美雨は自分の部屋に戻る為、ディオンの後ろについて廊下を歩いていた。最後にアヴァードから言われたのはとりあえず今日はゆっくりと体を休めておくように、とのことだった。
 てくてくと歩いているうちに例の "白花しらはなやしろ" が見えてきた。
 巫女となることが決まったことで先が少しだけ見えたせいか、多少は心にゆとりが出来たのかもしれない。美雨は自分の世界とこの世界を繋げた場所というものに純粋に興味が湧いた。
「あの」
 目の前を歩くディオンの広い背中に向かって声をかけると、彼がゆっくりと振り向いた。
「どうした?」
 ぶっきら棒な物言いだが、誠実そうな瞳のせいか怖いと思ったことは一度もない。美雨は臆すことなく思ったことを口にした。
「"白花の社" に連れて行ってくれませんか」
「社か……来る時も気にしていたな」
 思い出したようにディオンがそう言った。それに美雨が頷く。
「分かった。あまり長居はしないがそれでもいいか?」
 美雨がもう一度頷くと、ディオンは道を逸れて中庭のような場所に足を踏み出した。その後に美雨もついていく。
 少し歪な石畳で出来た小道の両脇は本来ならば緑色の草や綺麗な花で埋め尽くされているであろうと思われるのに、今は茶色の土が顔を覗かせているだけである。
「足元に気を付けて」
 ぼんやりとそれらに目を向けていた美雨だったが、ディオンの声が聞こえてふと視線を上げると、もう社のすぐそばまで来ていた。
 近くで見ればそれなりに大きな建物であったが、ゆるりとした弧を描く円柱型に丸みの帯びた屋根を戴くその外観は全てを包み込むような優しげな印象を持たせた。
 ディオンは扉の前まで来るとすっと身を引いてその場を美雨に譲った。美雨は古めかしい扉の前に立ち、ゆっくりとそれを自分のほうに開いた。
 ギイっと軋む音を聞きながら、思わず中の風景に目を奪われた。
「……綺麗…」
 無意識のうちにそんな言葉が零れ落ちる。
 入口から向かって正面に石像が一つひっそりと佇む他は何もない広い部屋。だが、その足元から広がるように咲いている白い花と、それを照らすランプの灯りがゆらゆらと揺れて幻想的な雰囲気を作っていた。
 ここへ来たあの時はさすがに気が動転していてそんなことを思う余裕もなかったが、いまこうして改めてこの場を見れば言葉に出来ないほど神秘的であった。
 思わずその場に立ち尽くしていた美雨の背中にディオンの手が触れた。ふと我に返って見上げれば、彼は何も言わずに少しだけ首を傾げ、中へ入るように促した。
 恐る恐る美雨が社の中へ足を踏み入れると、後ろから静かに扉が閉められた音が聞こえた。
「ここは遥か昔から神聖な場所として大切にされてきた」
 ディオンの低い声が丸い天井に反響する。

―― ここが……二つの世界が繋がった場所… ――

 ディオンが神聖な場所と言った理由が分かるような気がした。言葉に表すことは難しいが、何とも言えない不思議な雰囲気が社の中に漂っている。
 美雨は白い花で埋め尽くされているところまで辿り着くと、おもむろにその場にしゃがみ込んだ。小さな白い花々はあの日と同じように見事なほど咲き乱れている。
 何気なく手を伸ばし、近くにあった花びらに触れた。スカートの裾に当たった花々がゆらゆらと頼りなく揺れている。
「………」
「ミウ」
 ディオンの声が頭上から聞こえた。いつの間にかそばに来ていた彼にちっとも気が付かない程、美雨は意識を奪われていたらしい。
 見上げた瞳に映った彼の顔は何処となく不安気だった。不思議に思った美雨が少しだけ首を傾げると、彼はほっとしたように顔を緩めてから口を開いた。
「……それはパティゼアという花だ。"レゼルの花" と呼ばれている」
「レゼルの花?」
「そう、女神レゼルが愛でた花だと伝えられているからだ。女神像もその花を腕に抱いている」
 その言葉に促され、美雨は視線を石像に向けた。
 美しい女神はパティゼアをそのかいなに抱き、慈悲深い微笑みを浮かべて立っている。白い石で彫られたそれは名匠が作ったのか、非常に精巧かつ繊細に形作られていて、まるで芸術品のようだった。
 その女神像を見ているうちに、ふとこの場所のことが気になった。"白花の社" という名称まであるのだからただ自分が現れたというだけではなく、何かしらのいわれがある場所なのだろう。
 聞いてみたい、と思った美雨は横に立っている彼に向かってうかがうように口を開いた。
「ここはどういう場所なんですか?」
「ああ」
 そう言ってディオンは女神像に視線を向けた。
「ここは女神レゼルが降り立った場所とされているんだ」
「女神が?」
 聖地ということだろうか、と思いながら問い返すとディオンは頷き、そして静かに言葉を続けた。
「ラーグに伝わる古くからの神話だ。この世界が出来て間もない頃、この地に女神が降り立った。女神は人々に知恵を授け、大地は豊穣となり、国は栄えた。人々は神殿を造り、"白花の社" と名付けて女神を崇めたが、いつの頃からか祈りの声は少なくなり、やがて争いが起きるようになった。争いが争いを呼んで世界は混沌とし、美しかった空は見る影もなく闇に呑まれていった」
 物語を読むようなゆっくりとしたディオンの声に美雨は黙って耳を傾ける。
「人も大地も荒廃し、いよいよ世界が滅びの道を辿ろうとした時、この神殿に一人の娘が現れた。咲き乱れるパティゼアの中で眠る娘を人々は女神レゼルの遣いと信じた。そして娘は人々の願いを聴き、空を覆う闇を祓い去ったという」
「それが最初の巫女?」
 美雨が尋ねるとディオンは頷いて肯定した。
「そしてそれ以来、巫女が現れるのは決まってこの社に咲く花の上だった。ミハルも、そしてあなたもここに現れた」
「……美陽も…」
「誰が何と言おうとも、ここに現れたことこそが巫女の証だ」
 そこで途切れた声に美雨がディオンを見上げると、彼の緑色の瞳とぶつかった。一瞬の静寂が二人の間を流れる。
「ミウ……レゼルの娘よ」
 ディオンは目線を合わせるように美雨のすぐ横にひざまずいてそう言った。思いがけない行動に美雨は驚き固まる。
「巫女としてこの地にある限り、俺はあなたのそばに」
「………」
 まるで誓いような言葉と、射るような真っ直ぐな瞳に捕らえられ、美雨は瞬きも出来ずに見つめ返すより他なかった。
 どうしていいか分からずに黙り込んでいると、ディオンがふっと微笑んだ。
「すまない、困らせてしまった」
 そう言ってディオンが美雨の手を取って立ち上がると、彼女はハッとしてその手につられるように立ち上がった。
「さあ、そろそろ戻ろう。ゆっくり休むように言われているだろう」
「……はい…」
 そしてその手は離されることなく、美雨はディオンに手を引かれたまま部屋まで連れていかれた。




 美雨が部屋に入ったのを見届けた後、隣の部屋に戻ったディオンは扉に背中を預け、無意識のうちにふうっと息を吐いた。片手で口元を覆うようにしてため息を隠しながら、さっきまでそばにいた美雨のことを思い出す。
 "白花の社" を見たいと美雨が言い出した時、本当は少しだけ迷った。
 あの場所はラーグと美雨のいた世界を繋いだ場所だ。そこが再び繋がるとは思わないが、アヴァードからも万が一に備えて見張るように言われている手前、そのような場所に連れて行くのは気が引けたのだ。
 それでも中を見たときの彼女はどことなくいつもの落ち着いた風ではなく年頃の娘らしく見え、連れて来てよかったと思った。が、それ束の間、異世界の服を身に纏った彼女がレゼルの花に触れた時、無性に不安に駆られた。
 消えてしまうのではないか、と思った。
 ディオンの瞳に映った彼女の横顔はあまりにも儚げで、思わず繋ぎとめるようにその名を呼んでいた。自分の顔を見上げる美雨は不思議そうに首を傾げていて、その様子にホッと胸を撫で下ろしたのだった。
 それを誤魔化すようにレゼルの花の説明をし、そしてそのあとも訊かれるままに社のことを話してやった。
「巫女として……か…」
 呟くように己の言葉を繰り返すとそう言うとディオンはふっと苦笑した。

―― 焦るなと言われているのに…… ――

 アヴァードが言っていた "清めの儀" というのは巫女になるために行う最初の儀式だ。それを行うということはつまり彼女が巫女になるのを承諾したということである。
 しかしながら儀式を終えないうちは美雨はまだ巫女ではない。あまり迂闊なことを言えば、彼女に要らぬプレッシャーを与えてしまうことにもなりかねない。
 それなのに自分でも意識しないまま、あの言葉が口からするりと出てしまっていた。
「……不思議な娘だ」
 色々な事実をかんがみれば、新たな巫女となる娘が来たからといって手を叩いて喜べる事態ではないと分かっている。
 だが、見知らぬこの世界に来た日から誰かを頼ろうとはせずにいつも毅然とし、未だに笑顔すら見たことがない娘の澄んだ瞳に、思わず手を差し伸べたいと思ってしまった。
 明るく笑顔の絶えなかった美陽とは違い、ふとした時に見せる迷子の子供のような寂しげな瞳がディオンの中に残っていた。
 とはいうものの、彼女は七つも年の離れた妹のような存在であり、その感情は保護する対象として、といった意味合いのほうが強いだろう。
 ふと、まだ伝えられていないであろう巫女の役目を知った彼女が最後に選ぶのは誰であろうか、と思った。
「まだ先のことだな」
 ディオンは自分の気早さに呆れてため息をつき、余計な考えを頭から追い払うべく軽く頭を振って儀式の準備に取り掛かった。






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