巫女になると決めた翌日、美雨は朝から数人の女性に囲まれ、体の寸法を隅から隅まで測られていた。どうやら儀式のときに身に着ける服を作るようだ。
「あの、美陽の時の物があるのならそれでも……」
「いいえ、"清めの儀" とはその者の清廉さを女神に示すもの。その儀式にいくら前巫女様とはいえ他の者が袖を通した衣で臨むなどもっての外です」
 わざわざ作って貰うのも気が引けてそう言ったのだが、その中の一人に素気無すげなく却下された。
 衣擦れの音だけが聞こえる静かな部屋の中で、美雨は黙々と作業を続ける彼女たちをちらりと見やりながらそっと首を傾げた。

―― 何だろう…… ――

 ここにいる女性たちは皆、一度も美雨の瞳を見ようとしない。別にそれがどうしたというわけではないし、普段ならば大して気にはならないことだろう。
 それが何故気になったのかというと、彼女たちの態度がどこか怯えているように見えたからだ。自分が巫女となる人間だからなのかとも思ったが、どうにもそうではないように思える。
「それでは私達はこれで失礼致します」
「あ、はい」
 そんなことを考えているうちに作業が終わったらしい。女性たちは美雨に頭を下げてから部屋を出ていった。
 ふっと息をついて時計を見ればすでに午後を回っていた。何をするでもなくただ過ごしていたこの数日に慣れ切っていた身体が重く感じられた。忙しくなる、と言っていたアヴァードの言葉通りである。
 部屋の隅に用意してあった水差しからグラスに水を注ぎ、それを持って椅子に座る。ゆっくりと水を口に運びながら乾いた喉を潤しているとコンコン、とノックの音が聞こえた。
「ミウ、ワシじゃ。入ってもいいかの」
「はい」
 返事を受けたアヴァードは入ってくるなり美雨の姿を見てふっと笑った。
「少し疲れているようじゃの」
「いえ、大丈夫です。それより何か御用でしたか?」
 いつもより少し崩して座っていた所為で傍からも疲れているように見えたのだろう。美雨は姿勢を正すと彼に向かってそう訊いた。
「儀式について少し話しておこうと思うてな」
 アヴァードは美雨の真向かいの椅子に腰かけるとテーブルの上で手を組んで話し始めた。
「分かっておるとは思うが、"清めの儀" は巫女になる為の儀式じゃ。清めた身を純白の衣に包み、女神レゼルに祈りを捧げる。そこで女神の祝福を得て初めて巫女は巫女と成り得る」
「巫女に……なれない場合もあるんですか?」
「女神がそれと認めなければ或いはあるかも知れぬ」
 アヴァードは偽ることなくはっきりと答えた。

―― 認められなければ……或いは… ――

 頭の中でアヴァードの言葉を反芻し、美雨は膝の上で手をぎゅっと握りしめた。
「じゃが、それは今そなたが案ずることではない。それより、そなたにも覚えてもらわねばならぬことがある」
「……何でしょうか」
祝詞のりとじゃ」
「祝詞?」
「女神に捧げる祈りの言葉じゃ。祝福を得て恩恵を頂く重要な祈りでもある」
 あまり聞かない言葉に首を傾げるとアヴァードはそれに説明を加え、さらに言葉を続けた。
「巫女となるべくしてこの地に来た娘はその身に特殊な力を宿しておる。じゃが、その力を目覚めさせるには女神の祝福がなくてはならない」
 突拍子もない話に美雨は驚いて首を振った。
「私、そんな力ありません」
「言ったであろう、目覚めさせる、とな。今はまだ気付いておらぬだけで、そなたが巫女であるのなら必ずその身の内に眠っている力がある」
「………」
 否、と言わせない強い言葉に美雨は返す言葉が見つからずに口を噤んだ。それを見たアヴァードが青い瞳を優しく細める。
「その時が来たらそなたにも解るはずじゃ」
 アヴァードに言われると不思議とそう思えてくる。美雨は小さく頷いた。
「さて、祝詞なんじゃが、そなた字は書けるかの?」
「はい」
 美雨は彼の言わんとしていることを察すると頷いてから一度椅子を離れ、紙とペン、インクを持ってきてテーブルに戻った。
「今から言う言葉を儀式の時までに覚えておいておくれ」
「分かりました」
 椅子に座った美雨がペンを持つとアヴァードはゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。美雨が聞き取りやすいように区切りながら、繰り返し祝詞を唱える。
 インクを付けて使うペンには慣れておらず、どうにも早く書くことが出来ない。掠れたり濃くなったりと若干読みにくいが、美雨は彼の言葉を聞き洩らさないようにしながら紙に書き記した。
 言葉が途切れたので顔を上げるとアヴァードはそれから、と言って再び口を開いた。
「この続きはそなたに考えてもらう」
「私が?」
「四神官の瞳の色を言葉にして表すのじゃ」
 その意味を解しきれずに首を傾げるとアヴァードはにっこりと微笑み、そして美雨の瞳をじっと見つめた。
「例えばそなたの漆黒の瞳なら……全てを隠す宵の空、というところかの」
 自分の瞳の色を例えられて妙に恥ずかしく感じてしまう。美雨は思わず視線を手元に落とした。
「こんな風に彼らの瞳を見て感じたままに言えばよい。さて、その続きを言っていいかの?」
 小さく頷く美雨を見てアヴァードは再び祝詞を口にした。最初と同じように美雨の書く速度に合わせてゆっくりと唱える。
「これで全てじゃ。それほど難しくはなかろう?」
「はい」
 美雨は書き終えた文章を見て頷いた。確かに長々としたものではないし、これくらいならばすぐに覚えられるであろう。最後にもう一度初めから唱えてもらい、間違いがないことを確かめる。
「上手く唱えられなくても構わない。それよりも心を籠めることが大切じゃ」
「心……」
「左様。心がなければ祝詞はただの言葉になってしまう。そなたの心が籠められて初めてその意味を成す」
「………」
 アヴァードは不安気にしている彼女の頭をぽんぽんと軽く撫でた。その温かな手のひらはまるで "大丈夫だ" と言っているような気がした。
「ではワシは戻るが、何かあったら四神官を頼るのじゃぞ」
「はい」
 美雨の返事にアヴァードはにっこりと微笑みながら部屋を出て行った。
 扉が閉まるまで彼の背中を見送り、それから美雨は先ほど書いた紙に視線を落とした。シンとした部屋の中にゆっくりと読み上げる美雨の声が小さく響く。

―― 綺麗な言葉…… ――

 祝詞というから何か格式ばったものなのかと思っていたが、アヴァードが口にしたのはまるで詩のように柔らかだった。
 その響きがやけに落ち着き、繰り返し読んでいるうちに言葉たちはするすると頭の中に入っていく。何度か口遊くちずさんだあと、美雨は空白になっている部分で言葉を止めた。
 日本人には馴染みの少ない彼らの瞳の色をどうやって言葉にして表現するか、美雨は頬杖をつきながら考えたが、やはり簡単には思い浮かびはしなかった。
 だが、思い浮かびませんでした、では通用するはずもなく、儀式までの数日でなんとか言葉を作らなければならない。
 美雨は気が重くなるのを感じながら小さくため息を吐いて窓の外に目を向けた。




 儀式が明後日に迫った頃、マティアスに連れられて一人の少女がアヴァードの元に訪れていた。
「姪のカヤです。さあ、アヴァード様にご挨拶を」
「カヤと申します。"光の巫女" 様の侍女にお選び頂き、光栄に存じます。未熟ながら精一杯お仕えさせて頂きます」
 マティアスが促すとカヤと呼ばれた少女はドレスの端を持ちながら膝を折り、深々と頭を下げた。その言葉遣いや仕草には落ち着きがあり、聞いていた年齢よりもずっと大人びて見える。
「急がせてすまぬが、儀式に間に合ってよかった。疲れているであろうから今日はゆっくり休み、明日からミウのそばについてやってくれるかの」
「はい。お心遣い感謝致します」
 カヤは人好きのする笑顔を見せてそう言った。
「マティアス、神殿の中を案内してやってくれ。ミウへの目通しも明日でよい」
「かしこまりました」
「では、カヤ。これからよろしく頼むぞ」
「はい」
 そう言って頭を下げ、カヤはマティアスと共に部屋を後にした。廊下に出てからふうっと息を吐くと、それを聞いたマティアスがくすくすと笑った。
「緊張した?」
「当たり前です!まったく兄様はいつも突然なんですから」
「でもすぐに来てくれて助かったよ」
 じとっとした視線を向けるが、彼は反省の欠片も見えない笑顔でそう答えた。
 物心がついた頃から "兄様" と呼んでいる彼は、母親の弟でカヤから見れば叔父にあたる男だ。いつも突然驚くようなことをする彼には慣れていたが、今回ばかりは驚くどころの騒ぎではなかった。
 巫女の侍女として候補に挙がっているので神殿に来て欲しい、としたためられた手紙を受け取ったのは十日ほど前。いきなりのことで慌てふためいたものの、巫女を待たせるわけにもいかず、ほぼ身一つでこの神殿にやってきたのだ。
「いきなり巫女様の侍女だなんて……私に務まるのかしら」
 胸に手を当てるといつもより早い鼓動が伝わってくる。不安気に呟くカヤに向かってマティアスが柔らかな笑みを向けた。
「あまり気負わなくていいよ」
「でも……」
「大丈夫。何かあったら私のところにおいで」
 そう言ってマティアスが微笑むのをカヤは複雑な心境で見つめた。無駄に整った顔はそこらの女よりも綺麗で、そんな彼の笑顔にいつも丸め込まれてしまうのである。
「さて、部屋に行きがてら神殿の中を案内しようか」
「はい」
 神殿の中は何処も似たような造りでしっかり聞かなければ間違えてしまいそうだ。だが、それ以上に気になることがあったカヤは何処か上の空で、しばらくしてから躊躇いがちに尋ねた。
「兄様……巫女様ってどんな方ですか?」
 以前の巫女ならば見たことがあった。噂に聞いていた通り、笑顔の絶えない明るい人であったように思う。
 だが、新しい巫女はその存在自体がまだ民には知らされていない為、どういう人物か全く分からないのである。マティアスからの手紙で初めて新たな巫女の存在を知ったくらいだ。
 己が仕える者がどのような人物か知りたいと思うのは当然だろう。ましてやただの貴族などではなく、この世界の行く末を左右する重要な人物なのだから余計である。
 しかし、マティアスが答えたのはカヤの希望通りのものではなかった。
「それは自分で見て感じた方がいい。私がこうだ、と言えば嫌でも先入観が生まれてしまうだろう」
「そう……ですけど…」
 マティアスの言うことはもっともではあったが、やはり不安は拭い切れない。だが、これ以上訊いたところで答えてくれそうな雰囲気はなく、カヤは諦めて再び案内の声に聞き入った。






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