「まずは一ヶ月、巫女として覚えておかねばならぬことをワシの元で学んでもらう。その後、四神官と共に各大陸にある神殿を巡礼、ここに戻って潔斎を終えればいよいよ光耀こうようの儀、闇を祓う儀式じゃ」
 簡単に、と前置きが合った通り、アヴァードの説明はかなり大まかであった。だが、巡礼という単語を聞いた美雨は儀式を行うまでに大分時間がかかるらしいことに気付いた。
「すぐに出来るわけではないんですか?」
 初めてここに来た日、彼らは美雨を見るなりすぐに巫女になって欲しいと言った。前巫女であった美陽がいなくなり、それほど状況は逼迫ひっぱくしていたはずだ。
 それなのにどうしてこんなにも回りくどいことをするのか、と疑問に思い、それを尋ねる。
「ミウ、そなたが為すべきことは何じゃ?」
 質問に質問で返され、美雨は戸惑いながら答えた。
「……闇を祓うこと…です」
「左様。じゃが、巫女になったからとてすぐにそれが為せるわけではない。そなたはまだこの地との繋がりが浅く、理も知らぬ。それを深め、様々なことを知り、そうして初めて闇を祓うことの出来る巫女となるのじゃ」
「………」
 ただ巫女になればいいのだと思っていた美雨は安直な考え方をしていた自分に呆れ、そして恥じた。
「おっと、説教くさくなってしもうたの。まあそういうことじゃ」
 そんな美雨を余所にアヴァードはいつもの調子でそう言って穏やかに笑った。
「話を戻すが、そなたがまずここで学ぶことは大きく三つ。一つはこの世界の理。二つは巫女としての力の扱い方。そしてもう一つは舞じゃ」
「舞……ですか」
「祈りを捧げる時に舞うものじゃが、それほど難しいものではないので安心せい」
 そう言われても舞など習ったこともないので何とも答えようがない。美雨は困ったように眉を少し下げた。
「この三つを学び終えたら先ほど言った通り、四神官と共に巡礼に出る。これについては話が長くなるので明日以降、詳しく説明しよう」
「はい」
「それからいまそなたが身に着けているものがあるじゃろう?」
 トントン、とアヴァードは自分の腕を指し、美雨の腕についているそれを示した。彼女がそれに視線を落とすと再び口を開く。
「それらは神具じゃ。その役目はいずれ話すとして、ひとまず今日から肌身離さずつけておくように。巫女の証でもあり、祷りの際に必要となる大切な物じゃ」
「分かりました」
「ああ、それともう一つ大切なことを忘れておった」
 何だろう、と顔を上げた美雨と目が合うと、アヴァードはにっこりと人のいい笑みを浮かべた。
「そなたに伴侶となる者を選んでもらうことになる」
 彼の唐突すぎる発言に、様々なことに思いを巡らせていた美雨の思考回路は停止した。
「………え?」
 ようやく口から出た言葉はそれだけだった。驚きすぎて何を質問すればいいのかも考え付かない。
「巫女の守護者して選ばれた四神官は同時にそなたの伴侶の候補でもある。彼らの中から一人を選び、夫婦として契りを交わすのじゃ」

―― 契りって……嘘でしょ…? ――

 だが、アヴァードの目は至って真面目だ。嘘ではないことくらい十分に承知しているが、それでもそう思わざるを得ない。否、そう思いたかった。
「神官……とか巫女って……そういうの禁忌なんじゃないんですか?」
「ミハルも同じようなことを言っておったが、そなたらの世界ではそういうものなのか?」
 そう言って首を傾げる彼の顔には興味深げな表情が浮かんでいる。
「巫女はその……清らかな体じゃないと…」
「ここではそのような決まりごとはない。清き心を無くさぬ限り、巫女は巫女で在り続ける」
 アヴァードはさも当然のようにそう言った。
 どうやら元の世界とはそういった観念が違うらしい。美雨もそういったことは詳しくはないが、牧師などには妻子もいるし、それと似たようなものなんだろうか。
 だけど、と美雨はアヴァードの後ろに立ち並ぶ彼らをちらりと見やった。

―― この中の誰かと……私が…? ――

 ほんの少しの想像すらすることが出来ず、すぐさま視線を引き戻す。
 思わず否定の言葉が口をついて出そうになったが、巫女として覚悟を決めた以上、それがやらなくてはならないことならばやるしかない。
「……分かりました。決めて頂ければ、私はそれに従います」
 せめて自分で選ぶというのではなくのではなく、誰かが決めてくれたほうが有難い。譲歩するようにそう言ったが、それに対してアヴァードはあっさりと首を振って却下した。
「それは出来ぬ。そなたが選ばなければ意味がないからの」
 何かを含んだような言い方が少し気になったが、美雨は一度視線を落としてから彼に問うた。
「いつ……までに決めなきゃいけないんですか?」
「遅くとも "光耀の儀" の十日ほど前まで、じゃな」
「……分かりました…」
 目に見えて表情を曇らせた彼女を見て、アヴァードは優しく微笑んだ。
「さて、詳しいことは全て明日からの勉強の中で話していくとするかの。今日はここまでじゃ」
「……はい…」
「ゆっくりと知っていけばよい。この世界も、そして彼らも」
 彼の声は本当に優しく、普通ならば安堵するところなのだろう。だが、美雨の心は波立つようにざわついた。
 美雨は全てを見透かすようなアヴァードの瞳から表情を、そしてその心を隠すように少しだけ俯いたまま、小さくゆっくりと頷いた。




「大丈夫かい?」
 部屋まで送る役を買って出たマティアスはその途中で美雨に声をかけた。隣を歩く彼女は少しぼんやりとしているように見えた。
「あ……はい…」
「何か不安なことでもあるのかな?」
「………」
 不安でないはずがない。この沈黙がそれを如実に表している。それでも彼女は人を頼ろうとはしなかった。
 何故そこまで頑なに他人を拒むのか。それはこれから共に行動していく中で明らかになっていくのだろうか、とそんなことを思う。
「大丈夫、私達がついてるから」
 優しい言葉をかけながら美雨の顔を覗き込むと、彼女の体が驚いたようにびくっと強張った。その随分と可愛らしい反応につい悪戯心が芽生えてしまう。
 マティアスは口の端を上げ、固まったままの美雨の腰を攫った。耳飾りがしゃらん、と冷たい音を立てる。
「きゃ……」
「君が望むならずっとそばにいてあげるよ」
 マティアスは美雨の耳元に唇を寄せてとびきり甘い声で囁いた。自慢ではないがこの顔と声が女性にとって魅力的であるということは知っている。
「……っ…」
 声にならない声を漏らして美雨が首を竦めた。それを追うようにマティアスの指が美雨の頬を滑る。
「だからそんなに不安そうな顔をしないで」
「……あ…の…」
「ん?」
「………」
 微笑んで見せれば彼女は黙して俯いてしまった。その頬が心なしか薄紅色に染まっているように見える。
 予想以上の可愛さにマティアスは思わず抱き締めたい衝動に駆られたが、いまはまだ早い、と自制を働かせて自分を抑えた。ふっと笑ってから彼女を解放する。
「ごめんね、悪戯が過ぎたかな」
「………」
「でも、さっき言ったのは本当。君が望んでくれるなら最後までそばにいるよ」
 聡明な彼女は自分が何を言わんとしているのかすぐに悟ったようだ。ハッとしたように顔を上げた彼女に優しい笑みを向ける。
「さあ、部屋に戻ろうか」
「……はい」
 部屋の前まで送り届けると出迎えたカヤと一言二言交わし、すぐに美雨に視線を戻した。扉を押さえて中に入るよう促す。
「ゆっくり休むんだよ」
「はい」
 彼女が足を踏み出した瞬間、マティアスは引き止めるようにその華奢な手を掴んだ。
「ミウ、不安になったらすぐに呼んで。いいね?」
 マティアスは少し屈むようにして美雨の手に口付けながらそう言った。奥の方から息を呑むようなカヤの小さな声が聞こえる。
「……はい」
「いい子だ」
 掴んでいた手を離すとそのまま彼女の頭を軽く撫で、マティアスは部屋をあとにした。
 自室に戻る道すがら、美陽のことを思い浮かべる。さすがに双子というだけあって外見はそっくりだが、中身は全く別のものだった。明るく可愛らしい美陽と、どこか陰のある美雨。こうやって言葉にしてみれば普通なら誰もが美陽のほうに惹かれるだろう。
 だが、彼女は感情がないわけではない、と先程のやり取りではっきり分かった。表情が乏しいせいで見えにくくはあるが、むしろ些細なことにも反応する豊かな心を持っているはずだ。

―― いつか見せてもらいたいものだね…… ――

 青灰色の硝子のような瞳を輝かせながら、マティアスは楽しげに口の端を上げた。




「ミウ様、お疲れになったでしょう」
 マティアスが出て行った後、カヤが気遣うように声をかけた。横に首を振りかけてから美雨は答える。
「そうですね、少し疲れました」
 椅子に座った美雨の前に置かれたティーカップに湯気の立つお茶を注ぎながら、何気なくカヤが口を開く。
「ミウ様は私に対してまで丁寧なお言葉で話して下さいますけど、もっと気を楽にして頂いていいんですよ」
「でも」
 困ったように少しだけ眉を寄せた美雨だが、カヤの笑顔に遠慮の言葉は引っ込んでしまった。
「神官様にはそうはいかないかもしれませんが、私にくらいは話しやすいお言葉でお話し下さいませ」
「……わかった。ありがとう」
 自分のことを気遣って言ってくれてるのだろう、それを無下に断ることは出来なかった。
 敬語を使わずに言ってみるとカヤの表情がパッと明るくなり、その笑顔に思わず美雨の心も少し明るくなった。
「体調はいかがです?少し横になられますか?」
 儀式直後のような倦怠感はないが正直、いつもより体が重たく感じられる程度には疲れている。だが、不思議なほど頭は冴え、横になったところで眠れそうな雰囲気はなかった。
「ううん、もう大丈夫だから……心配かけてごめんね」
「いいえ」
 にっこりと微笑むカヤにつられたように美雨の口元に微かな笑みが浮かんだ。それを見たカヤが驚いたように目を丸くし、それから嬉しそうに笑った。

―― ゆっくりと……か… ――

 少しずつ知っていけばいい。
 それがいまの自分に出来る唯一のことだ。そう思うことで美雨はようやく少しだけ先を見ることが出来た気がした。






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