それから三日間、一行は途中の街にある礼拝堂で宿を借りながらティスカ神殿へと向かった。
 その間、最初の礼拝堂で向けられたのと同じ視線が常に突き刺さり、いくら美雨が気にしないようにしていてもやはり疲弊は感じざるを得ない。見知った旅の仲間だけしかいないこの移動時間は張り詰めていた気がほんの少し解ける時間でもあった。
 ぼんやりしているとクートとマティアスの声が漏れ聞こえてきた。どうやら日によって順番に交代しているらしく、今日は御者席にクート、警護にマティアスが着いているようだ。くぐもっていて良く聞こえないが、二人で何やら話をしている。
 ディオンもその声が聞こえたのか、車窓に取り付けられた薄いカーテンを引き、外に目をやった。
「もう街に入ったようだ」
 その言葉に促され、美雨も視線を車外に向けた。
 そこには想像していたよりも立派な街が広がっていたが、しかし何処か寂しげな雰囲気が漂っていた。歩いている人々の表情も暗く、その数も街の広さに反して疎らだ。
「どうやらこのままティスカ神殿に向かうようだな」
 ディオンは車内に視線を戻しながら言った。
 四神官は皆、それぞれの四神殿から選出された者たちだ。ディオンもそれに外れず、ティスカ神殿に身を置いていたはずだ。それ故、道を見ただけでどこを走っているのか分かったのだろう。
「こんな形でまたここへ戻るとは思わなかった」
 ふと独り言ちるように呟いたその言葉が美雨の胸に刺さった。自分が美陽を呼び戻さなければすでに儀式は終わり、今頃は陽の光が溢れる日々を取り戻していたはずなのだ、と。
 ディオンはきっと美雨を傷付けるような事は言わない。だから今のもそんなつもりで言ったのではないということは分かっている。だけどそれでもそう思ってしまうのは美雨の中に拭い切れない自責の念があるからだろう。
 窓の外から視線を戻し、美雨はほんの少し俯いた。カヤにもディオンにも気付かれないようにごく自然に。
 それから少しして馬車の速度がゆっくりと落ち、やがてガタン、と止まった。
「着いたぞ」
 少しして扉がギイ、と音を立てて開いた。風に煽られて閉じてしまわないようにそれを押さえながらクートが素っ気なく告げる。
 先に馬車を降りたディオンが手を差し出し、美雨はそれを取ってゆっくりと馬車を降りた。肌を切るような冷たい風が吹き付け、反射的に身を縮ませる。
「ここが北の四神殿、ティスカ神殿だ」
 ディオンの声に視線を上げると、美雨は目の前の大きな建物に寒さも忘れ、思わず感嘆の息を漏らした。
「……すごい…」
 失礼ではあるが今までの街にあった礼拝堂とは比べ物にならないほど荘厳な建物で、総本山ともいうべきゼノフィーダ神殿と比べても遜色がないと思えた。
「ラーグの "柱" とも言うべき神殿のひとつだからな」
 その大きさに圧倒されていた美雨の心境を察したのか、ディオンはそう言った。
「とりあえず神官長様のところへ行こうか」
 そう言って二人のやり取りに割って入ったのはマティアスで、彼は視線でディオンを促した。だが、何故だか美雨にはマティアスのその瞳が意地悪っぽく、そして何処か面白がっているように見えた。
「そうだな。ひとまず中へ入ろう」
 ディオンは迷いない足取りで神殿の入口へ向かって行った。




 ティスカ神殿の入口に向かうとそこに立っていた門番はディオンの姿を認め、丁寧に礼をとった。
「ディオン様、お久しぶりです」
 長いことこの神殿に身を置いていたディオンは、自身がゼノフィーダ神殿に移って以降に新しく入った者以外の神官は大体見知っていた。この門番もそのうちの一人だ。
「元気そうだな」
「ディオン様もお元気そうで何よりです」
「アウリ様はおられるか?」
「はい。巫女様のご到着は知らせてありますので、すぐにこちらへいらっしゃいますよ」
 神殿の紋章が刻まれた馬車が到着した時点で、彼らは "光の巫女" の一行が到着したことに気付いたのだろう。すでに迎え入れる準備が整っているようだ。
「では巫女と四神官を連れて来よう」
 ディオンは一旦、馬車の方へ戻り、荷を下ろしながら待っていた皆にその旨を告げた。
「神官長様が中で待っておられる。まずは挨拶に行こう」
 そう言って美雨に向かって手を差し伸べると、少し躊躇いがちな美雨の小さな手が重なった。その手が離れないように、と包み込むようにそっと握り締めた。
 先頭を歩く美雨とディオン、その後ろに四神官とカヤがついて行く。
 神殿の入り口をくぐり抜けるとき、彼女の手にほんの少し力が入ったように感じられた。だが、ちらりと窺った表情からは何の変化も読み取れない。
 隠しているのか、ただ単に表情に出ないだけなのか。いつもそうやって感情を見せないから、いま彼女が何を思っているのか分からない。
「ミウ」
「はい?」
 彼女の感情を感じ取ることが出来ない自分に焦れ、思わず呼んでしまった。が、美雨は何ら変わった素振りもなくディオンを見上げただけだ。
「……いや、何でもない」
 漆黒の瞳にじっと見つめられ、ディオンはその視線から逃げるように前を向き直す。すると前方から初老の神官が歩いてくるのが目に入った。
「これは巫女様、四神官殿。遠い地からよくぞ参られました」
 その神官は彼らの前で立ち止まり、そう言って人好きのする穏やかな笑みを浮かべた。
「初めまして、巫女様。私はこの神殿を預かる神官長、アウリと申します。概ねのことは司祭アヴァード様から伺っておりますが、まずは旅の疲れをとって、話はそれからに致しましょう」
「はい」
 つい挨拶も忘れて頷いてしまった美雨だったが、アウリはそれを気にも留めずににこりと微笑み、それからゆっくりと踵を返して彼らを先導して神殿の奥へと進んだ。
「滞在する間、この三部屋をお使い下さい。休息は一時間ほどで足りますかな?」
「大丈夫です」
「では後程、使いを寄越しましょう。それまではゆっくりとお休み下さい」
「ありがとうございます」
 美雨がアウリに向かって頭を下げると彼はまたにこりと微笑み、それから今しがた来た道を戻っていった。
「それじゃあお言葉に甘えて休ませてもらおうか」
 アウリの姿が小さくなるとマティアスは皆の方を振り返ってそう言った。
「そうですわね。あ、その前にミウ様にお茶を淹れて差し上げなくちゃ」
「いまはいいからカヤも休んで」
 いまにも厨房を探しに行きそうなカヤを慌てて引き止める。と、彼女は一瞬驚いたような表情をし、それからすぐに破顔して頷いた。
「ミウ、俺たちも一度部屋に入る。何かあったらすぐに呼んでくれ」
「はい」
 そこで一度解散することになった一行はそれぞれ二人ずつ部屋に入っていき、それから約束の一時間が経つまで休息の時を過ごした。




 時間になり迎えに来た神官のあとについて行くと大きな扉の部屋の前に到着した。神官がそれを開き、一行が中へ入るとそこにはすでにアウリが待ち構えていた。
 そこはどうやら応接間のような場所で、長椅子が二脚とそれに見合った机がひとつ置いてあった。
「どうぞ、巫女様。お掛け下さい」
 ゆったりとした動作で椅子を勧められ、美雨はちょこんとそれに座った。四神官達は長椅子の後ろに並ぶようにして立っていて、自分だけ座っているのが申し訳なく思えてくる。
「では改めてご挨拶を。私は四神殿のひとつ、北のティスカ神殿を預かる神官長のアウリと申します」
「美陽の姉で真山美雨といいます」
 美雨がぺこりと頭を下げると、アウリは穏やかな笑みを深くして頷いた。
「早速ですがこれからのことについてお話致しましょうか」
「はい」
「これから七日間、巫女様にはここで祷りの舞いを捧げて頂きます。祷りを行うのは夜半、月の出る時間。とはいっても実際には闇で月は見えないのですが」
 アウリの説明に美雨はふと首を傾げた。
「七日間?」
 マティアスから教わったあの舞を舞うことは承知していたが、そんなに時間をかけるとは思っていなかった。
「左様です。御身の中にこの地のセラを蓄え、そしてその力をこの地に分け与える。それを七日に分けて行い、少しずつ北の大地と巫女様を繋げていくのです」
 ふうん、と小さな声を出して頷く。説明を聞かされれば何も知らない美雨はそういうものなのか、と納得するしかない。
「祷りは夜ですから、日中の時間はもちろん自由に過ごして頂いて結構ですよ」
 そう言われても何をしていいのか思い浮かばない。少々困って黙っていると、アウリが助言をしてくれた。
「先んじて出されたゼノフィーダ神殿からの知らせにより、新たな巫女が現れたことはすでに国中の民が知っています。今まで心を暗くしていた者たちもようやく希望を取り戻しました。彼らに御顔を見せてやるのもよいでしょう」
「でも私……」
 これまで出逢った者たちの視線を思い出し、美雨は口籠った。神官ですら口には出さずとも "禁忌の双子" として怯えた視線を向けていた。
「双子、ですかな」
「……はい」
「確かに民にはそこまで詳しい話は届いておりません。きっと恐れ、怯える者もいることでしょう。しかしそれでも巫女という希望の光を彼らに与えてやって欲しいのです」
「……分かりました」
 逡巡したが結局、美雨は首を縦に振った。巫女としてやるべきことならやらなくては、と。
 アウリはその様子を見て笑みを深めた。聖職者が纏う空気の所為か、その笑みがどことなくアヴァードと重なって見えた。
「真面目で聡明な巫女様だと伺っておりましたが、正にその通りですな」
「………」
 返答に困って黙り込むと、アウリは愉快そうに笑った。
「では祷りの舞は明日の夜半より始めましょう。今日はゆっくりと体を休めて下さい」
「はい」
「四神官殿は何かありますかな?」
 アウリが美雨の後ろに立っていた彼らに視線を向け、そう尋ねた。代表としてマティアスが軽く頭を振った。
「いえ、私達からは特に」
「そうですか。ではここらでお開きと致しましょう」
 そう言って立ち上がったアウリに促され、美雨も腰を上げる。そのまま四神官について部屋を出ようとした時、後ろから思い出したように声がかけられた。
「ああ、そうだ。ディオン、話があるのだが少しよいか?」
 同時に振り向いたディオンを見上げると、彼は少し渋い表情をしてそれから美雨に視線を落とした。
「先に戻っていてくれ。何かあれば代わりに他の者に」
 美雨が頷くとディオンは彼女を他の三人に託し、そのままアウリの元に向かって行った。
「じゃあ先に戻っていようか」
 マティアスに肩を引かれ、美雨は頷いてついて行く。部屋を出るときにちらりと後ろを見やった時に目にしたのは、少し悲しげな表情で話すアウリとそれをいつもと変わらぬ様子で聞くディオンの姿だった。






日向雨 TOP | 前ページへ | 次ページへ






inserted by FC2 system