踵を返すとゆったりとした歩調で歩いていった。
「ありがとうございます」
 その後ろ姿に深々と礼をするとクートは皆が向かったのとは反対の方へと駆け出した。






日向雨 TOP | 前ページへ | 次ページへ






inserted by FC2 system