「そういえば出来たの?」
 席について乱れた動悸をなんとか整えようとしているところに声をかけられ、思わずびくっと肩が上がってしまった。
「な、何が?」
「何がって……絵だよ、絵」
 葵は呆れたような顔をして万葉の手元にあるスケッチブックを指差しながら言った。過剰な反応をしてしまったことに恥ずかしくなる。
「……一応…」
「へえ、見せて」
「え?!嫌です!」
 思わず即答すると、一瞬呆気に取られていた葵がいきなり声を上げて笑った。
「ははっ、即答で拒否かよ。お前、面白いな」
「………」
 嫌だから嫌と言っただけで別段面白いことなど何もないと思うのだが、何故か葵にはツボだったらしい。未だに笑っている。
「あー笑った笑った。で、見せて」
 まだ笑いながらそう言って、葵は万葉に向かって手を出した。スケッチブックを渡せということだ。
「だから嫌ですって」
「ふうん……俺のスケッチブック勝手に見たの、誰だっけなあ?」
 頑なに拒否する万葉を横目でちらりと見るようにしながら葵が言った。その言葉に万葉はぐっと詰まったように言葉を無くす。
「……分かりました」
「素直でよろしい」
 じとっとした視線を向けるが、葵は意にも介さず満足気な顔をして頷いている。小さくため息をついてから渋々と席から立ち上がり、スケッチブックを葵に手渡した。
「サンキュ」
 そう言ってそれを受け取り眺める葵の横顔はいつになく真面目に見える。だが、そんな貴重な表情を見る余裕もなく、万葉は自分の顔を覆うようにして手を当てて俯いていた。
 
―— 絶対嫌だったのに…… ―—

 何故、万葉が絵を見せるのを渋ったかというと、葵のスケッチブックを見てしまったせいだ。あんなに上手い絵を描く人に自分の描いた拙い絵を見て欲しくなかったのだ。
「やっぱ上手いなあ」
 葵の感想を素直に受け取ることが出来ず、万葉はぶすっとしながらぼそりと呟いた。
「……先生のが上手いし」
「ん?何だ、それで嫌がったのか?そりゃお前、俺は一応美術教師だから」
 確かにその通りであるが、それを差し引いても嫌なのだ。だが、それを改めて本人から指摘されると自分の態度がひどく子供じみて見え、余計に恥ずかしさが込み上げてくる。
「………」
 黙ってしまったことが葵には拗ねたように見えたのか、彼は万葉の頭をいつものようにぽんぽんと叩いた。
「大丈夫だって。もっと上手くなるよ」
 それでも黙っていると葵は何か思いついたのか、そうだ、と言った。
「俺でよければ教えてやろうか」
「え?」
「一応顧問だし、お前真面目にやってるからさ」
「……でも…」
「誰かに教えられるとその癖がうつったりもするから嫌だって奴もいるし、無理にとは言わないけど」
 軽そうに見えてこういう所はしっかりとしている。きちんと自分のことを考えてくれているのだと思うと嬉しくなった。
 
―— それに…… ―—
 
 またこうして一緒に居られる時間が出来るかもしれない。そう思うと嬉しくて心が跳ねた。
「じゃあ……お願いします」
「オーケー。今日は時間ないから来週から始めようか」
「はい」
 素直に頷く万葉の姿に葵は満足そうに笑うとスケッチブックを片付けに準備室へと入って行った。
「じゃあ、また来週な」
「はい。さようなら」
「おう」
 美術室の前で別れ、その日はそれで解散となった。




 その時の約束を守り、葵は冬休みが終わってからもずっと万葉に絵を教えてくれていた。もちろん付きっ切りになることはないが、それでも必ず何かしらのアドバイスをくれ、万葉の絵は上達していった。
「紗耶、おはよ」
「……おはよ」
 挨拶を返す紗耶は何処となく元気がなさそうだ。彼女はいつもで明るい、というイメージだったので万葉はふと首を傾げた。
「どしたの?何か元気ないね」
「そう?そんなことないよ」
 紗耶はそう言って笑い返すが、その笑顔はやはりいつもと違っていた。
「ほんとに?」
「……昼休みに話す」
 神妙な声に心配が募り、万葉はこの場で話を聞こうと思った。が、ちょうどよくチャイムに邪魔され、後ろ髪を引かれながら自分の席に戻った。
 
―— やっぱり元気ない……よね… ―—
 
 休み時間も少し萎れた感じで気になって仕方がなかったが、それでも紗耶は昼休みに、と言うばかり。万葉は授業も上の空でちらちらと紗耶の様子を窺っていた。
「万葉」
 四限目終了のチャイムが鳴り、先生が教室から出て行ったと同時にどすっと勢いよく背中から抱きつかれ、万葉は思わずよろけながらも何とか転ばないように足を踏みしめた。
「ちょ、びっくりした」
「……万葉ぁ…」
 紗耶の情けない声が背中越しに聞こえる。
「紗耶?」
「………」
 尋ねても紗耶は背中に顔を埋めたまま、返事をしない。
 様子がおかしいことに気付いた万葉は紗耶を背中にくっつけたまま、一般教室とは階段を挟んで反対側にある特別教室の廊下の隅に向かった。ここならばあまり人目に付かないだろう。
「紗耶?」
 首に回されている紗耶の腕をぽんぽん、とあやすように叩くとようやく彼女が口を開いた。
「……万葉……あのね…」
「うん」
「……田内先輩………彼女…出来たのかも…」
「え?」
「朝、見たの……手繋いで歩いてるとこ…」
 涙声になっている紗耶の話をよく聞くと、どうやら親しげに手を繋いで登校している田内先輩を見かけた、ということのようだった。
「……それって彼女……だよね?」
 ぐすっと鼻をすすり、トーンの低い声で紗耶が言った。
「………」
 違うよ、とは言えなかった。
 高校生が手を繋いで仲良く登下校、となればもうその二人は付き合っていると考えるのが一般的ではないだろうか。
「やっぱり……もっと早く言えばよかった…」
 バレンタインの時も紗耶はちゃんとチョコを用意していたが、寸前になって渡すことが出来なかった。あの時渡していれば何かが変わっていたのだろうか。
「……紗耶…」
 朝からずっと泣きたいのを我慢していたのだろう。もっと早く気付いてあげられたらよかった、と今更ながら自分の鈍さを悔やんだ。
「あーもう!ごめん!!」
 内に溜まったものを吐き出すようにそう言いながら、紗耶は一度だけぎゅっと腕に力を籠めた。
「こんなこと言っても仕方ないのに」
「……紗耶…」
 するりと腕が放され後ろを振り向けば、そこには目元を少し赤くさせながらもいつものように明るく笑う紗耶がいた。
 絶対にそんな気分ではないはずなのに明るく振る舞う姿を見ていると余計に切なくなってくる。
「話したら少しすっきりした」
「そっか」
「万葉、ありがとね」
 聞くだけしか出来ない自分が不甲斐無く、それでもそう言ってくれる紗耶が嬉しかった。万葉は首を小さく横に振り、にっこりと微笑んで紗耶の礼に答えた。




 数日後、帰りに寄り道をしたいつものファーストフードの店で紗耶からその後の報告を聞いた。
「田内先輩、やっぱりあの人と付き合ってるんだって。部活の先輩から聞いた」
「……そっか」
「やだなあ、万葉がそんな顔しないでよ」
「でも辛いでしょ?」
「んー……まあ、ちょっとはね」
 そう言って紗耶は少しだけ眉を下げて笑った。
「そういえば万葉はさ、好きな人いないの?そういう話聞かないけど」
「……いない…けど、何で?」
 唐突に振られた話にドキリとし、万葉は咄嗟に嘘をついてしまった。
「いないならいんだけど、好きな人がいるならちゃんと自分の気持ち伝えた方がいいよって言っとこうかと思って。言わないで後悔するのだけは万葉にはして欲しくないからさ」
「………」
「人のふり見て我がふり直せ、ってね」
 そう言って茶目っ気たっぷりに笑う紗耶に万葉は困ったような笑みを返した。
 万葉が恋した相手は教師だ。どうして自分の気持ちを伝えることが出来ようか。言ったところで簡単にあしらわれるのが関の山だろう。
「万葉に好きな人出来たらめっちゃ協力するからね」
「うん……ありがと」
 今すぐにでも紗耶に相談したいのにどうしても言い出せない。何て厄介な人を好きになってしまったのだろうか。
 
―— ごめんね…… ―—
 
 親友にまで嘘をついてしまったことが心苦しく、万葉はそれを誤魔化すようにお茶を口に運んだ。






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