「ミウ、ご苦労であったな。儀式は無事終えたよ」
 いつもと同じ柔らかな声に、美雨はホッと安堵の息を吐いた。いつの間にか胸の前で握っていた手の力をようやく緩める。そんな彼女を労うようにアヴァードはぽんぽんと軽く頭を叩いた。
「それでは部屋に戻ろうかの」
「はい」
 そう言って歩き出したアヴァードの後を来る時と同じようについて歩いていく。



『――――――』



 祷り場を出る間際、美雨は不意に足を止め、後ろを振り返った。シャラン、と耳元で飾りが鳴る。
「どうかしたかの?」
「……いえ…」
 美雨は祷り場を見つめながら曖昧に答え、小さく首を傾げるとすぐに前に向き直って歩き出した。その後ろで扉の閉まる重々しい音が聞こえた。
 部屋まで戻った美雨は少し休んでおくように、とアヴァードから申し付けられた。どうやらこの後、今後のことについて少し話があるらしい。
「それと着替えてよいが、儀式でつけた飾りは外すでないぞ」
「これですか?」
 美雨は腕に付けられた飾りに触れ、アヴァードに視線を戻した。
「そうじゃ。理由は後でじゃ」
「分かりました」
「ではカヤ、ミウに温かいお茶でも出してやってくれ」
 彼は部屋の隅に控えていたカヤに声をかけ、そのまま部屋を出て行った。パタンと閉まる音を聞きながら、美雨はふと鏡に映った自分の姿を眺めた。
 部屋を出た時は純白の衣と編み上げのサンダルだけだったのに、いまはアンクレットにブレスレット、イヤリング、ネックレス、そしてマリアティアラのような髪飾りまでついている。
 大仰に飾り付けられてはいるものの、石自体に色がなく繊細な細工のせいか豪奢には見えず、むしろ清楚な感じで純白の衣と上手く調和されていた。
 しばらくその姿を見ていたがやはり違和感は拭えず、思わず苦笑してしまいそうになる。まるで自分であって自分ではないようだ。
「ミウ様、お茶が入りましたよ」
 その声に振り返るとテーブルにはすでに温かな湯気を立てたカップが置いてあった。終わるころを見計らってすでに用意してくれていたのだろう。
「ありがとう」
 椅子に腰をかけて淹れたてのお茶を一口すする。いい香りが鼻を抜け、体の中が温まっていく。
「それにしても本当にお美しいですわ」
 ふと見上げると、カヤが胸の前で手を組んでうっとりとこちらを見ていた。その眼差しと言葉に思わず咽てしまった。
「あら、どうされました?」
「……いえ…」
 少々言葉に詰まりながらも笑顔のカヤに答えた直後、美雨は尋常ではない倦怠感に見舞われた。張りつめていた緊張が途切れた所為とかそういう程度のものではない。まるで体の芯から力が抜け落ちてしまったような、そんな感じだ。
「……っ…」
「ミウ様?」
「ご、ごめんなさ……ちょっと…横に…」
 突然青褪めた美雨に驚いたカヤはすぐに手を貸すと彼女をベッドへと連れて行き、ゆっくりと横にさせた。
「大丈夫ですか?アヴァード様にお知らせを……」
「平気……少し…疲れた…だけ…」
 そう言ってカヤを引き止めると美雨は重くなってきた瞼に逆らうことなく瞳を閉じた。しばらくして横にいたカヤが慌てたように部屋を出て行く気配を感じたが、すでに引き止める気力はなかった。
 朦朧としていく意識の中、美雨の頭の中にふと浮かび上がったのは祷り場を出る間際に聞こえた、声。
 他の誰にも聞こえてはいないようだった。だけど、確かに聞こえた気がした。

―― 何て……言ったの… ――

 それを思い出すこともままならず、美雨の意識は深く沈んでいく。瞼の裏に儀式のときと同じ不思議な光が浮かぶのを感じながら、眠りの世界へと引き込まれていった。




 カヤに呼ばれて部屋にやって来たレイリーはベッドで眠る美雨を見るなり枕元に行って屈み、一瞬躊躇ってから彼女の額に手を当てた。その後ろでカヤが心配そうな瞳を向けている。
「お茶を召し上がっていたら……突然お加減が悪くなって…」
 カヤは今にも泣き出しそうな声で説明した。
 だが、深く眠り込んでいる美雨の呼吸は安定しているし、体温や脈なども異常はなさそうである。レイリーは起こさないように静かに立ち上がり、落ち着かせるように微笑んだ。
「大丈夫ですよ。もう少ししたら自然と起きるでしょうから、それまではこのまま眠らせておいて下さい」
「は、はい」
 それでも心配なのか、カヤは眠る美雨のそばについたまま離れようとはしない。レイリーは自分の手に一度視線を落とし、それからまた美雨の寝顔をじっと見つめた。
 かけられた毛布の下から覗く巫女の純白の衣。それを身に纏い、清らかな光を湛える石で飾られている彼女の姿はまるで女神のようであり、触れてはいけないもののようだった。
 その所為だろうか、静かに眠る彼女の横顔は初めてそれを見た時以上に儚げに、そして美しく見えた。
「レイリー様?」
「ああ、すみません。アヴァード様には私から話して……」
 ぼんやりとしてしまっていたレイリーが我に返ってそう言いかけた時、美雨が少しだけ眉を寄せて身じろいだ。
「ん……カヤ…さん…?」
 ゆっくりと瞼を開け、重たそうに体を起こす。レイリーがいたことに驚いたのか、眠そうだった美雨の目がぱっちりと開かれた。
「ご気分はいかがですか?」
「大分良くなりました。急にすみません」
 美雨が小さく頭を下げると、カヤは安堵の笑みを浮かべながら首を振った。そのやり取りを傍らで見守っていたレイリーは穏やかに口を挟んだ。
「顔色は良いようですが、まだ体調が思わしくないのならこのまま休んで結構ですよ?話は明日にでも出来ますから」
 それを聞いた美雨はハッとしたようにレイリーに顔を向けた。
「私、どのくらい眠って……もしかして私が起きるのを待ってたんですか?」
「一時間も経ってませんよ。元々時間を空ける予定でしたから問題ありません」
 レイリーの答えに安堵したのか、美雨の肩が少し下がった。
「あの、本当にもう平気なので」
 レイリーは美雨が言わんとしていることを察すると、彼女が言うより早くそれを口にした。
「分かりました。ではアヴァード様に伝えておきますから、呼びに来るまでもう少し休んでいて下さい」
 それに頷く美雨の表情はすっかりいつもと同じ大人びたものに戻っている。少し残念に思いながら踵を返そうとしてピタリと立ち止まった。改めて美雨の姿を見やり、聞こえないように息を吐く。
 寝たせいで少し乱れたのか、白い衣の上にはらりと落ちた艶のある黒髪。色の対比がより一層際立っており、何処か色香のようなものが漂っているようにすら感じられる。
「……風邪を引かないよう暖かくしておいて下さいね」
 一瞬よぎった考えを誤魔化すようにそう言うと、後ろにいたカヤが慌てたように衣装棚へ向かった。色々あって着替えのことを忘れていたのだろう。
 これ以上ここに居ては却って邪魔になると思い、レイリーは退室することにした。
「それではまた後で」
 そう言いながら一度だけ美雨の頭を柔らかく撫で、そのまま梳くように肩にかかる髪を掬った。
 どうしてそんなことをしたのか自分でも分からないが、自然と手が伸びていた。彼女のクセのない滑らかな髪は絹のようだ、と思った。
 表情を変えずされるがままになっている美雨に少し困ったように微笑みかけ、レイリーは今度こそ部屋を後にした。




 しばらくして呼びに来た神官の後について案内された部屋にはすでにアヴァードと四神官も揃っていた。中央に置かれたテーブルにアヴァードが座り、マティアス達はその後ろに控えるように立っている。
「そこに座りなさい」
 美雨は言われた通り、テーブルを挟んでアヴァードの向かい側にある椅子を引いて座った。
「"清めの儀"、ご苦労であったな。体調はどうじゃ?」
「ご迷惑おかけしました。もう大丈夫です」
 レイリーが報告したのだろう、美雨は頭を下げてそう言った。
「気にすることはない。あれは仕方のないことじゃからの」
「え?」
「儀式の最後、光が弾けたようになったのを覚えておるか?」
「はい」
 幻想的なあの光景を思い出し、美雨は頷いた。
「あれは巫女の力、そなたの命の欠片じゃ」
「命の欠片?」
「そうじゃ。とはいえ何もそなたの命が削られている訳ではない。その力を借りているだけじゃ」
 借りる、と言われてもピンとこない。美雨は黙ったまま彼の話の続きを待った。
「この話はまたいずれ詳しくするが、その力が外に放たれることで巫女の体には大きな負担がかかるそうじゃ。程度は異なるようじゃが、そなたの不調もそれ故じゃろう」
「そうなんですか」
 詳しいことはもっとよく聞かねば分からないが、ひとまずあの極度の倦怠感の理由は理解出来た。
 つまりは力の源、言わば生命力のようなものが減った所為ということだろう。それが重度なのか軽度なのかは分からないが、寝れば回復したし、心配するほどではないようだ。
「とにかく、儀式は無事終えた。これでそなたは巫女となったわけじゃ」
「まだあまり実感はないんですが……」
 そう呟くとアヴァードはふっと笑い声を漏らした。
「それはそうであろうの。そういうものは追々ついてくるもの、今はそれでよい」
「……はい」
「疲れもまだ残っておるだろうから今日は簡単に今後の事だけ説明しようかの」
 無事に儀式を終えて目先の不安は一つ減ったが、これで終わるわけではない。むしろ、ここからが始まりなのだ。
 アヴァードが一呼吸置く様にデーブルの上に腕を預けて手を組んだ。美雨はそれをちらりと見やってから再び視線を戻し、彼の言葉の続きを待った。






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