寂しげな笑みを浮かべる男の顔をディオンは微かなランプの明かりの中で改めて見つめた。
 金の髪に緑の瞳、そして何よりも己と顔立ちが良く似ている。だが、幼い頃に別れたきり会っていなかった弟だ。その頃の顔しか知らないから正直、言われなければ気付かなかっただろう。
 だが、その弟に対し、ディオンの胸中に懐かしむより先に他の感情が溢れてくる。無意識のうちに美雨を抱く腕に力が籠った。
 拒絶を隠そうともせずに冷たく帰れ、と一言だけ告げるが、ディーニは一瞬言葉に詰まっただけで意志の強い瞳を向けて再び口を開いた。
「伝えたいことがあってここまで来たんだ。話を聞いて」
 話の内容など聞かなくとも分かる。どうせアウリと同じことを言うのであろう。
「俺はお前と話すことなど一つもない。さっさと家に帰れ」
「兄さん!」
 縋るような目をしているディーニから逃げるように顔を背けると、その先で腕の中に居た美雨と目が合った。彼女はどこか不安気な表情をしてこちらを見上げていた。
 自分でも知らぬうちに腕に力が籠っていたことに気付き、ディオンは少しだけそれを緩める。
「皆、心配してあなたを探している。早く神殿へ戻ろう」
 そう言ってディオンは美雨の肩を抱き、彼女の返事を聞くよりも早く神殿へ向かって歩き出した。
「兄さん……」
 まだ何か言いたそうな顔をしているディーニの横を通る時もディオンは彼に一瞥もくれず、まるでそこには誰もいないかのように進んでいく。逸る気持ちに任せて半ば引っ張るように歩かせていた美雨の足が躊躇いがちに止まった。
「どうした?」
 急いているせいか、口調が少し強くなってしまう。それに萎縮したようだが、美雨は恐る恐る口を開いた。
「……あの……話、聞いてあげたら…?」
 美雨のその一言にディオンは思わずカッとなった。それは己の心の狭さ、頑なさを指摘されたようで情けなく、そして恥ずかしかった。
「あなたには関係ないことだ」
 それを誤魔化す為に咄嗟に口を衝いて出た言葉だったが、美雨の姿を見てディオンはすぐさま後悔した。ごめんなさい、と小さく謝る彼女は視線を伏せ、少し怯えた風に身を縮めている。

―― 何をしているんだ、俺は…… ――

 美雨に悪気があって言ったことではないと分かっている。だが、頭ではそうと理解しているのに感情がついて行かない。
「……すまない。だが、いいんだ。もう行こう」
「………」
 意見を曲げそうにないディオンに、美雨が微かに首を縦に振る。ほっと小さく息をついて再び歩き出そうとした時、ディーニの声が聞こえた。
「兄さん……母さんのこと、アウリ様から聞いているんだろ?」
 その言葉に今度はディオンの足が止まる。
「母さんは兄さんには教えなくていいって言ってたんだ。でもやっぱり兄さんには伝えるべきだと思って……兄さん、母さんに会いに」
「ディーニ」
 ディオンは少し大きな声でディーニの言葉を遮った。
「俺は今更会いに行くつもりはない。アウリ様にもそうお伝えした」
「兄さん!少しでいいんだ。今を逃したらきっともう……だから」
「だから何だというんだ」
「え……」
 ディオンの声がより冷たく、より低く響く。必死に説得していたディーニもこれには言葉を失った。
「本人は教えるな、と言っていたのだろう?ならばそれでいいじゃないか。向こうも会いたいなどと思っていないということだ」
「それは違う!母さんはずっと会いたがっていた。こんな風になる前、何度も会いに行こうとしていたんだ!だけど……兄さんに合わせる顔がないって…」
「………」
「頼むよ、兄さん!一目でいい、それが母さんの願いなんだ!」
 その言葉にディオンの中で押さえていたものが溢れた。

―― 俺が願った時は……誰も…! ――

 美雨の肩を抱いていないほうの手を痛いくらいグッと強く握り締める。
「そんなもの、俺が知ったことではない。今更会いに行けなど勝手だとは思わないのか?それともそれすら黙って従わなければならないとでも?」
 激情に駆られ、思わず語気が強くなる。薄明りの中でもディーニが怯んだのが分かった。
「それは……でも…」
「俺は行かない」
「兄さん!」
「元より俺はあの中には必要のない人間だったんだ。あの人には、あの人達にはお前さえいればそれでもう」
 いいんだ、と続けようとした言葉の代わりにパンッ、と乾いた音が響いた。左の頬がジンジンと痛み、その痛みでようやく叩かれたのだと気付く。
「………」
 驚きに言葉を失いながら、すぐそばに居た美雨を見下ろす。彼女はハッとしたような顔をして一瞬視線を彷徨わせ、そのまま俯いてしまった。
「……ミウ…?」
「もう……止めて…」
 聞き逃してしまいそうなほど小さな声。ディオンの頬を叩いた右手を隠すように覆った左の手。その小さな手が、声が、微かに震えていた。




 神殿から少し離れた場所を手当たり次第駆け回りながら、クートは先ほどの光景を思い出していた。
 美雨がいなくなった、と泣き出しそうな顔をしてマティアスにしがみ付くカヤ。だが、クートにはそれに違う姿が重なって見えていた。

―― あの時と……同じだ… ――

 美陽が姿を消した時、彼女も今のカヤと同じようにクートにしがみ付いてきた。不安と心配に揺れる大きな瞳に涙を溜めながら。
 大丈夫、必ず見つかるから、と言いながら自分よりも少し暗めの赤髪を撫でてやった。だが、翌日も、その翌日も美陽は見つからなかった。そうして彼女は日に日に気力を失い、笑わなくなっていった。
 知らぬうちに握り締めていた手に爪が食い込み、その痛みにハッと我に返る。
 今は自分の感情よりもまず美雨の行方を探すのが先決だ。周囲に意識を張り巡らせて美雨の姿を探すが、彼女の気配は一向に感じられない。クートの中に焦りが芽生え始めた。
 どれほど自分が美雨を快く思っていなかろうが、この世界を救う可能性を秘めているのは今はもう彼女しかいない。その美雨が居なくなれば今度こそラーグは終焉を迎えるだろう。
「…っ……ミウ!!」
 怒り、焦り、恐れ。様々なものが混じり合って一言では言い知れぬ感情に突き動かされ、クートは彼女の名を叫んだ。初めて、その名を呼んだ。
 今まで彼女の名を呼ばないようにしていたのはどうしても抵抗があったからだ。否、抵抗というよりも意地のようなものだったのかもしれない。敢えて "巫女" と呼ぶことで、その役目から逃れられないのだということを彼女に知らしめてやりたかった。
 少し息が上がって来た頃、クートは足を止めた。近辺を一通り回ったが、それでも美雨の姿は見つからない。もしかすると他の誰かが既に保護している可能性もある。
 そう考えたクートは一度神殿に戻ろうと踵を返し、再び駆け出した。
 神殿の入口が見えてきた時、そこから少し離れたところに人影があるのを見つけた。目を凝らして見てみるとディオンと彼に肩を抱かれている美雨の姿だった。
 それを認め、クートは安堵の息を吐いた。が、その雰囲気が妙なことに気付いた。
 ディオンは全くこちらに気付く様子もなく、何処か硬い表情のまま、半ば美雨を引っ張るようにして足早に歩いていた。いつもの冷静な彼らしくない。
「ディオン」
 少し大きめな声で呼ぶと、ようやく彼はハッとしたようにこちらを向いた。クートは小走りに彼らに近付いた。
「……クートか」
「どうかしたのか?」
「いや……」
 その答えは曖昧ではっきりとしない。もう一度問おうと口を開きかけると不意にディオンが美雨の肩を放し、クートの方へ押しやった。
「すまないがミウを連れて先に戻ってくれないか」
「それは構わないけど……何?」
「……すぐに戻る」
 ディオンの性格上、巫女を後回しにするなどよっぽどの事がない限りしないだろう。
「……分かった」
 それ以上詮索すべきじゃないと判断して頷いたクートに、ディオンはすまない、と小さく言って何処かへと向かって行った。それを見送りながらクートはちらりと美雨を見やった。
 何の為に部屋を抜け出したのかは知らないが、彼女の勝手な行動の所為で余計な心配と不安を掛けさせられた者がいる。そのことに次第に苛立ちが大きくなり、皮肉の一つでも言ってやろうか、と思ったのだ。
「……っ…」
 だが、開きかけた口からは何も言葉は出て来なかった。
 美雨が泣いているように見えたからだ。
 いつもは表情が乏しい彼女だが、この時ばかりは違っていた。実際に涙を流していたわけではないが、今にも泣き出しそうな面持ちでディオンの背中を見つめていた。

―― 何だよ……その顔… ――

 見ているこちらまで切なくなるような、そんな表情だ。初めて目にする彼女の表情にクートは瞠目し、そして何よりもそのことに動揺している自分に驚いた。
「……行くぞ」
 それを誤魔化すようにして美雨の腕を取り少し強引に引っ張ると、彼女はようやくディオンから視線を外し、少し顔を俯けてついてきた。
 その様子を見ているとこの短時間でディオンとの間に何かあったのではないか、と変に勘ぐってしまいそうになる。そんなことを考えてしまう自分に更に苛立ちを覚えた。
 口を開けば何か余計なことを言ってしまいそうで、クートはそれ以上何も言わず、なるべく美雨を見ないようにしながら神殿へと入っていった。






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