それから一度も街へ行くことなく、美雨はラターニア神殿での七日間の勤めを終えた。特にこれといった問題も起こらず、無事に終えられたことにホッと胸を撫で下ろす。
 休養に充てられた午前中は神殿内でゆっくりと過ごし、そして今、国王に謁見する為、宮殿へ向かう馬車に揺られている次第である。
 マティアスが連れて行ってくれたあの鐘塔から何度か街並みを見下ろすことはあったが、こうして間近で街の様子を感じることはこれが初めてだ。
 王都というだけあってとても立派な建物や家々が立ち並んでいるものの、この暗い空の下に活気はなく、ひとたび細い路地の中に目を向ければそこはひどく荒んでいるように感じられた。恐らくこれが美雨を神殿から出そうとしなかった理由だろう。
 カーテンを少しだけ開けて外を眺めていた美雨だったが、小さくため息をつくと車内に視線を戻した。こうして街を見ていても頭の中は謁見のことでいっぱいになっており、他の事はするすると通り抜けて行ってしまう。
「ミウ」
 ふと、向かい合うように座っているマティアスがいつもと変わらぬ様子で声をかけてきた。振り向くと彼は穏やかに言った。
「向こうが勝手に呼び立てたのだからそんなに畏まる必要なんてないよ」
「でも……この国の王様、なんですよね?」
 気が楽になるように言ってくれているのだろうが、それでもやはり緊張は拭えない。国のトップに立つ者と全く関わりのない生活を送っていた人間にとって、それは致し方ないことだろう。
 そんな様子の美雨を見てマティアスはにこりと笑むと、大丈夫、と言いながら膝の上に置いていた彼女の手に自身の手を重ねた。
「私がそばにいる。ミウは堂々としていればいい」
「……はい」
 包まれるように優しく握られた手に視線を落とし、美雨は頷いた。強張っていた肩から少しだけ力が抜ける。
 それにしても、と美雨はちらりとマティアスを見やった。これほどまでにいつもと変わらない彼を不思議に思う。四神官ともなると王に会うこともよくあることなのだろうか。
「見えてきた。もうすぐ着くよ」
 しばらくして窓の外に目を向けたマティアスがそう告げた。どくん、と心臓が鳴り、美雨はきゅっと手を握り締めた。
 それから一度、馬車が停車した後、ギギ、と鈍い大きな音が聞こえ、再び馬車が動き出した。さっきの音はどうやら城門が開いた音のようだ。
 少し走った後でゆっくりと止まった馬車の扉が開かれ、先に降りたマティアスから手が差し伸べられる。その手を取り、緊張に強張る足を動かして外に出た美雨は目の前に聳える城に息を呑んだ。
「……っ…」
 あれだけ離れた鐘塔からも見えるくらいなのだから大きな建物だとは分かっていたが、その大きさと威厳は想像以上だった。美雨のいる位置からでは建物の一番上が見えないほどだ。以前、カヤが言っていた言葉の通り、迫りくるような威圧感に圧倒される。
「ミウ、行こうか」
 その声にハッとして隣を見上げると、マティアスが優雅な仕草ですっと右腕を出した。美雨は覚悟を決めると教えられた通りにその腕に手を添え、真っ直ぐに前を見据えた。
「はい」
 ゆっくりと歩き出すマティアスに促され、美雨も足を踏み出す。先頭を歩くディオンに続き、美雨達は宮殿の中へ入っていった。




 随所にランプを掲げた廊下に数名の靴音が響く。
 美雨とマティアス、そしてその二人を挟むようにして前後に騎士が二人ずつ並んで歩いていた。ディオン、レイリー、クート、カヤの四人は別室にて待機が命ぜられ、今はそばに居ない。
 ふと、隣を歩くマティアスをちらりと見上げ、美雨はため息が零れそうになった。端正な顔立ちに優雅な立ち居振る舞いはこの場においても全く違和感はなく、それどころか宮殿の豪奢さと相俟ってさらに高貴な雰囲気が醸し出されている。
 神殿とは全く異なった、贅を凝らした煌びやかなこの宮殿の中で、自分の存在だけが異質なものに思えた。
 その視線に気付いたのか、マティアスがにこりと柔らかな微笑みを向ける。盗み見ていたことがバレた気まずさと、その笑みの美しさに心臓がひとつ跳ね、美雨はパッと視線を廊下の先へと戻した。
 そうこうしているうちに前を歩く二人の騎士が大きな扉の前で止まった。その内の一人がよく通る声で扉に向かって告げる。
「光の巫女様、並びにマティアス=ラヴラン様をお連れ致しました」
 その瞬間、美雨は何か引っ掛かるものを感じ、微かに首を傾げた。

―― 前に何か…… ――

 しかし、美雨がそれを思い出す間もなく、内側から重厚な扉が音もなく開かれた。儀式の時とはまた違った緊張と不安が体に走る。
「大丈夫」
 小さな声が耳元に聞こえ、それと同時に添えていた左手にマティアスの手が触れた。どうやら無意識のうちに彼の腕に添えた手に力が入っていたらしい。緊張を解すような優しい声に美雨はこくんと小さく頷き返した。
「どうぞ、お入り下さい」
 扉の両端によけた騎士が美雨とマティアスを促す。
 美雨は一度だけ大きく息を吸うと、俯きがちになっていた顔を上げ、しっかりと前を見た。それを合図にマティアスがゆったりとした歩調で前に進み、美雨も練習の通りに半歩遅れてついて行く。
 高い天井に広く豪華な部屋。レールのように敷かれた赤い絨毯の先、数段上がった玉座に王は鎮座していた。近付くにつれて心臓の音が大きくなっていくのが分かった。
 急ぐこともなく絨毯の上を優雅な足取りで歩いていたマティアスが壇の手前で止まった。
 ちらりと美雨の方に視線を投げて目で合図をすると、彼はすっと一礼をした。その一拍後に美雨も真っ白なスカートの端を摘まみ、膝を落として頭を下げる。
「顔を上げろ」
 二人の礼をおざなりに受け取り、王は言った。
 隣でマティアスが頭を上げるのを横目で見て、美雨も恐る恐る姿勢を戻す。目の前の重厚な玉座には見目の良い男が深く腰を下ろし、こちらをじっと見ていた。
 上から下までを舐めるような不躾な視線に美雨は居心地の悪さを感じた。蔑むようなその目がそれをさらに煽る。
「初めて双子というものを目にしたが……なるほど、薄気味が悪いものだな」
 "禁忌の双子" として恐れを含んだ目で見られることは今までに何度もあった。だが、目を眇め、嘲るように言ったその言葉は信仰心から来る畏怖などではなく、ただ単に嫌悪を示すだけのものに聞こえた。
「娘、名は?」
「真山美雨と申します」
 はっきりとした声で答える美雨の姿は緊張に震えるその内心とは裏腹に、全く物怖じしていないように見えた。
「……ふん、巫女とはいえ姓があるとは生意気なことだ」
 肘掛けの上で頬杖を付きながら、王はひどく不愉快そうに言った。その言葉に先程と同じ引っ掛かりを覚えるが、やはり思い出す前に玉座から声が降ってきた。
「ラターニア神殿での勤めは全て終えたのか」
「はい」
「巫女としての力は確かなようだな」
 美雨も負けじと王から目を逸らさずに答えるも、品定めするような視線は離れない。根競べのような沈黙の中、肘を付いている方の指でトントンと自身の頬を叩きながら王は唐突な問いを口にした。
「そなた、巫女としてこの国の状況をどう見る?」
「え?」
「前巫女が役目を投げて逃げ出したお陰で我が国はすっかり荒れてしまった。その責任はもちろんそなたが取ってくれるのであろうな」
「……それは…」
 闇を祓うことが責任をとることに繋がるのなら誰に言われずともやるつもりだ。しかし、その前に放たれた一言は聞き捨てならない。反論が口を衝いて出かかるが、国王にそんなことを言っていいものなのか分からず、グッと言葉を呑んだ。
「陛下」
「私はそこの娘に聞いているのだ」
 黙り込んだ美雨の代わりにマティアスが口を挟んだが、王はそれをぴしゃりと撥ね付け、彼女をじろりと睨んだ。
「答えぬか」
 どう答えていいものか迷い、口を堅く結ぶ美雨の耳に嫌味なほどあからさまなため息が聞こえた。目の前の王はその顔に冷たい嘲笑を浮かべ、それにしても、と言葉を続ける。
「双子というのは見目ばかりで中身は似ないものなのか?あれはよく笑う娘であったが、そなたはにこりともせず、全く可愛げがない。これならば役立たずの前巫女の方がまだ華があったというものだ」
 そう言って王はせせら笑った。
「……っ…」
 悔しさに胸が軋む。
 自分のことは何を言われてもいい。可愛げがない、など今までいくらだって言われてきたし、それが事実なのは分かっている。

―― だけど…… ――

 真っ直ぐに王の目を見据え、美雨は右の手をぎゅっと握り締めた。今まで堪えていたものが一気に溢れ出る。
「美陽のこと、悪く言わないで下さい」
 その声にははっきりとした憤りが籠められていた。自分が呼び戻しさえしなければ美陽はきっと役目を果たしていたに違いない。決して役立たずなんかではない、と。
 その瞬間、王の嘲笑がぴたりと止まる。
「……得体の知れぬ異界の娘如きが私に口答えとは」
 反論されるなど思ってもいなかったのだろう、王の声音が不機嫌そうに低められた。しまった、と思わずびくりと体を震わせた時、手を添えていたマティアスの腕が彼女を護るように伸ばされ、その体を彼の背に隠された。
「あ……」
「これ以上、我が巫女達を侮辱するのは止めて頂きたい」
 いつもより低い、冷たい声が広間に響く。
「こんなくだらないことを言う為だけに我らを呼んだのですか。だというのならこのようなつまらない王を戴くこの国の先は知れたものですね」
「何だと?」
 マティアスの言葉に王が怒りの目を向ける。だが、彼はそんなことは意にも介さず、再び言葉を続けた。
「国が荒れたのを巫女の所為にするとは的外れもいいところだ。国を安泰に治めるのが王の仕事。巫女がするべきことではない。それすらも分からないのですか」
「マティアス、貴様……その娘の為にこの私を愚弄する気か」
「愚弄ではなく真実ですよ」
 彼の背中越しに二人の言い合いを聞いていた美雨はひどく狼狽えた。マティアスの口調は仮にも国王に向けるものではなく、その怒りを買っているのは火を見るよりも明らかだ。
「いくら血を分けた弟とはいえ、それ以上は許さんぞ」
「……え…?」
 王の一言に美雨は目を見開いてマティアスの後ろ姿を見つめた。

―― 血を分けた……弟…? ――

 そこで初めて先ほど感じた違和感の正体を思い出した。
 ラーグでは王侯貴族以外、姓を持つ者は居ない。それは巫女になって間もない頃、アヴァードから教えてもらったことだった。だからさっき騎士が訪問を告げた時に引っ掛かるものを感じたのだ。
 あの騎士はマティアス=ラヴラン、と確かに彼の姓を言っていた。そして王が言った一言。
 それはマティアスが王族であるという事を示すものだった。






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