久しぶりにしっかりと眠れたお蔭か、翌朝起きた時には随分と頭がすっきりしていた。カヤに手伝ってもらいながら身支度を整え、朝食を終える。
 それから少し経って落ち着いた頃、クートが迎えにやって来た。
「アヴァード様がお呼びだ」
 彼の声音は相変わらず抑揚がなく、冷たいものだった。その声に儀式の時のあの瞳を思い出す。
「はい」
 美雨が答えるとクートは扉を手で押さえて廊下に出るように促し、それからすぐに足早に歩き出した。美雨は慌ててそのあとをついて行ったが、彼の歩調についていくにはやや小走りにならざるを得なかった。
 アヴァードの書斎に着くまでクートは一切言葉を交わそうとせず、何とも言えない沈黙が二人の間に流れていた。むしろ彼の背中からは話しかけるな、というような雰囲気が醸し出されている。

―― 気に入らない?……違う、もっと別の… ――

 美雨は前を歩くクートの背中を見つめながら、ふとそんなことを思った。
 ラーグに来て数週間、アヴァードを始めとして美雨の周りにいる者たちは皆、驚くほど好意的に接してくれていた。しかし、クートだけは違っていた。
 彼は最初から一貫して冷たい態度に徹し、美雨を見るその視線はいつも鋭く、険しかった。名前など一度も呼ばれたことがない。
 いつも他人と距離を取っていた美雨にとっては他の者たち好意のほうが慣れないもので、クートのことはさほど気にはならなかった。その仇敵を見るような視線以外は、だが。
 初めは自分が巫女になったことが気に入らないのかと思ったが、そんな言葉だけでは足りないような気がした。それほど彼の瞳は冷たかった。
 何故、あのような瞳で見るのか皆目見当もつかないが、とりあえず好意を持たれていないことだけははっきりしている。
 そんなことを考えているうちにいつの間にか書斎の前に到着したようだ。クートが扉をノックしている。
「クートです。巫女を連れて参りました」
「入りなさい」
「失礼致します」
 扉を開けたクートはさっきと同じように中に入るように促している。礼を言おうとクートをちらりと見やったが、彼は目も合わせようとせず、すっと違う方へ視線をやった。
 結局何も言うことは出来ず、美雨は彼の横を通り過ぎる時に小さく会釈だけして部屋の中へ入った。
「おはよう。ゆっくりと休めたかの?」
「はい」
「それはよかった。では今日から早速学んでもらうとするかの」
「よろしくお願いします」
 そう言いながら頭を下げるとアヴァードは楽しげに笑った。
「真面目な娘じゃの。まあそこに掛けなさい」
 椅子を勧められた美雨がそこに腰を下ろしている間、彼は部屋の隅で何かを探しているようだった。
「ではまずこの世界のことから始めようかの」
 アヴァードはそう言いながらテーブルの上に大きな巻紙を広げて置いた。ところどころ擦り切れている古びた紙には陸地と海が書き記されている。つまりこの世界の地図だ。
「見ての通り、ラーグは大きく分けて四つの大陸に別れており、その中にある様々な国で世界が成り立っておる。そしてその中心に位置するのがここ、ゼノフィーダ神殿じゃ」
 そう言ってアヴァードは地図の真ん中にある小さな島を指した。
「そなたが現れたのはこの神殿の中にある "白花の社" という場所じゃ」
「女神が降り立った場所……ですよね」
 美雨が言うとアヴァードは少し驚いたように眉を上げた。
「おや、知っておったか」
「前にディオンから少しだけ聞きました」
「そうか。ならば神話も聞いたかの?」
「はい」
「聞かせてくれるかの」
 そう言われ、美雨はディオンから聞いた話を思い出しながら話した。終わりまで聞くとアヴァードは納得したように小さく頷いた。
「なるほど」
「間違えてましたか?」
「いいや。しかし、少し足りぬようじゃ」
 含んだ言い方に美雨は首を傾げた。
「女神が降り立った時、そばにもう一人神がおったのだ。レゼルの兄妹神、名はリグド。闇を司る神じゃ」
「……闇…」
「レゼルは光を、リグドは闇を。喜びと悲しみ、歓喜と絶望。二人は相反するものを人々に与えた。次第に人々は闇を、リグドを恐れ、レゼルのみを崇めるようになった。しかし、リグドが与えたものは人々の根底に深く残った。それは光すらも呑み込み、争いが絶えない世界へと変わっていった。その後はディオンが話したものと同じじゃ」
 それを聞いて黙ったままでいると、アヴァードがふっと笑みを浮かべた。
「何故、ディオンがこれを話さなかったのか聞きたそうな顔じゃの」
 アヴァードの言う通りだった。あの時、彼はどうして全てを話さなかったのか、それが気になっていた。
「おそらくはそなたの為を思ってじゃ」
「どういうことですか?」
「ラーグでは禁忌とされることがあってな……」
 そこでアヴァードは言葉を区切り、少しだけ目を伏せた。
「双子じゃ」
「え……?」
「レゼルとリグドは双子の兄妹神であったと伝えられておる。それ故、双子は厄災を招くと恐れられ、特にリグドと同じく先に生まれた子は生まれてすぐに命を絶たれる。運良く生き延びたとしても迫害は免れん」
「……そんな…」
 神話にある神と同じというだけで、双子というだけでそんな運命を負わねばならないのか。あまりにも酷い風習だ。
 美雨はそう思ってからハッと気が付いた。
「……私も…」
 双子だ。それも闇の神リグドと同じく先に生まれた者。
「そう、それ故ディオンは話さなかったのだろう。儀式の前にそなたの心を乱してはいけない、と」
「………」
 それを聞いて今まで不思議に思っていたこと全てに合点がいった。
 儀式の服を作りに来てくれた女性たちの態度。初めて会った時のカヤの瞳。
 気のせいかと思っていたが、やはり自分の直感は合っていたらしい。彼女たちは怯えていたのだ。"禁忌の双子" である美雨の存在に。
「だけどそれなら私に "光の巫女" なんて……」
「それは違う」
 アヴァードは美雨がそれを言う前に否定した。
「言ったであろう、全てのことは必然である、と。確かに初めは驚いた。じゃが、ミハルがいなくなったこと、そなたが来たこと、そしてそれが双子であったこと……その全てに必ず意味があるはずじゃ」
「……でも…」
「それに "清めの儀" でレゼルはそなたを巫女と認めた。それが何よりの証であるぞ」
「………」
 黙り込んでしまった美雨に、アヴァードは優しく微笑みかけた。
「そなたはそなたのやるべきことをすればよい」
「……はい…」
 頷きながらも美雨は何処か腑に落ちないものを感じていた。
 美陽を呼び戻し、自分がここに来てしまったこと。代わりの巫女として生きる道を選んだこと。そして禁忌とされている双子であること。
 これら全てが必然だというか。ならばそれは一体何の為に仕組まれた運命なのだろう。
 だが、美雨が腑に落ちようが落ちまいがそんなことは関係ない。全ていまこの時に起っている事実なのだ。何の力もない自分にそれを変えることなど出来やしない。
 瞬きをするように一瞬だけ瞳を伏せると、美雨は再びアヴァードと視線を合わせた。




 扉のすぐ横の壁に背を預けて立っていたクートは伏せていた視線を少しだけ上げ、部屋の中程でアヴァードの話を聞いている美雨をちらりと見やった。
 さすがというべきなのか、見た目は見分けがつかないほど瓜二つな美雨と美陽。しかしながらその雰囲気は全く別のものだった。

―― 禁忌……か… ――

 アヴァードの話を聞きながらクートは心の中で小さく嘲笑った。
 忌むべき存在である双子。
 先に生まれ落ちた美雨はこの世界ならば真っ先に命を絶たれる存在。それなのにその彼女に世界の命運を託さねばならないなど、何の因果なのだろうか。
 美雨もそれに気付いているのか、何処となく納得していない様子に見える。
 クートは彼女から視線を逸らせると再び目を伏せ、考えに耽った。ぐるぐると同じ問答が頭の中を巡っている。しかし、何度考えても行きつくところは同じだった。

―― やはり四神官を降りるべきだった…… ――

 "光の巫女" は何があっても、たとえ我が身を犠牲にしてでも護らなければならない存在だ。幼い頃から神殿に仕えてきたクートだ、そんなことは十分に解っている。
 だが、あの日・・・から巫女を護りたいと思う気持ちに一点の影が落ちた。
 何よりも大切な存在を思い出す度、落ちた影は大きくなっていくように感じる。ともすれば、そこから憎しみに変わってしまいそうな心を抑えるのに必死だった。
 こんな心のまま四神官としての務めを果たすことが出来るとは到底思えない。
 アヴァードにも正直にそれを伝えた。だが、彼はクートが四神官を降りることを頑として許してはくれなかった。
「そなたの気持ちは分かった」
「では……」
「じゃが、そなたが四神官を辞すのを許すわけにはいかぬ」
 アヴァードは穏やかに、かつ有無を言わさぬ口調でそう告げた。
「彼女らは己の意思と関係なく選ばれ、この地へとやって来た。そしてそれと同様にそなたも選ばれた者なのじゃ」
「ですが……」
「確かに今はまだ心を切り替えることは難しいかもしれぬ。じゃが、そなたならばいずれ全てを受け入れることが出来るはずじゃ」
「………」
「焦ることはない。そなたもまたゆっくりと歩めば良い」
 クートにはもうそれ以上反論することは出来なかった。

―― だけど……俺は… ――

 数日前に交わしたアヴァードとの会話を思い出し、クートはそっと目を閉じた。
 美陽と入れ替わるようにやって来た美雨。アヴァードや他の四神官達がどう思っていようと、自分にとって彼女は確かに忌むべき存在であった。
 彼女が美陽を呼び戻しさえしなければ、と思わずにはいられない。それさえなければクートは今でも巫女を護る忠実な神官の一人として穏やかにいられただろう。
 心の深いところにじわりと滲んでいく毒のような暗い影。
 自分でもどうにも出来ない感情に、クートは彼らに聞こえないように小さくため息をついた。






日向雨 TOP | 前ページへ | 次ページへ






inserted by FC2 system