「わあ……」
 車を降りた万葉は目の前の景色に思わず息をつく。そこには葵が言っていた通り、白い砂浜が広がっていた。
「すごーい!砂、白い!」
 興奮を抑えきれずに隣に並んだ葵を見上げると、彼は得意気な顔をして笑みを浮かべていた。
「だろ?」
「早く行こっ!」
 思わず敬語を忘れていることにも気付かず、万葉は葵の腕を引っ張って砂浜へと降りて行く。足元の白い砂は太陽の熱を吸ってなかなか熱くなっているが、それもまた夏らしく、海に来たということを実感させてくれる。
「あんまり走ると転ぶぞ」
「大丈夫」
「そう言って前に教壇から落ちたの誰だっけ」
「あ、あれは先生が……」
 その時の状況を思い出し、万葉は頬を染めながらもごもごと文句を言う。
「この辺でいいんじゃない?」
 万葉の文句をさらりと流し、葵は用意していたらしいレジャーシートを砂浜に敷いた。その上に荷物を置き、重石替わりにする。万葉は自分が持っていた荷物の一つをなるべく日に当たらないように物陰に置いた。
「着替えは?あっちに更衣室とかあると思うけど」
「あ、中に着てきたからここで平気ですよ」
「準備がいいな」
「その方が早く遊べるかなって」
「うん、俺もお前の水着、早く見たい」
 葵のその一言で早速服を脱ごうとしていた万葉の動きがぴたりと止まる。思わずTシャツの裾をきゅっと伸ばして彼を睨みつけた。
「……エロオヤジ」
「オヤジは傷つくなあ。まだ二十六なんだけど」
 その言葉とは裏腹に葵は何にも気にしてないという顔で笑ってる。
 しかし本当に今更だが、ものすごく恥ずかしくなってきた。もしかして最初のデートが海というのはハードルが高すぎたのではないだろうか、とやや後悔する。
「……ちょっとあっち向いてて下さい」
「はいはい」
 クックッと小さく笑いながら葵が背を向ける。その隙に万葉は荷物に隠れて服を脱ぎ始めたが、いざ葵の前に出るとなると緊張してしまう。
「終わった?」
「ひゃっ!!」
 油断していたところを横から覗きこまれ、思わず変な声が出た。しかしそんな万葉を余所に、葵はまじまじと彼女の水着姿を見ている。その視線に恥ずかしさがどんどん込み上げてくる。
「へ、変、ですか」
 あまりの居た堪れなさに両腕を回して隠すように身を縮めると、頭の上にポンと葵の手のひらが乗った。
「可愛い」
 間近で見る笑顔とその言葉に万葉の心臓が大きく跳ねる。
「ほら、せっかく来たんだから行くぞ」
 そう言って自分の手を引き、海へと歩き出す彼の後ろ姿をちらりと見て、万葉は視線を泳がせた。
 いつの間に着替えたのか、葵もすでに着替え終えて上半身は裸だ。服を着ていると分からなかったが、意外と体格がいい。想像以上の逞しい体つきに目のやり場に困ってしまう。
 そんなこんなであまり前を見ていなかった万葉の足がいきなり浮いた。
「きゃっ?!」
 何故か葵に抱き上げられている。が、疑問を抱く暇も、恥ずかしがる暇もなく、直後、宙に投げ飛ばされていた。バシャン、と派手な音と水飛沫を上げ、万葉は冷たい水の中に落ちた。
「つ、冷たっ!!」
 北海道の海は夏場でも冷たい。まだ慣れていない体はその冷たさに驚いている。ゲホゲホと咽ながら慌てて立ち上がると葵は悪戯っ子のように笑っていた。
「何するんですか?!」
「ぼーっとしてっからだよ」
「だからっていきなり投げないで下さい!」
 そう言って怒る万葉の顔は次第に堪え切れなくなったように笑い顔に変わった。もう水着の照れくささも、葵の背中もみんな吹っ飛んでしまった。
 仕返しとばかりに葵に目掛けて思い切り水飛沫をかけてやれば、彼もまた楽しそうに笑う。水の中でじゃれあう二人は傍から見たら誰も教師と生徒とは思わないほど、自然な恋人同士だった。




 どれくらい遊んでいただろうか、気温は高かったがしばらく海に浸かっていたらさすがに体が冷えてきた。
「一旦上がるか」
「そうですね」
 葵の提案に頷き、一度海から上がった。濡れた体をタオルに包んでシートの上に座り込むと、当たり前のように葵が隣に座る。それがすごく嬉しい。
「飯、どうしようか。その辺で食う?」
 そう言って葵が海の家の方を見る。万葉はそちらを見てから日陰に置いていた荷物をちらりと見やった。
「えっと……お弁当、作ってきたんです……けど…」
 自信なさげに隣を見上げると、葵の驚いた顔がそこにあった。
「矢野が?」
「あ、でも嫌だったらどこかで」
 言いかけた万葉の眼前にふっと影が落ちる。気付けば葵の顔が間近にあり、優しく唇が触れた。突然のキスに思わず照れるのも忘れ、面を食らってしまう。
「せ、先生?」
「嫌なわけないだろ」
 満面の笑みを浮かべて葵が言った。
「どれ?」
「あ、えと、これです」
 保冷バッグを引き寄せ、ガサガサと中身を取り出す。保冷剤もいっぱい入れて来たからまだひんやりと冷たいままだ。万葉からお弁当を受け取った葵は嬉しそうに広げている。
「おお、美味そう」
「や、ほんとに大したもの作ってないからあんまり期待しないで欲しいんですけど」
 手軽に食べられるようにとラップで巻いた小さめのおにぎりをいくつか、それから昨夜のうちに作っておいた唐揚げと、枝豆、ミニトマトに卵焼き。夏場だし傷まないようにと考えるとこんなものしか思い浮かばなかった。
 見た目はともかく味はそれほど悪くないと思うが、そんなに喜ばれると逆に焦ってしまう。意味もなく目の前で両手を振りながら俯く万葉をスルーして、葵は早速、唐揚げを摘まんだ。
「うん、美味い」
「……ほんと?」
 不安気に葵の顔を覗き込むと、彼は思い切り優しい笑みを返してくれた。
「ほんと」
「よかったぁ」
 葵の笑顔にようやくほっと一息ついて、万葉も自作のお弁当を食べ始めた。
「矢野、料理とかするんだな」
「普段はあんまりしな……あ、でもお菓子はよく作りますよ」
 ぽろっと本当のことを言ってしまい、慌てて自分で自分のフォローを入れると葵が笑った。
「じゃあ今日は頑張ってくれたわけだ」
「う……まあ、そう……です」
 ちょっと恥ずかしくなってお弁当に視線を落とす。
「今度は手作りのお菓子でも食べさせてもらおうかな」
「お菓子ならちょっとは自信ありますよ」
「そりゃ楽しみだ」
 会話を弾ませながら、葵はパクパクとお弁当を口に運んでいる。食欲旺盛な男の人、という感じであっという間に半分ほど平らげていた。
 
―— 嬉しいな…… ―—

 自分が作ったものを美味しそうに食べてくれるのがこんなに嬉しいことだとは思わなかった。頑張って早起きした甲斐があった、としみじみ思いながら葵の食べる姿を見やる。
「ん?何?」
 顔を上げた葵と視線がぶつかり、ハッと我に返る。
「う、ううん。あ、私、飲み物買って来ますね」
 彼の返事を待たずに少し慌てたようにパッと立ち上がると、万葉は小銭入れを持って売店へ小走りで駆けていった。
 
―— 危ない、危ない ―—
 
 どうやら無意識のうちに目で葵を追ってしまう癖がついてしまったようで、今もまた彼の事ばかりに目をやってしまっていた。そんな自分に苦笑し、内心でペロリと舌を出す。
 売店でペットボトルのお茶を買って戻ろうとした時、後ろから声を掛けられた。振り向くと自分のすぐそばに茶髪と金髪のいかにも軽薄そうな男が二人立っていた。
「お、可愛いじゃん」
 ずい、と近寄られて思わず一歩足が引ける。
「ねえねえ、友達と来てんの?」
「俺らあっちにいんだけど一緒しねえ?」
「け、結構です」
 こういうのは関わらないのが一番だ。だが、目を合わせないで横を通り過ぎようとした万葉の前に、男の腕が道を塞ぐようにして伸びてきた。
「いいじゃん、ちょっとくらい」
「い、行かないってば」
 どうしていいか分からず周りの人に助けを求めるように視線をやるが、誰も助けてくれそうな気配がない。
「ほら、行こうぜ」
「やっ……」
 男に手首を掴まれ、ぞわぞわと嫌悪感が走る。振り解こうと必死になっていると不意に後ろから力強い腕に引き寄せられた。
「放せ、俺のだ」
 いつもより低い、威嚇するような声。その声に安堵が広がると同時に胸が一際大きく鳴った。
 彼の腕に引き寄せられ、まるで抱き締められるような体勢になっている。葵の胸に万葉の背中が密着し、触れているところが火傷するかと思うくらい熱く感じた。
「んだよ、男付きかよ」
 男たちは葵の登場にチッ、と舌打ちをすると掴んでいた手を離し、冷めた目をしてさっさとどこかへ行ってしまった。
「大丈夫か?」
「………」
 万葉は無言で頷いた。
「何もされなかった?」
「………」
 同じく無言で頷く。すると、ずっと黙ったままでいるのでさすがに変だと思ったのか、葵が横から顔を覗き込んできた。
「矢野?」
 林檎よりも赤い顔をして、万葉は思い切り俯いた。
 さっきの男たちのことなどとうに頭から消えている。それよりも抱き締められたままのこの状況のほうがよっぽど万葉を狼狽えさせていた。
「……あの……放して…」
 何とかそれだけ言ってはみたが、葵の腕は一向に離れる気配を見せない。それどころか、更にぎゅっと強く抱き締められてしまった。
「せ、先生……?」
「戻ろう」 
 葵はどこか不機嫌そうに言い、万葉の肩を抱くようにして歩き出す。少し足早な彼に促され、元の場所へ戻っていった。






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