「それから巫女の力についてじゃ」
 アヴァードの元で学ぶようになってしばらくして彼が言った。
「儀式の後でそなたの体調が急変した時、力を借りているだけ、と言ったのを覚えておるかの?」
「はい」
「借りたのはそなたの生命力、ラーグでは "セラ" と呼ばれるものじゃ」
「セラ?」
「左様。万物から流れ出る氣、生命力といったもので、目には見えずとも今ここにも溢れておる」
 そう言ってアヴァードは手の平を空中にかざした。美雨も少しだけ手を動かしてみるが、やはりそこに何かがあるようには思えず首を傾げた。
「例えば樹木。春になれば緑を芽吹き、冬にはその葉を落とし、そしてまた春を待つ。こうして繰り返される命の流れ、その息吹きで世界は満たされておるのじゃ」
 言葉では分かっても感覚が分からない。美雨が怪訝そうにしているのを見てアヴァードは困ったように笑った。
「生まれた時からそばにあるものと思っておるワシらには当たり前のことでも、異世界から来た巫女には違和感のあるものになるのじゃな」
 刷り込みとはまた違うのかもしれないが、似たようなものだろう。人は馴染みのないものはなかなか理解出来ないものだ。
「普段から少し意識して慣らしておくとよいかもしれぬ」
「はい」
 美雨はひとまず頷いた。
「では話を戻そうかの。ともかく巫女はセラをその身に受け、そして力として使う。あの時はラーグとの繋がりも少なく、巫女として目覚めたばかりのその身に蓄えられたセラももちろんなかった。それ故、そなた自身の生命力で補ったのじゃ」
 あの時の倦怠感を思い出し、美雨は自分の体を確かめるように胸に手を当てた。
「じゃが、少ししたら回復したであろう?」
「はい」
「それはそなたが周りのセラを受けて失った分を補填しておるからじゃ。そうやって巫女は自然とセラをその身に蓄えていく」
「それが巫女の力?」
「いいや、それは巫女の特性の一つで、力はまた別のもの。己のセラと集めたセラを交ぜ、様々な現象を起こす。それが巫女の力じゃ」
「現象?」
「その最たるものが光じゃの」
 そう言われて気付いた。この世界に光を取り戻すのが巫女の役目。その為の力だ。
「どうすれば使えるんですか?」
「強く願う」
 ただ一言端的に言われ、美雨は一瞬ぽかんとしてしまった。
「……それだけ…ですか?」
「儀式の時は舞で強制的に力を引き出すが、それ以外は書物にも記されておらず詳しいことは分からぬのじゃ。その力は巫女のみが持ち得るもの。それ故、巫女にしか分からぬものなのかも知れぬな」
「でも、私……」
 そんな力があるなんて正直、未だに信じ切れずにいる。それなのに力の使い方なんて分かるはずもない。頼みの綱であるアヴァードが知らないなんて八方塞もいいとこだ。
 だが、アヴァードはいつものように柔らかく微笑み、美雨の不安を優しく受け止めた。
「レゼルがそなたを巫女として認めたのじゃ。焦らずともいずれ自ずと分かる」
 そう言われてしまってはもう何も言えなかった。
「それからもう一つ。力を使えば巫女の体には多少なりとも負担がかかるという。いくらセラで補えるといっても妄りに使えばどうなるか分からぬ。それを忘れぬようにな」
「はい」
「ひとまず知っておけばよいものはこのくらいじゃの」
 そう言ってアヴァードはにっこりと微笑んだ。
「それにしてもそなたは本当に覚えが良い。この分では少し早く巡礼に出立出来そうじゃの」
 アヴァードは立ち上がって自分の机のところに戻りながらそう言った。
 元来、勉強を得意としていた美雨は予定よりも早い日数でこの世界のことをそれとなく理解していた。
「明日からは舞の練習に入るとしよう。ワシはもう思うように舞えぬからの、そちらはマティアスに頼んでおいた」
 マティアス、という名前を聞いて美雨は内心でため息をついた。
 この世界に来てからまだ一ヶ月ほどしか経っていないが、美雨は彼が少し苦手だった。だが、アヴァードが師と決めたのならば美雨は従うより他ない。
 そんなことを思っているうちにアヴァードが戻ってきた。彼はそれと、と言って美雨に杖を差し出した。
「これは歴代の巫女たちが使っていた錫杖じゃ」
 美雨がそれを受け取ると杖についた鈴がシャラン、と澄んだ音を立てた。女性の手に馴染む細さで、166センチの美雨の肩ほどの長さがある。

―― 私より以前の…… ――

 ということは美陽もこれを持っていたのだろう。そう思うと何だか不思議な気持ちになり、美雨はまじまじとその杖を見つめた。
 淡い白銀の杖にはそれは見事な細工が施されており、蔦のように緩やかな曲線を描く上部には所々に細長い鈴がついている。そしてその中央にはこちらの方がはるかに大きいが、神具と同じ石が輝いていた。
「舞を舞うときに必要となる。己が一部となるようにいつもそばに置いておくといい」
 思わず見惚れていた美雨にアヴァードは優しく言い、彼女はそれに頷いた。
「明日からも何か聞きたいことがあればいつでもおいで」
「はい」
「では今日はもう終いにしよう。レイリー、美雨を部屋まで送ってやっておくれ」
 アヴァードは部屋の隅にいたレイリーの方を振り向いてそう言った。
「はい」
 彼は恭しく頭を下げて頷くと、扉を開けて美雨に向かって微笑みかけた。無言で "どうぞ" と促されているみたいだった。
 美雨が入り口まで行くと後ろからアヴァードに声をかけられた。
「ではまたの、ミウ」
「はい」
 失礼します、と礼をしてから美雨は部屋を後にした。




 美雨を連れて彼女の部屋に向かう道すがら、不意に後ろから遠慮がちな声が聞こえた。
「あの」
「何です?」
 美雨を振り返りながらレイリーは優しく微笑んだ。
「薬湯、ありがとうございました」
「ああ、この前の。あれからちゃんと眠れましたか?」
「はい」
 そう答える彼女の顔色を見る限り、不眠になっているという風ではないようだ。おそらくあの夜は気が昂っていたか何かしたのだろうと思う。
 話をしながら歩く美雨の横顔を見ていたレイリーはふと足を止めた。それに気付いた美雨は少し遅れて立ち止り、振り向いた。
「でも……どうしてディオンがあなたの部屋に?」
 気付いた時には勝手に口をついて出ていた。
「え?」
「あんな夜更けにどうして?」
 何をバカなことを聞いているのだ、と我ながら呆れてしまう。当たり前だが、いきなりそんなことを訊かれた美雨は不思議そうな顔をしている。
「ランプの明かりが部屋の外に漏れていたみたいで、ディオンが声をかけてくれて……」
「………」

"ミウが眠れないようなんだが、何か薬はないだろうか"

 あの夜、そう言ってディオンが部屋を尋ねてきた。美雨が自ら眠れないと言ったのか、それとも単にディオンが聞き出したのか、そこのところは分からない。
 だが、自分には未だに心を開いてくれない彼女がディオンには違う一面を見せたのかと思うと何か面白くないものを感じる。
 あの日、そばにいたのが自分だったのなら、彼女は頼ってくれたのだろうか。
「あの……?」
「いえ、すみません。気にしないで下さい」
 すぐそばで首を傾げている美雨を見て、レイリーは声には出さず苦笑した。
「行きましょうか」
 そう言って歩き出せば彼女もまたそれに従った。自分の半歩後ろを歩く美雨をちらりと見やり、レイリーは聞こえないように小さく息を吐いた。

―― 未熟な証拠だな…… ――

 ディオンや他の神官だって美雨の伴侶候補の一人だ。彼女が自分以外の誰かを選ぼうとも文句は言えない。それなのに何故、こんなにもみっともなく感情を持て余しているのか。
 レイリーはこれ以上妙なことを口走らないように、としばらく口を閉じたまま、美雨を部屋まで送っていった。




 自室へと戻った美雨は、カヤが淹れてくれたお茶を飲みながらぼんやりと先ほどの話を思い返していた。
 レゼルが認めたのだから焦ることはない、とアヴァードは言っていた。
 しかし、力の使い方が分からない限り、巫女としての役目を果たすことは出来ないのではないだろうか。期限が迫っているいま、悠長に待っている時間だってないはずだ。
 考え込み過ぎて顔に出てしまったのか、横からカヤの心配そうな声が聞こえてきた。
「何かお考え事ですか?」
「あ……うん、ちょっと…」
 そう言いかけて美雨はふと思いついた。
「あの、"セラ" って知ってる?」
「もちろんですわ」
 やはりこの世界では知っていて当然のことらしい。
「私にはよく分からなくて……」
「ミウ様の世界にはないものなのですか?」
「ないっていうか……」
 ないとも言えない。生命力や氣というものは確かにある。だが、それが周囲に溢れているという認識がないのだ。そのことを伝えるとカヤは感心したように頷いた。
「やはり世界が違うと色々なことが異なるものなのですね」
「そうみたいね」
「先ほどから考えていらっしゃったのはそのことですか?」
 そう訊かれ、美雨は頷いた。
「アヴァード様から巫女の力について聞いたの。周囲から受けたセラと自分のセラと交ぜて力を使うって。でも力どころかセラ自体の感覚がよく分からなくて……」
 どうしたらいいのか分からず、自分でも知らないうちに参っていたのだろうか。普段ならば言わないのに美雨は考えていることを話していた。
 カヤもその珍しさに一瞬驚いていたが、すぐに嬉しそうに破顔した。
「何?」
「いえ、ミウ様が思ったことをお話して下さって嬉しくて」
 そう言われた美雨は少しだけ視線を彷徨わせ、それから困ったような笑みを浮かべた。
「ミウ様、あまり難しく考え過ぎない方がよろしいですよ」
「でも……」
 答えに渋る美雨に、カヤは言葉を続けた。
「私たちにとってセラは空気みたいなものなんです」
「空気?」
「はい。ここに空気がある、と思って息をする人はいないでしょう?それと同じで、セラも当たり前のように世界に満ちているのです。命の流れが続く限り、ずっとそこに在るものなんです」
 なるほど、と美雨は思った。その説明でいけば確かに考え過ぎていたのかもしれない。
「なんて、偉そうなことを言ってしまいました」
 そう言ってカヤはいたずらっぽく微笑んだ。その笑みが何処となくマティアスに似ている、と頭の隅で思う。
「ううん、ありがとう。少し気が楽になった」
 こんな風に誰かに話を聞いてもらったのはひどく久し振りな気がする。セラを当たり前のように感じられるにはまだかかるかもしれないが、それでも鬱々としていた気分が少し晴れた。
 礼を言われて嬉しそうにしているカヤにつられ、美雨もほんのりと口の端に笑みを浮かべた。






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