まだ桜の咲かぬ春。
 雪解けのお世辞にも綺麗とは言い難い道を歩き、万葉は学校へと向かった。真っ先に目指したのは玄関前に大きく張り出されたクラス名簿。
 案の定、そこには人だかりがあって字が見えるところまでは遠い。が、その中によく見知った背中を見つけた。
「紗耶!」
 手を振りながら呼ぶと、彼女は振り向いて満面の笑みを零した。
「おはよう、万葉」
「おはよう。もうクラス見た?」
「もちろん」
 Vサインを出しながらにっこりと笑っている。その笑顔に含まれている何かに気付き、万葉もパッと表情を明るくさせる。
「もしかして……」
 そう言った万葉の手を取って、紗耶がその続きを言った。
「一緒のクラス!!」
「やったあ!!」
 二人はまさに手を取り合って跳ねるようにして喜んだ。
 柏北高校では二年のクラス替えを最後に、卒業まで同じクラスなのが通例だ。それ故、生徒たちにとっては二年に上がるこのクラス替えがかなり重要なポイントで、それによって残りの高校生活が左右されると言っても過言ではない。
 一年の終わりに提出した進路によって文系と理系で別れるものの、万葉と紗耶は二人とも文系だったので同じクラスになれることを切に願っていたのだった。
「ほんと一緒になれて良かった」
「ね、すごい嬉しい」
 二人で新しいクラスへと向かう途中、万葉はふと紗耶に尋ねた。
「あ、そういえば担任とか見てくるの忘れちゃった。紗耶、見た?」
 すると紗耶はふふふ、と怪しげな笑い声を出した。思わず怪訝な顔で見返と、彼女はニヤッと笑みを浮かべて答えた。
「なんと、葵ちゃん!」
「……え…」
「もう超ラッキーだよ。万葉と同じクラスで、さらに担任が葵ちゃんなんてさ」
 万葉の動揺に気付かず、紗耶は嬉しそうに話している。
「あ、でも万葉は葵ちゃん苦手なんだっけ」
「いや、うん……まあ…」
 万葉は苦笑いのような笑みを浮かべて曖昧な答えを返す。
「でも万葉には悪いけど、本気で嬉しいかも」
 そう言って紗耶はケラケラと笑った。万葉も笑い声を零したが、内心では笑っていられる状況ではなかった。
 
―— 二年間……先生が担任…? ―—
 
 毎日会えるのはすごく嬉しい。けれど、自分の気持ちが誰かにバレテしまうかもしれないと思うと怖くもあった。
 このままいけば葵のことをどんどん好きになってしまうのは目に見えている。どうやってそれを隠せばいいのか、本当に顔に出ていないのか、それが不安だった。
 
―— でも…… ―—
 
 教室へ着くと黒板に張り出された座席表を確認し、万葉と紗耶はそれに書いてある席に座った。五十音字で並べられている為、一年の時と同じく前後である。
 万葉は鞄を横のフックにかけると、机の上に頬杖をついた。その手を少しずらして口元に持っていく。
 
―— 嬉しい…… ―—
 
 思わず緩んでしまった口元をその手でさり気なく隠す。口ではなんと言おうと、いくら不安に駆られようと、やはり嬉しいものは嬉しいのだ。その心が一番素直な万葉の気持ちだった。
 そのことばかりが頭を占めていた所為で、突然真横でした物音にびくっと背筋が伸びた。驚いてそちらを見るとどうやら隣の席の男子生徒が筆箱を落としてしまったようである。
 彼はさっさと散らばったペン類を拾い上げると何事もなかったかのように席に着いた。若干ぽかんとしながらそれを見ていた万葉の足に何かがコツン、とぶつかった。
 机の下を覗くようにして足元を見るとそこには一本のペンが落ちていた。それを拾い上げた万葉は、ちらりと隣のクラスメイトを見やった。さっき筆箱を落としていたし、きっと彼の物だろう。
「あの」
「ん?」
 恐る恐る小さく声をかけると即座に彼が振り向き、万葉は思わず少し身を引いた。
「これ、落ちてたんだけど」
「あ、悪ぃ」
 そう言って彼は万葉からペンを受け取ると、再び机に伏せて寝てしまった。
「知ってる人?」
 小声で訊いてきた紗耶に万葉は首を振って知らない、と答える。
 もう一度だけちらりと隣を見やるが、彼はやはり机に伏せて寝たままだった。万葉は視線を戻し、紗耶との会話に戻っていった。




「それにしてもやっぱり葵ちゃんは目の保養になるね」
 帰りのHRが終わってすぐ、紗耶は椅子を逆さにして机の上に上げながらそう言った。
「そう?」
 帰る準備をしつつ、ちらりと視線だけ教壇へと向けると、日誌やら何やらをまとめている葵の姿が目に留まった。ほとんど美術室でしか見ることのなかった葵が自分と同じ教室にいるというのは、一ヶ月経った今でもまだ新鮮に感じる。
 一ヶ月間、担任としての葵を見てきて意外だったのが、思っていた以上に男子生徒にもかなり人気があるということだった。
 学年を問わず女子に人気があるのは周知の事実で、始業式の日はクラスの半分以上の女子がウキウキしていたのは記憶に新しい。しかしながら、さばさばとした物言いや学生と対等になって遊びに付き合うことから思いの外、男子からも慕われていた。
「そう思わない?」
 紗耶に不思議そうに言われ、万葉は首を傾げた。
「んー……」
 確かに葵はその辺にはあまりいないくらい整った顔をしてはいるし、スタイルだってすごくいい。冗談抜きでモデルと言っても通用するだろう。
 だが、万葉はそれで葵を好きになったわけではない。万葉にとって顔は二の次だった。だからどうしても紗耶の意見には頷くことは出来なかった。
「かっこいいとは思うでしょ?」
「それはまあ……思うけど」
 紗耶とそんな話をしていると不意に横から顔を覗き込まれた。驚いてパッと身を引くと、そこには始業式の日に筆箱を落とした隣の席の男子生徒、野宮洸大が立っていた。
 彼は珍しいものを見るような目で万葉を眺め、それからへえ、と言って口の端を少し上げた。
「な、何?」
「葵ちゃんにキャーキャー言わない女子、初めて見たかも」
「えっと……」
「やだ、野宮君。女子の話、勝手に聞かないでよー」
 対応に困っていた万葉に抱きつきながら紗耶が冗談めかしてそう言った。こういった反応が出来る辺りはさすが紗耶である。
「聞いてたんじゃなくて聞こえたの。お前らの声がでかいんだよ」
 洸大も負けじと言い返す。彼の整った顔にニヤリと意地悪そうな笑みが浮かんだ。
「野宮君、これから部活?」
「おう。矢野は?」
 洸大は紗耶にそう答えると、今度は万葉に向かって尋ねた。
「今日はお休み。ていうか活動日とか決まってないから」
 そう言って万葉はちょっと困ったように笑う。
「そっか。あ、やべ、行かなきゃ」
 洸大は時計を見ると少し慌てて大きなバッグを肩に掛けた。
「頑張ってね」
「おう、じゃあな」
 紗耶がそう言うと洸大は万葉たちに手を振り、そしてそのまま慌ただしく教室を出て行った。
「帰ろっか」
 同じタイミングでそう言った二人は顔を見合わせて笑うと、掃除をしているクラスメイトの間を通って教室の外に出た。すでに葵は職員室へ行ったのか、教壇に彼の姿はなかった。
「野宮君って意外と話しやすいよね」
「うん」
 玄関に向かう途中、さっきの流れで洸大の話になってそう答えたが、彼の第一印象は全く反対だった。ペンを渡した時の素っ気ない態度でとっつきにくい人なのかと思っていたのだ。
 だが、実際はそうではなかった。気軽に話しかけてくれるし、裏表がなさそうで好感が持てた。
「顔も結構かっこいいしね。モテそうじゃない?」
「あー、確かに」
「だよね。こうやって考えるとうちのクラスって当たりかも」
 紗耶のその言い方に思わず万葉は声に出して笑ってしまった。
「当たりって」
「えー、当たりじゃん。葵ちゃんもいるし、イケメンもいるし……あ、片桐さんもいたね」
 紗耶は思いついたように言いながら振り向いた。その名前に無意識に反応し、万葉の肩に微かに力が入る。
 片桐優奈。校内でも指折りの可愛さと評判の生徒で、クリスマスの時に駅前で腕を組んでいたあの子だ。今でもよく葵のそばにいるのを見かける。
「ああ……男子が騒いでたよね」
「やっぱり女子も見た目が重要なのかね」
 大げさにため息をついた紗耶に、万葉は苦笑いを浮かべる。
「そんなこともないと思うけど」
「まあ、万葉はそうかもしれないけどさー」
 下駄箱から靴を取り出し、それを履きながら紗耶が言った。
 人は見た目だけではないと思う。だけど優奈は確かに可愛らしく、葵のそばにいると美男美女でとても絵になる。それに葵だって可愛くない子よりは可愛い子に寄って来られた方が嬉しいかもしれない。
「万葉?」
「あ、ごめん。ぼーっとしてた」
「もう、話聞いてなかったでしょ」
 紗耶は笑いながら万葉の肩をペシッと軽く叩いた。
「ごめんごめん」
 あまり反省の色が見えない万葉に、紗耶は呆れたように笑う。それから二人は玄関を抜けて駅へと向かって行った。






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